物理的な距離と心の距離
外大に入ってから距離感がバグり始めた
大学の時、仲良くなったアメリカ人の友達が母国に戻った時
死んでしまうのかと思うくらい苦しかったw
それまで国を超えた友達っていなかったこんなことある?みたいな
未知のものに対する恐怖がすごくてどうしたらいいのかわからなくて、
デンマークから帰ってきた後もそんな感じなのが2年くらい続いた。
いろんな人に私はめっちゃグローバルだと思われてるみたいだけど
インターナショナルな友人関係が増えたのも20歳を超えたくらいからだし
初めて海外に行ったのも2019年の21歳だし、
半年くらいしか長期で海外滞在したことないから
まだまだ未知なものもたくさんある。
けど、こんな交友関係が増えすぎて
だれかが地球の反対側にいてもそんなに驚かなくなってしまった。
距離とは
大学生のころ、あんなに苦しかったお別れはもはやお別れではなく
気づいたらまた今度ね、という挨拶に変わっていた。
母国に戻る友達も、移住をする友達も
繋がるものは繋がる、繋がり続けるから
お別れなんてなくて「どうやって次は会おうか」「どこで会おうか」ということに相当な計画性が必要になったという変化。笑
だからよく「キョリ」って何だろうって考えるようになった。
もちろん物理的な距離は文字の通りなんだけど
私にとって心の距離って共有が消えてしまうことで生まれるものだと思う。そしてこれってきっと物理的な距離と共に消えやすい。
離れてしまうと、会えなくなり、ご飯を一緒に食べることをしなくなり、
一緒にテレビを見たり、散歩をしたりできなくなる。
同じ空間を共有したり、ハプニングを共有したりできないって
心が離れやすい。
でも逆に共有をしていると物理的な距離は消えないけど
心の距離って離れない。
でも共有するって相当の努力が必要なことだから
距離って結局習慣なんだなと思う。
歩み寄れる友達、残したいと思える友情
自分で言うのは変かもしれないけど
私は結構友達にキャッチアップの連絡をする方。笑
仕事の帰りや散歩中に「あ!」と思いついてパッと連絡をする。
そんな人生がすごい幸せだなあと本当に感じてる。
あ、これあの子に伝えたい!
とか これ見せたら喜んでくれるかな?
とかそういうのを考えてる時間が好きで
でもそれって素敵な友達持ってるからだなあって🤭
私が何かを共有してもそれって最終的に受け取り手がいないと成り立たないわけで、歩み寄れる友達・話を聞きあえる友達がいるって恵まれたこと。
結局何が言いたいのか(笑)
ここまでつぶやくように文章を書いて、
あれ結局オチは?となってきてるw
けど何でこれを共有したかったのかというと
こんな気づきを人生の中で得られることは幸せなことだと思ったから。
つまり、シェアハピ(笑)
SNSが発達した今、使い方はいろいろあるけど
一言で誰かのその日をパッと明るくすることもできれば
1年間話してなかった友達と
ふと思いつくようにキャッチアップすることもできれば
なーんでもほんとにできちゃう。
だからせっかくの出会い、本当に大切にしたい。
そしてこのブログも「共有」の一部だし
あー分かる、と何かを身近に感じてもらえるようなこと発信したい。
たとえ読者の方がインドにいても、アルゼンチンにいても、アメリカにいても🤭✨
華永