見出し画像

限界集落の空き家がアーティストの拠点に。池水邸が再び息づくまで

「もう廃屋になっても構わないと思っていました」

錦江町(旧田代町)出身で現在国分にお住まいの池水五馬いつまさんは、実家にもう誰も住むことができないことがわかった時、そう思ったそうです。

池水さんが暮らしていた家は、鹿児島のほぼ最南端、錦江町の中でも限界集落に近い瀬戸口地区にあります。
紅葉しない常緑種の木の山々に囲まれ、牛と鳥の鳴き声、川のせせらぎの音がこの集落に響いています。

そんな場所にある池水さんの空き家ですが、一昨年からアーティストと地域をつなぐ一般社団法人あわい代表の伊藤愛さんが借りることになりました。伊藤さんはアーティスト・イン・レジデンスを錦江町でやりたいと、池水さんの空き家をアーティストさんが住むためのシェアハウス、「あわい池水邸」に改修しています。

ご実家での暮らしの思い出や、改修されていくご自身の家を池水さんはどう思ってらっしゃるのか、伊藤さんもインタビューに入っていただきながらお話を伺いました。

池水五馬さん(左)と伊藤愛さん(右)。写真は今年亡くなった池水さんの奥さんの秋子さん

池水さんが生まれた家は、池水邸よりも少し奥まったところにある、おじいさんが建てた家でした。茅葺屋根の家で、当時は電気もなかったそうです。

池水「(伊藤さんに)貸している家は、私が小学校低学年の時に父が建てました。小学校低学年から高校卒業するまで、11年くらいあそこで暮らしていましたね」

家から小学校まで 8キロある道のりを、歩いて通っていたと言う池水さん。高校は地元の農業高校を卒業されました。地元に残ることは全く考えておらず、親からも家の仕事を手伝えとは言われなかったとおっしゃいます。

池水「就職は白バイに乗りたかったから警察を受けたんですけど、同時に自衛隊も受けていて。僕は1日でも早く働きたかったから、入隊が早かった自衛隊を受けてしまって、警察を捨てました。笑」

池水さんは自衛隊員として、国分市(現霧島市)で新隊員教育を3ヶ月受けた後に北海道の旭川駐屯地で11年間勤務されました。旭川では、100人に1人入れるかどうかの特殊部隊のレンジャー隊員として活躍するなど、素晴らしい実績を残されました。

特殊部隊での訓練の様子の写真を見せていただきました

そんな過酷な訓練をしながらも正月は実家に帰り、近所の方や親戚のみなさんと飲ん方(飲み会)をしていたそうですが、帰るたびに家の風景が変わっていったとおっしゃいます。

池水「昔の土間のある生活水準から改善していきましょうっていう町とか国の施策があってね。土間だったところにガスをつけたり、水道を引いたりして、今の最低限の生活水準に変わっていってましたね。今の勝手口のところが土間で囲炉裏があったんですよ。三つ釜があって、ご飯を炊いたりしてました」

そして池水さんの実家が空き家になったのは、一人暮らしになったお母さんが入院されたことがきっかけでした。

池水「父親は北海道にいる時に亡くなって、母親が1人暮らしになったもんですから、希望をだして旭川から国分に戻っていたんです。ある時お弁当宅配の人が母の家に入った時に、熱中症で倒れている母を見つけて、そのまま病院に運ばれていきました」

池水「入院中、母親をもう1人で置いておけないねと妻と話して、そのまま国分の家に連れて帰ったんです。うちの奥さんと一緒にここで暮らしていました。90歳の頃から5年間くらいかな、家内が面倒を見てくれて、最後は95歳の時に病院で亡くなりましたね」

池水「兄弟も田代の実家に帰らなくて、空港も近いからここ(国分)が拠点になってました。実家の方は母が倒れてそのままだったから、物も片付けることもなくて。私も70まで働いていたので、気にはなっていたんですけど、あの家はポツンと一軒家じゃないですか。誰にも迷惑をかけないし、自分の家だからもう廃屋になって壊れて朽ち果ててもいいと思ってましたね」

池水邸の外観

池水さんが実家に戻るのは、草払いのためで年に数回だったそうです。ですが、いとこから紹介された錦江町の空き家バンクに登録してから、少しずつ変化が起きていきます。

池水「最初は夫婦で借りたいって言う人がいました。でも光ファイバーが通ってなくて、若い夫婦だったからやっぱりインターネットを求めて麓の方に行ってね。残念やったねえって言ってたら次に来たのが伊藤さんですよ」

池水「役場の方と一緒に来て、今でもはっきりと覚えてますよ。使ってもらえる人がいるんだったらそれでこっちは全然いいですよと言ってね。草刈りももう自分ができなくなってしまったから、本当に助かってるんです。あんな家もらったって一銭にもならんと思ってましたしね」

伊藤「こちらこそ、本当にありがたいです。家賃も最低限にしてくださって、自由にやらせていただいて」

池水「最初は伊藤さんが住むって言ってたけどアーティストの人たちが入るって言うことで。法人として借りることを決心されてから話に来られましたよね。こちらとしてはもうどうぞ好きにしてくださいと思って。改修の出費も大変だろうし、いろいろ一生懸命頑張ってらっしゃると思いますのでね」

伊藤「自分が住むわけではないので、説明をしたら驚いたり不安に思われるかなと思ってたんですが、いいよって言ってくれて応援していただけたのがすごく嬉しかったです」

池水「ここでよかったらどうぞってね。畑もあるし野菜を作ってもいい。手入れしなかったらすぐ草山になるしね。どうせ廃屋になるところを使っていただいて、本当に感謝しています」

池水邸改修作業の様子(断熱ワークショップ)

池水「去年のお盆に帰ったんですよね。ちょっと見てみたらなんかベニヤが見えたりして、何か進んでいるなって思ったり。娘が(Instagramの)写真を送ってくれてね。家がこうなってるよって常に見てますよ」

改修の様子を池水さんに見せている伊藤さん

池水邸の変化が楽しみだとおっしゃる池水さん。これからどんなことを期待されているのでしょうか。

池水「あの限界集落の瀬戸口が存続するということじゃないですかね。テレビで紹介されたり地域を盛り上げていただいて、本当に感謝しています。周りの人から、見たよって色々反響がありましたよ。これで瀬戸口が賑やかになるっててっちゃんも言ってたから」

てっちゃんとは瀬戸口哲郎さんのことで、池水さんのお酒馴染みの方。池水邸のすぐ近くに住んでおり、今回の空き家の仲介人でもありました。

池水「家に風呂がなかった時代は哲郎くんちの五右衛門風呂に入らせてもらったり、兄弟みたいな関係でしたね。空き家の担い手が見つかった時も、てっちゃんがすぐよかったねって話してきてくれてね」

伊藤「哲郎さんが自分達にも良くしてくださるから本当にありがたいです。ちょこちょこ様子を見にきてくれるし、いろんな人を繋いでくださったりしてとても助かってます」

瀬戸口哲朗さん

瀬戸口のことならなんでも聞けば教えてくださる哲朗さん。哲朗さんのような、遠方にいる家主さんと空き家を借りたい人とをつなぐ地元の方は、空き家を借りたい人にとってとてもありがたい存在です。

そして、最後には伊藤さんから1年かけて改修してきた池水邸のプレオープンの案内がありました。

池水「嬉しいなあ。かあちゃんとまた会いたいねえって話していましたから、写真を持っていきますね。こんなに立派になったよって言ってね。こんな方にご縁があったって言うのは本当に嬉しいです。こんなに立派な建物になっても返してくださいとは言わないですからね。笑」

伊藤さんとの出会いで、自分の家が地元の活性化に繋がっていることがとても嬉しそうだった池水さん。廃屋になっても構わないとおっしゃいながらも、空き家バンクに登録したり、草払いの手入れをしたりと空き家の可能性を潰さなかったことが今に繋がっているのだと感じます。
たとえ小さな一歩でも、空き家について考えて行動することが、地域の未来につながることを願って。

一般社団法人あわい
Instagram

note


(編集・執筆 THEEDO./スッド やまだ)

いいなと思ったら応援しよう!