見出し画像

初めての海外は一人で中欧へ 3日目:ブラチスラヴァ

こんにちは、あおです。

令和6年5月の海外旅行の3日目です!

こちらは前回の2日目になります。


ブラチスラヴァへ移動

早朝6時に起床、荷物を中央駅ロッカーに預けオーストリアの隣国スロバキアの首都ブラチスラヴァに向かいます。

Bratislava-Petržalka(ブラチスラヴァ-ペトルジャルカ)行き列車

Regionalexpress(快速列車)1時間の乗車で国境検査もないまま隣国の首都に行けるのは不思議な感覚でした。
ブラチスラヴァ-ペトルジャルカ駅は見たところ大きい駅のように感じましたが、基本的にウィーン中央駅-当駅間の発着がメインのようで、ウィーンからの乗客が早々に捌けると広いホームには人っ子一人いなくなりました。

Bratislava-Petržalka(ブラチスラヴァ-ペトルジャルカ)駅8番ホーム
一時間弱で古都から隣国の首都に行けることに、大津市の印象があります
コンコースの発車標、スロバキア語、英語、ドイツ語が表記されている

帰りの時間に、ウィーン中央駅~ブラチスラヴァ-ペトルジャルカ駅間を走る唯一のIntercity(インターシティ、特急列車)があるようなので、指定席券をきっぷ売り場で購入しますが、ドイツ語が一切通じず。数キロそこにはオーストリア国境があるどころか、駅構内にはドイツ語の案内があるのに…?英語は通じるようなのでおかげできっぷ自体は無事に購入できました。

市内の移動に手間取る

駅前からはバスで旧市街地まで向かいますが、ルート上にあるはずのドナウ川を一向に越える気配はなし。そしてバスは終点に着き、見渡すと全く知らないところに着きました。

どうやら旧市街地に向かうバスは駅裏側の別のバス停から出るようで、表側のバス停から乗ったバスはドナウ川南岸のペトルジャルカ地域にある、Ovsišteという場所に行く系統のようでした。

『旧市街地で朝ごはんを摂る予定なのにそんな暇あらへん!、ていうかスロバキア語しかないから何もわからん!!』非常に焦っていました。

結局ドナウ川付近まではGoogle Mapさんを頼りに、折り返しのバスで向かいそこから徒歩で移動します。

ペトルジャルカ駅から旧市街地(上部ピン)へは画像中心のドナウ川を渡るはずが、バスは右下のピンの場所へ
ペトルジャルカ、Ovsište地域
旧東側諸国の雰囲気を感じるのは僕の偏見だろうか
ドナウ川対岸からブラチスラヴァ城・聖マルティン大聖堂を望む

青の教会・イシュトヴァーン教会

初めに向かう聖マルティン教会は9時に開くようなので、それまで少し寄り道をします。

ドナウ川を渡り路地へ入っていくと、東側諸国の雰囲気の中に青と白に塗られたかわいらしい教会が見えてきます。

観光向けに開放されているようですが時間が非常に短くどうしても合わなかったので、外観だけ見て移動しました。

ハンガリー出生の聖エルジェーベトの教会
青の教会とも呼ばれる
未生の追悼碑、旧産科病院の場所に中絶を受けた胎児への追悼のために建てられたとのこと

青の教会から離れ15分ほど歩いてイシュトヴァーン教会に向かいます。
こちらは初代ハンガリー国王イシュトヴァーン1世に奉献するための教会のようです。

イシュトヴァーン教会
目の前にはブラチスラヴァ市電の停留所、奥にはブラチスラヴァ城も見える

聖マルティン大聖堂

ドナウ川付近にある聖マルティン大聖堂までは旧市街地内の路地を通り抜けて近道します。

旧市街地内の路地
僕が想像していたヨーロッパの雰囲気でした

一時ハンガリー王国の首都であったブラチスラヴァにある聖マルティン大聖堂は、ブラチスラヴァ城の向かいに位置しマリア・テレジアを含むハンガリー国王の戴冠式が行われた教会です。教会内部には戴冠された国王の名前が記されているようです。(僕は見落としてました)

聖マルティン大聖堂
内陣
教会頂部にはハンガリー国王の王冠、聖イシュトヴァーンの王冠のレプリカ

ブラチスラヴァ城

教会を離れ西側にある宮殿がそびえる丘を上っていき、旧市街地の西側にあるブラチスラヴァ城に入ります。四隅に塔があることから「ひっくり返したテーブル」 とも呼ばれる城は、ハンガリー王国の居城でもありハプスブルクの影響下ではマリア・テレジアも度々滞在したそうです。
現在はスロバキア国立の歴史博物館となっています。

ブラチスラヴァ城
美しい白に塗られた大階段
ナチスへの抵抗に用いられた小銃
塔よりブラチスラヴァ市内とドナウ川を望む、左岸が旧市街地、右岸がペトルジャルカ地域

スロバキア国民議会議事堂、アレクサンデル・ドゥプチェク像

ブラチスラヴァ城からすぐ西にあるスロバキア国民議会議事堂に少し寄り道し、1968年に自由化改革に乗り出したアレクサンドル・ドゥプチェクの胸像に向かいます。

当時チェコスロバキアの共産党第一書記は「人間の顔をした社会主義」のもと政治・経済の改革に乗り出しましたが、ソビエトをはじめ東側諸国の侵攻を招きました。1989年にはペレストロイカや周辺国の民主化の影響から民主化・ビロード革命が発生し、彼はその後政界に復帰し連邦議会議長に就きました。

スロバキア国民議会議事堂
チェコスロバキアに春を推進したアレクサンドル・ドゥプチェクの胸像、議事堂を向いている
スロバキア国旗と欧州旗

駅へ向かうが

ウィーンへ戻る列車もそろそろなので旧市街地を離れバスでブラチスラヴァ-ペトルジャルカ駅に向かいます。往路で思いもしないトラブルになったので、復路は行先表示板のPetržalka(ペトルジャルカ)の表示を確認し乗り込みます。

ドナウ川を渡り安堵しますが今度はどうも駅から離れている気がする… 列車の時間も近いのもあり往路の二の舞にはなるまいと思い、結局歩いて駅に向かいました。

帰りのバスルート、右下が下車した箇所、中央下が駅

後日調べたところドナウ川を渡ってペトルジャルカ地域を通り、再度ドナウ川を渡る系統のようでした。ちなみにPetržalkaという停留所は、この系統にはありませんでした。

つまり行先表示板のPetržalkaはペトルジャルカ地域を通るという意味であって、ブラチスラヴァ-ペトルジャルカ駅に行くわけではない…?
見事に初見トラップに引っかかりました。バス乗るのトラウマなるわ!

Petržalka地域のJungmannova通り
Bratislava-Petržalka(ブラチスラヴァ-ペトルジャルカ)駅

一挙にオーストリア西部へ

列車は15分遅れていたためホームのベンチで待っていると見知らぬ男性に話しかけられました。インド出身のロンドン在住の方でヨーロッパ中を旅行しているようで、列車が来るまでの束の間ぎこちない英語ながらお話ができて楽しかったです。

Intercity 44号、スロバキア国鉄の列車

ウィーン中央駅に着いたころにまだ飲まず食わずなことを思い出し、乗り継ぐ列車までに駅でご飯を探します。駅コンコースにはアジア料理店があり外国での日本料理の味が気になったので、こちらでお寿司を食べました。

ウィーン中央駅にあるアジア料理店の寿司メニュー、4貫握りの味は…普通の寿司やん
Railjet Xpress(レイルジェット エクスプレス)864号

簡単な昼食を済ませ列車に乗り込みます。隣には老夫婦が座っており、今回はドイツ語で話しかけられました。『きた!今こそドイツ語で会話ができる!』と意気揚々とするが、どういうわけか周りの席の方が一斉にこちらを向いており、成り行きを見守っているようでした。さすがに緊張してしまいなかなか言葉が出ませんでした。-__-;

Innsbruck Hauptbahnhof(インスブルック中央駅)
インスブルック中央駅31番乗り場、奥にはアルプス山脈

神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世が遷都した都インスブルックに着きました。19時前なので駅ナカの飲食店でお腹を満たし、早々にホテルに向かいます。

ピリ辛なピザ、イタリア国境に近いという投げやりな理由からピザを食べました
かわいらしい色合いの建物
Befreiungsdenkmal(解放記念碑)、すぐ後ろに積雪した山々がそびえると長野県にいるようです

早朝から動き回った疲れからかホテルに着くと早々に寝てしまいました。

4日目に続きます。

いいなと思ったら応援しよう!