フランク・ザッパの幼少期の話
ザッパの父親は、アメリカ陸軍のアバディーン実験場のエッジウッド工廠という化学兵器施設に勤務していた。
この生活環境はザッパに大きな影響を与え、彼の作品には、細菌、細菌戦争、病気、防衛産業に関する言及が頻繁に出てくる。
ザッパの父親は、職場から水銀入りの実験器具をよく持ち帰り、ザッパに与えて遊ばせていた。
水銀の液体を床に置き、ハンマーで水銀のしずくを円形に吹きつけ、ついには寝室の床一面を水銀で覆ってしまったという。
幼少期に軍事基地で有毒な元素である水銀にさらされると、大人になってから前立腺がんになるリスクが高くなることが知られている。
ザッパは1990年に49歳で末期の前立腺癌と診断され、1993年に死亡した。