空き家がつなぐご縁と地域コミュニティ〜私たちは空き家をどう保全していくのか〜(前編)
はじめに
日本各地に存在する空き家を、地域が抱えている課題解決の糸口にできないか。その思いで始まった「THEDDO./スッド」。
いよいよ今年度は、空き家改修にも着手していくなか、noteではTHEDDO.メンバーの活動記録や空き家に対する思い、考えを発信するほか、既に各地で空き家問題や新たな場づくりに取り組んでいる方々への取材記事も掲載。空き家問題や空き家の改修・利活用を考える人々にとってヒントになるようなお話を紹介していきます。
プロフィール
今回取材したのは、今夏にスッドの活動拠点である鹿児島県・大隅半島と空き家を訪ねてくださった、鹿児島大学工学部建築学科の小山先生と、東北工業大学建築学部建築学科の不破先生。お二人とも大学時代から同じ研究室に所属し、都市計画や建築について学ぶかたわら、実際に地域の空き家や古民家に通い、改修や場づくりに携わって来られた方々です。小山先生には今年度、スッド事業のアドバイザーとしても参画いただいています。
<小山雄資(こやま・ゆうすけ)>
鹿児島大学工学部建築学科、准教授。幼少期から長野県と神奈川県を行き来しながら育つ。筑波大学大学院在学中に、不破先生と出会い、都市化が進むつくば市周辺の地域や古民家を巡り、改修や新たな場づくりを手がける。その過程を2018年、共著「民家再生のはじめかた:そうじから紡がれるものがたり」にて出版。専門は住宅ストックの再生・再編のための計画論、地方都市郊外の土地利用規制、多世代混住・用途複合・職住混在の都市と建築など。現在は、鹿児島大学工学部建築学科で教鞭をとりながら、研究室学生たちとともに空き団地の利活用や各種プロジェクトを推進中。
(参考リンク)
・小山研究室(公式サイト)
・小山研究室(X)
・小山研究室 かごだんSTEP展開プロジェクト(Instagram)
<不破正仁(ふわ・まさひと)>
東北工業大学建築学部建築学科、准教授。東京生まれ。富山県にルーツを持ち、幼少期を都市化が進むつくば市で育つ。筑波大学大学院在学中に、小山先生と出会い、つくば市周辺の古民家改修や新たな場づくりを手がける。その過程を2018年、共著「民家再生のはじめかた:そうじから紡がれるものがたり」にて出版。研究分野は地域計画、まちづくり、景観保全、民家研究など。現在は東北工業大学建築学部建築学科で教鞭をとりながら、研究室学生とともに仙台周辺の地域にて古民家改修と保全活動、また新たな場づくりとして各種ギャラリーやイベント、カフェの運営まで幅広く手がける。
(参考リンク)
・不破研究室(公式サイト)
・不破研究室(Facebook)
・不破研究室 活動報告
空き家のご縁が育てる、多様な心の風景
スッド
「今日はお時間をいただき、ありがとうございます。スッドの活動も2年目となり、大隅半島の空き家と地域課題にソフト・ハード両面から引き続きチャレンジをしているのですが、実は今年、国の調査で鹿児島県が『放置空き家率ワースト1位』になってしまった経緯があります。そんな背景と、今年度は国交省空き家対策モデル事業での県内採択事業者がスッドのみであることもあり、”勝手に鹿児島県代表”として模索と挑戦を続けている状況です。
まずは今夏、実際に空き家フィールドワークとして訪問いただいた大隅半島と空き家について、お二人の視点から所感や感じたことなどを教えていただけますか?」
小山先生(以下、小山)
「普段、同じ鹿児島県内(薩摩半島)で教鞭をとっていても、実はあまり大隅半島に来る機会がなかったので面白かったです。ひとつ思うのは、薩摩も大隅も、抱えている課題、人口減少やそれに伴う空き家課題、地域課題はそんなに変わらないのかなと。またスッドの皆さんに地域と空き家を案内していただいた時に、空き家だけではなく、周辺にある神話の遺跡(飴屋敷跡)やたのかんさぁ(田の神様)などもご案内いただき、空き家だけではなく、時間軸を添えて語られていたのがとても印象的で、面白いと感じました。現在の行政区分ではなく、既存の地形や暮らし、歴史になぞって空き家を捉えていくと、また違う見方があるのかなと」
不破先生(以下、不破)
「私は仙台に住んでいて、大隅半島は今回初めて訪問したのですが、毎度、関西以西に行く際に感じることとして、東北地方との植生の違いを大きく感じました。その緑の濃さとか、下からもこもこと生えている感じとか。その中にたのかんさぁ(田の神様)がいらっしゃり、地域で大切にされている感じもうれしく印象的でした。
またこれは仙台周辺の地域などでもそうですが、日本の人口が集中している中心部ではない端っこの、”陸の孤島の課題”というのがあるなと。地域の美しい自然や景色がとても好きでいつも見惚れてしまうのですが、そういうものを見るにつけて、その背景にある、少子高齢化や、それに伴う廃校の増加など。また些細なことかもしれませんが、地元に暮らす人たちにとっては学校が遠くて通学がしづらいとか、そういうことを想起してしまうので、景色の美しさの中に難しい地域課題が隠れているなというのを、大隅半島でも感じました」
スッド
「ありがとうございます。お二人とも、20年以上前から地域や古民家に入られて、研究と現場での保全活動や場づくりを続けておられますが、そういったきっかけとか原風景はありますか?」
不破
「実は自分が古民家に入り始めたのは小山さんがきっかけで。当時、自分たちは同じ大学院に所属していて、地域や建築を研究するかたわら、地域活動に興味があって、まだ周辺地域に残っている地域や古民家をよく訪れていたんです。当時は2005年で、20年ほど前のことですが、今と比べても少しまだ時間がゆっくり流れていたような気がします。そして郊外へ行けば、古い町並みや建築物などもまだ残っていた。当時は頑張ればそういう地域に息づいたものがまだみられるタイミングで、そんな時に、小山さんから『古民家の掃除に行ってみない?』と声をかけてもらったんです」
小山
「地域に通い続けているうちに、とある空き家所有者の方から『今度、掃除でもしてみない?』と声をかけてもらったんです。人生のなかでも1番、2番を争うぐらい、その後の人生を変えてくれたご縁でした。
当時、私たちは茨城県つくば市で都市計画等を勉強しながら地域や古民家に興味があったので、よく周辺地域を訪れていました。当時のつくば市は、駅周辺のニュータウンと郊外農村部の風景がとても対照的で。当時は仲間たちと民家でシェアハウスをしながら、修士論文も書き終わって、他の友人は就職もしていたりで。何か外に出てやりたかったというのもあったかもしれません」
変わりゆく景色の中で、変わらない原風景
スッド
「それぞれお二人の原風景というか、幼少期から見て育った風景などがあれば、お教えいただけますか?」
不破
「私は東京生まれなのですが、父が研究者であったことから、つくば市の研究学園都市の郊外住宅地で育ちました。当時まさにニュータウンができた時で、いまより40年ぐらい前というと周りがほとんど田んぼや畑で、その中に住宅があり、自宅の周りは全て麦畑という環境でした。その麦畑で野球して遊んで、牧歌的な風景の中にある家というのがとても楽しい少年時代だったのですが、周りにどんどん家ができて、自然や畑が減っていく。景色の変化が激しくて、なぜ元の風景のままでいられないのか、というモヤモヤや違和感は自分の原風景の中にある気がしますね」
小山
「私は両親が長野県出身だったので、母の里帰り出産で、長野県の浅科というところで生まれたのですが、神奈川県の団地住宅で育ちました。長野の従姉妹たちはみんな昔ながらの大きい家に住んでいるので、帰省して一緒に遊ぶ時は、公園のように遊べる大きな家と庭があって、その時にはまだ古民家を受け継ぐ大変さなんかはもちろんわかっていなかったのですが、とてもうらやましく憧れていたのを覚えています。そういった憧れと原風景があった上で、学生になってつくば市に住んだときに、身近に通うことのできる古民家の存在というのは大きかったと思います」
スッド
「もしお二人が幼少期から伝統的家屋や古民家に住んでいたら、もしかしたら現在のような研究やお仕事はされていないかもしれないなと考えながらお聞きしていました。これはスッドのメンバーもそうで、仮説なのですが、幼少期における地域での暮らしや原風景、もしくは憧れみたいなものがある方は、成長してからも地域や古民家へ入っていく可能性があるのかなと。ある程度、都市の不自由さや閉塞感なども知っていて、都市と地域の双方を知っているからこそ、地域の空き家や古民家の魅力や余白が見えるというのはあるかもしれませんね」
不破
「それはすごくあると思います。私はスタジオジブリの作品が上手に言語化しているなと思うのですが、『ふるさと』という言葉がとても好きで。私も『ふるさと』を持っていると思っているのですが、それはうちのお墓がある富山県の上市という町なんです。上市には、お墓があるだけで、今はもう家などはないのですが、鮎が泳ぐ美しい川があって、古い家がたくさんあって。年に一回しか行けない場所だったんですが、そこへ遊びにいくのがとても楽しくて。自分の中の『ふるさと』の風景として、今でもすごく思い入れが強いです。それはいまの自分や活動に確実に影響があると思っています」
スッド
「素敵ですね。私たちもスッドの活動を始めてから、面白いなと思うのが、周りの方々の反応の如実な違いで。人によっては、なんでずっと大変な空き家の片付けやってるの?という方もいれば、すごく面白そうな活動だね。次何やるの?という方もいて。その違いはどこから来るんだろうと考えていたんですが、お二人のお話をお伺いして、幼少期から多様な風景と町を見て育つことは、その後の生き方や興味関心に大きな影響を与えうるのだなと再確認しました」
空き家を、どう保存・保管・保全していくのか
スッド
「空き家や古民家に入っていくとき、まず最初にぶち当たるのが、掃除や片付けにまつわる『私たちはどこまで保存するのか』という問題です。特に100年単位の時間軸で、空き家や古民家に流れている時間と向き合う時、たった数十年しか生きていない自分たちが、現時点の視点や価値観で、どこまで片付けて、どこまで残すか、という判断をするのはすごく難しいなと感じています。たとえばこの前みんなで片付けをしていた時に、高度経済成長期の大家族を支えてきたんだろうな、という100個の湯呑みが出てきたのですが(笑)、それらはいまの視点から見ると廃棄物でも、大家族が生きた軌跡でもあったりして。またもう少し先の時間軸で見ると文化的資源にもなりうるかもしれない。先生方は、この辺りをどうお考えでしょうか?」
不破
「とっても難しくて、面白い問題ですよね。最近私も実際に考えさせられたことがあって、文化財を扱っている市の方とやりとりしたことがあったのですが。たとえばひとつの蔵が解体される時に、その中にある資料等が市へ寄贈されるわけですが、寄贈されたものを整理するときの基準としては、基本的には江戸時代のものしか取っておかないようで。これまでの基準だと、明治時代のモノでさえも、歴史的文化財として保管される対象ではなかったようです。
そんな時、私の研究で明治時代のとある資料が必要になり、それがいまの町並みの重要な骨格をつくっているかもしれないとなったのですが、その資料はなかったんですよね。その時に初めて、その時代の資料が価値を持ち始める。おそらくそういったことが、これからまたどんどん時代が進んで変化していくなかで、基準が変わり、貴重な対象が増えていくのではないか。と思いますので、高度経済成長期の100個の湯呑みはとっておいても良いかもしれませんね(笑)」
スッド
「なるほど(笑)、とても勉強になるお話です。冒頭で、不破先生が20年前はまだ少し時間の流れ方がゆっくりだった、とおっしゃられていたように、時代の流れも加速度的に変化して、世界の暮らしやライフスタイルが急速に均質化されているなか、いまの自分たちが思うよりも速い速度で、現在が過去になり、明治時代と言わずとも、つい最近のモノなんかも想像以上の速さで歴史的文化的価値を持ち始めるのかもしれません」
不破
「とても難しいですよね。歴史的価値とは何か、というのはよく小山さんとも議論していることです。たとえば登録文化財で考えると、五十年経ったものは歴史的価値とみなすのですが、じゃあ五十年前にできたマンションはどうなるだろうか?それを価値とみなすことはできるのだろうか、という議論が必ず出てきますよね。そのとき、歴史的価値・文化的価値・希少価値という形で論じることが全てなのかというのが、実は私たちが空き家や古民家に携わるときに大きな視点のような気がするんです」
スッド
「その辺りは、お二人の著書『そうじからはじまる「民家再生」のものがたり』の、古民家の家主・田中さんのお言葉でも出ていました」
不破
「家主の田中さんという方が語ってくれた言葉で、『二人が蔵で遊んでくれて、面白いと思ってくれることがありがたい。はじめに文化的価値を言葉で説かれても、伝わらなかったかも。それは楽しむってことじゃないんじゃないか』とおっしゃってくださったんですよね。
私たちが空き家に入り始めたのも、歴史的価値があるからではなく、一緒に古民家に入って掃除をしていく過程のなかで、この蔵のここがかっこいいですよねなどと話しながら、一緒にその歴史的価値を体感していったような背景で。たとえばその蔵が江戸時代にできていなかったら、関わっていなかったかというと、そうではない。なので、このあたりの視点が結構大事なことじゃないかと思います」
スッド
「家主の田中さん、素晴らしいお言葉ですね・・!本当にその通りです。
確かに私たちも、いま必ずしも古民家に歴史的価値があるからという理由だけで空き家に入っていっているわけではないです。一方で、空き家や古民家と向き合うときには、保存と保管の定義を常に問い続けられていて、答えが出ないのですが、、一部、歴史的資料などは保存・保管もしていきますが、家や暮らしを『保存』と考えたときに、必ずしもその形のまま、たとえばミュージアムのように残していくことだけが保存ではないのかなと。特に家は人ありきのものでもあるので、家族じゃなくても色々な人たちが関わり続けるとか、通い続けるという場づくりの方が、私たちにとっての『保存』になるのかなという仮説で、まだ明確な答えは出ていないのですが、、」
不破
「保存という言葉も、難しくて。私たちが普段研究などで多くの場合、保存という言葉は使わないですね。建造物の保存という表現は使いますが、町並みのことは保存とは言わないですよね。景色なんかもそうで。そういう時には『保全』という表現を使います。保全というのは、生態学的な用語で、たとえば一本の樹木の枝が折れた後に、全く同じものじゃなくてもその後に似た枝が生えてきますよね。で、結果的にはまた元の樹木と同じような環境になっていく。これを保全というのですが、それと同じような表現で、町並みや景観には『保全』という表現を使います。
そこでは、全く同じものが立ち上がらなかったとしても、それを継承し、似たようなものが立ち上がることができるとすれば、それは町並みが保全されて、元の町並みを取り戻したことになる。そう考えると、皆さんのいまの活動は『保全』なのかもしれませんね。
もうひとつ、そもそも『保存』することは何か?と考えると、まずその技術を継承しなくてはならない。もしくは建材などを冷凍保存するとか。そうやって『保存』されていくものもあると思うが、そうではない形もあるのではないか。たとえば文化財として古い家屋がその形のまま『保存』されたとしても、結局埃や湿気でカビまみれになるし、朽ちていく。では何が必要かというと、それは『使う』ことではないか。それでは、『使う』こととは?それは空き家や古民家にとってはまさに『足を運び続けること』で、具体的には、草むしりをするとか、雨戸を開けるとか。『そうじすること』につながっていくのかなと小山さんとも常々話していました」
小山
「私たちは空き家や古民家を片付けたときに、『ガラクタ市』というものを企画しました。いろんなモノがあり、そのモノに対して、その家主さんだったり、そうではない人たちなど、さまざまな人たちの関係性があり、モノに対する見方が違うということがあって。だからこそ、モノを媒介にして生まれるコミュニケーションとその面白さもあるんですよね。
たとえば湯呑み100個があったときに、誰とどういう話ができるとか、したいとか。そういうことと結びついて、初めてモノの取捨選択もできるのかなと。自分たちもそういう背景があって、自分たちで判断しきれなかったこともあり、古民家から出てきたもので『ガラクタ市』を企画しました。そうすると、来る人や見る人によって『これは面白い』、『お金を払っても欲しい』という方が出てきて。なかには見向きもしない人もいるのですが、そのプロセス自体が、多様なモノの見方や価値の付け方を知る機会にもなるなと。自分たちで全部判断しきれないことを、良い形で他者を巻き込むことで、また新しいモノの活用を見出すようなことですね。自分たちもそのプロセスを通じて、それまで知らなかった地域のエピソードなどを随分知ることができましたし、それによって自分たちでは思いつかないようなモノの新しい活路を見出すこともできました」
スッド
「面白いですね!『ガラクタ市』の出品基準は、壊れていないとか、モノとして最低限の機能を果たすなど、何か決められていたのですか?」
小山
「ひとつだけ決めていたのは、”心がときめくもの”でしたね。なので、ボロボロに壊れたパチンコ台とか、錆びついて使えない自転車なんかも売れはしませんでしたが展示していました。あとはよく出てくる瓶とか壺など、そういうものが意外と売れました」
スッド
「保全・保存・保管のお話をお伺いして、自分たちのなかで、現在と未来のスッドの活動を整理することができました。空き家に足を運び続けていると、家も季節に合わせて変化し続ける生き物なんだなと思い知らされることばかりで。映画『インターステラー』で最後、主人公の住んでいた家が全くそのままに保存・保管されていて、ミュージアムになっているシーンがあります。主人公も驚くぐらい、当時の暮らしや家が保存されているのですが、個人的に思うこととして、そこにはもう家族の暮らしや人の息づかいがない。それがすごくいつも寂しく感じるんです。
これは正解もないし、個人の感じ方によるところが大きいと思うのですが、スッドとしては、そういう場所のまま『保存』するよりも、時代とともに形が変わっても、人が通い続けることのできる場所になっていく『保全』の方が、この活動と現在取り組んでいる地域や空き家の目指す方向性なのかなと、お聞きしながら改めて感じました。ありがとうございます」
▶︎後編へ続く
(編集・執筆 THEDDO./スッド ふくどめ)