日本語と英語。グローカル。などなど

日本語で話すときと英語で話すとき。
果たして自分の人格が変わるのかという問題。

超ありふれた、バイリンガル誰しもが話すこの話題を急に疑問に思った。

どっちなんだろう。(笑)

今まで「私は何語でも変わらない」とか言ってきたけど
いや、そんなこともないのかも。w

やっぱり英語で話す自分は淡々としていて
日本語だと細かい感情が如実に表現される。
日本語で話すときの方が地に足のついた感覚になるのもある。

こう見えて小学校のころからいつも国語は点数が良くて
中学・高校もたしか5段階評価の5ばかりだった。
今ですら「日本語の発音がちょっと…」とか言われるけど
国語はすごい好き。というか言語が好き。

ポッドキャストをするときはいつも英語だけど
もっと日本語でも収録したいし、
このブログもたくさん日本語で書いていきたい。

最近よくやる自分の中での遊びが
好きなインフルエンサーの話が日本語に訳されたらどう感じるのか。
もし同じようなことを日本語にしたらどうなるかっていうこと。
まあ、圧倒的に不可能だけどねw

結局のところ英語は英語で理解し、
日本語は日本語で理解する。
言語の醍醐味は単語を覚えることでも、会話の受け答えができるようになることでもなく、新たな感覚を言語を通して手に入れることなので
この遊びはその観点からいえばかなり的外れなんだけど
ふと「あれ、日本語ではこういうことだよな」みたいに考えてみたくなる自分が嫌。(笑)

先日ポッドキャストのエピソードで英語学習について収録をしました。
ちょっとね、収録したパソコンの電源が壊れていてそこを直して
アップしたいと思ってるんですが、言語って奥が深くて
ほんまに楽しいんでございやす。★☆ 

スポーツをしているときと、言語の勉強をしてるとき
それから服を選んでるとき。
この3つの瞬間はほんっとに時間を忘れられる🤭

大学を卒業してからありがたいことに日本でインターナショナルなコミュニティに身を置くようになったので、日本にいるけど英語を使う機会がたくさんできた。ただ最近感じるようになったのは、それもある意味インターナショナルコミュニティという世界で live in a bubble (狭い世界の中で生きることを表現する英語)ともとれるよね。ってこと。
グローバルな人たちが集まってるからと言ってそれが一番開放されたコミュニティかと言えば、結局似た人と交わってる時点でそれはそれでbubbleなのかなって。例えばこの前イギリス人の友人と話してたけどロンドンって全然イギリスの代表ではないよ。むしろ東京みたいにいろんな人がいるから
もっとローカルな場所にいったら文化が違うよって言っててそうだな、なるほど、と。じゃあ東京が日本じゃないですかと言われれば立派な日本だけど何が言いたいかってやっぱりいろんな世界をみてバランスの取れた人になりたいねーって話。

私は多様性がある場所が大好きなのでそういうところを選んでしまいがちなんだけど、その友人との会話からローカルを知ることは世界を知ることと等しいと感じた。

グローカルっていう言葉に最近注目してる。
グローバル視点をもって、ローカルに活躍する、活動する。
たしかに、本質的にそうなのかも。とか思ったり。
大きなものは小さな部分の集まりで、目立つものや表に出やすいものと出にくい部分があるんだけど結局は自分の近くからだなあって考えさせられた。

大人になって利便性を求める自分がなんか嫌で
前職の時にちょっと便利なジムの会員になってみたけど
そんなにトレーニングの中身は変わらなかったし
目に見えやすいものにとらわれて大事なこと忘れてないかな?ってよく考えてる。
だからちょっと話はずれたんだけど、グローバルとローカルのつながりも同じようなものでグローバルの本質をたどればみんなローカルやんってことだよね。それが繋がるからおもしろいし、ローカルの良さが残るからグローバルができるって理解してる。

私の周りには世界のいろんな地域に住んできた友人がいて、
いつも話を聞くと面白い。優秀な友達も多く、自分とは違う経験をみんなしてきたのだけど話せば話すほど「あれそう変わらんやん」って
(失礼?w)思ってる。
個人的にはそれはいい発見で、なぜなら世界には可能性たくさんあるなあって思えるし、人も物事もみんなつながっている感覚が楽しい。

私はまだまだ世界を見に行きたい。けど世界狭いなあってなってきてる今
なにより日本の良さもしみじみと感じる。
夏は暑いからよく部屋の窓をあけてるけど
セミうるせえ!ってなりながらもあの声を聴くたび
あー夏は日本にいたいな。と思うもんね(笑)

皆さんの世界が狭いなーと感じるエピソードはなんですか?
ぜひ聞かせてくださいね☆

ではまた~!




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