関東大震災と『デビルマン』
1923年(大正12年)9月1日、相模湾北西部を震源地とするマグニチュード7.9という烈震が関東一円を襲った。後に「関東大震災」と名付けられた首都直下地震によって、帝都・東京は壊滅状態に陥った。死者・行方不明者の数は10万人を越える大惨事だった。
大災害の発生から100年となる2023年9月1日(金)より、震災直後に起きた「日本史の闇」に斬り込んだ劇映画『福田村事件』が全国の単館系で公開される。井浦新、田中麗奈、永山瑛太、コムアイ、水道橋博士、東出昌大、柄本明ら多彩なキャストが出演する話題作だ。
建物の崩壊による圧死者、広範囲にわたる大火災による焼死者が続出した関東大震災だが、パニック状態に陥った首都圏とその周辺地域には流言飛語が飛び交った。各地で自警団が結成され、武器を手にした自警団は罪のない人たちを次々と殺戮した。「富士山が爆発する」「大津波が来た」という噂と共に、「朝鮮人が襲ってくる」「朝鮮人が井戸に毒を投げ入れている」というフェイクニュースがまことしなやかに広まったためだった。朝鮮人と間違えられて殺された中国人、日本人も少なくなかった。
震災の発生から5日後となる9月6日、千葉県福田村(現在の野田市)では、香川から来た薬売りの行商団15人が自警団に襲われ、9人が殺害されるという悲惨な事件が起きた。この実在の事件をベースにした『福田村事件』は、ドキュメンタリー映画『A』(97年)や『FAKE』(16年)などで知られる森達也監督の劇映画デビュー作となる。
ドキュメンタリー監督だけに、クライマックスとなる殺戮シーンは非常に生々しい。逃げ惑い、命乞いする行商人に向かって、竹槍や日本刀、猟銃などで武装した自警団が問答無用とばかりに襲い掛かる。2人の幼児、臨月の妊婦までもが犠牲となった。行商人たちが話す讃岐弁が聞き馴染みのないものだったため「言葉がおかしい」「朝鮮人に違いない」と疑われて起きた惨劇だった。
悲劇はそれだけでは終わらなかった。行商団が被差別部落の出身だったことから、この事件は地元・香川でも黙殺されてしまい、被害者遺族や襲撃を生き延びた生存者たちは慰謝料はおろか、謝罪の言葉すらもらっていない。朝鮮人問題、部落問題というタブーが重なることから、マスメディアは長年にわたって「福田村事件」に触れることがなかった。
人間は悪魔以上に恐ろしい存在になる
何の罪もない行商人の一行が、自警団によって虐殺されるシーンをスクリーンで観ながら、不思議な既視感を覚えた。映像としては初めて見る日本の暗黒史だが、子どもの頃にこれとよく似たショッキングな場面を目撃した記憶が蘇った。
その体験をもたらしたのが、漫画界の巨匠・永井豪の代表作『デビルマン』だった。1972年~73年に「週刊少年マガジン」に連載された『デビルマン』のクライマックスが、この映画と同じようにあまりにも衝撃的な場面だったのだ。
SFコミック『デビルマン』は画期的すぎるストーリーだった。主人公の不動明は人間の心と悪魔の能力を併せ持つ悪魔人間(デビルマン)となり、悪魔たち(デーモン族)と戦うことになる。それまでの分かりやすい正義のヒーローとは異なる、ダークヒーローの誕生だった。その後、岩明均の『寄生獣』、藤本タツキの『チェンソーマン』などの派生作品を生み出すことになる。
デーモン族の設定も斬新だった。人類よりも早くから地球で暮らしていた先住人類であるデーモン族が、再び地上に復活するために人類へ宣戦布告する。デーモン族にも先住人類としての生存権がある。単純に善と悪には分けられないハードな物語だった。
デーモン族の出現により、パニック状態となり、疑心暗鬼に陥る人類。デーモン族には人間に取り憑く能力がある。デーモン族に取り憑かれた人たちは、政府が設立した「悪魔特捜隊」によって強制連行されることに。残された家族も「悪魔の仲間だ」「あいつらも悪魔に違いない」と地元住民に疑われ、自警団による「悪魔狩り」の標的となる。
不動明ことデビルマンがデーモン族と戦う理由は、愛する牧村美樹とその家族を守るためだった。だが、「悪魔特捜隊」により、牧村家の両親は拉致監禁された挙句に拷問死。留守宅を守っていた美樹と弟のタレちゃんは、暴徒化した近隣住人たちに襲撃されてしまう。美少女ヒロインの首が刈られるという、少年漫画とは思えない残酷な最期を迎えた。
人間が悪魔以上に恐ろしい存在になることを描いた、衝撃的なクライマックスだった。
当時、人気絶頂期だった永井豪はトランス状態で『デビルマン』を執筆していたことが知られている。作者自身が想像もしていなかったストーリーが展開されていった。無意識状態で『デビルマン』を描いていた永井豪の筆が、人間の心の奥底に眠る深層心理を目覚めさせたかのようだ。
ちなみに永井豪は、ほぼ同時期に『マジンガーZ』を「週刊少年ジャンプ」で連載している。共にTVアニメ化されたデビルマンとマジンガーZだが、改めて2大人気キャラクターを並べて眺めてみると、両者のビジュアルはよく似ていることが分かる。デビルマンと同様に、マジンガーZも主人公の意識次第によって、人類の救世主にも魔神にもなれる存在である。
永井豪が『デビルマン』を執筆した際、震災時における自警団の暴走をどれだけイメージしていたは不明だ。だが、永井豪がはっきりと「関東大震災」をモチーフにして描いたのが、次作『バイオレンスジャック』だった。「昭和大震災」によって崩壊した関東を舞台にした『バイオレンスジャック』は、『デビルマン』の連載が終わった1か月後、1973年7月から始まっている。1973年は「関東大震災」から50年目という節目の年でもあった。
永井豪いわく、『デビルマン』で世界を滅亡させてしまったことへの贖罪のつもりで描き始めたのが『バイオレンスジャック』だった。無政府状態となった混沌化した世界で、逞馬竜ら若者たちが善悪の彼岸を越えて、タフに生きる姿が描かれている。永井豪の深層心理は『デビルマン』や『バイオレンスジャック』の世界を通して、災害時における人間の心の闇ともつながっていたのではないだろうか。
もしも、自分が『デビルマン』で描かれたキャラクターの1人だったら……。もしも、自分が『福田村』の劇中人物だったら……。逃げ惑う側なのか、それとも竹槍を手にして逃げ惑う人々を襲う側なのか。漫画やスクリーンの中にいる自分の姿を想像し、背筋が震えるのを感じた。
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