見出し画像

青春を終えたあなたに…

こんにちは!
ABYSSの海月です。

3月まで1ヶ月を切り、
「卒業」が近づいてきました。

卒業した後は、進学したり
就職する人が多いと思いますが、
あなたはどんな進路を選びましたか?

いずれにしても、卒業したら
これまで過ごしていた場所を離れ、
新しい環境での生活が待っています。

新しい環境に飛び込む前は、
希望と期待に満ち溢れていたり、
その一方で緊張していたり、
不安を感じたりするものですよね。

実際に足を踏み入れてみたら、

「最高かよ!」

と思える場所かもしれませんし、
もしかしたら、

「あれ、この道で大丈夫かな?」

と思うことがあるかもしれません。

そこで、今回は

「青春を終えたあなたに」

と題して、
これから学校を卒業するあなたに向けて、
僕の過去を振り返りながら、

『大人になっても絶対に
忘れて欲しくないたったひとつのこと』

についてお話ししていきます。

もしあなたが、

・いま、希望に満ち溢れている!
・できれば失敗したくない
・今の進路が正解かわからない
・やりたいことが見つからない
・将来に不安がある

これらのうち、どれかに当てはまるなら、
この先をぜひ読み進めてみてください。

これさえ忘れなければ、
ずっと希望を持ち続けられますし、
あなたにとっての正解を
きっと手にすることができるでしょう。

〜僕がマーチングを捨てた日〜

今でこそ、僕はこうして
ABYSSの広報として記事を出していますが、
実は3年前にマーチングをやめています。

僕がマーチングをやめた時、
表向きには

「もう満足したから」

という理由で通していましたが、
本当のところを言うと

『将来に不安があったから』

でした。

きっとあなたも、
学校を卒業したあとは
マーチングを

①やめて仕事(学業)に専念する
②仕事(学業)と両立して趣味として続ける
③もっと上を目指します!

大きく分けて、
これら3つのどれかを選択して
今後の人生を歩んでいくと思います。

僕はこの中で③を選び、
高校を卒業してアメリカに行きました。

そもそも、
僕がマーチングを始めたきっかけは、
小学6年生の夏に遡ります。

当時、音楽に興味がなかった僕は、

「音楽なんて女子がやるもんだ!」

と、どこで仕入れたのか全くわからない、
ものすっごい偏見を持っていました。

そんなある日、吹奏楽部に所属する
2つ上の姉の本番ということで、
くまもとマーチングフェスティバルに
無理やり連れて行かれました。

僕は本当に憂鬱な時間を過ごしていましたが、
ある高校のパフォーマンスが始まると…

「何これ、めっちゃすごい!」

それまで音楽に無関心でしたが、
その演技を観た直後には
僕の価値観は180度ひっくり返っていました。

「この高校に入ってマーチングやる!」

僕はそう心に誓い、
中学では姉のいる吹奏楽部に入り、
勉強も結構がんばりました。

内申点を上げるために、
絶対に喧嘩はしませんでしたし、
さらに生徒会にも入りました。

万全の準備を整えて臨んだ結果、
念願叶ってその高校に合格。

僕は晴れて、ずっと憧れていた高校の
吹奏楽部に入部したのでした。

「ついに、理想のマーチングができる!」

しかし、、

実際に入部してみると、
外から見ていた時の印象とは
まったくの別物でした。

部員たちはみんな、理不尽な上下関係と
無意味と思しきルールに縛られていたのです。

みんな強張った表情をしていて、
とても音楽を楽しんでいるようには
見えませんでした。

「この人たちは、ここに
何をしに来ているのだろう?」

自分の価値観を変えたマーチングは、
もっとお客さんを意識していたに違いない。

そう思った僕は、
自分の理想とするマーチングを
別の世界に求めたのです。

その時に出会ったのが
『DCI』でした。

「これだ!!」

それは、小6の時以来の衝撃でした。

この時から僕の目標は変わり、
理想のマーチングを経験するために

「卒業したらアメリカに行く!」

と、周囲に言いふらすようになりました。

担任の先生にも自分の進路を伝え、
進学も就職もせず、フリーターとして
卒業することを許してもらいました。

高校を卒業して1年後、
僕は宣言通りアメリカに行きました。

参加したのはトップレベルのチームではなく、
自分の希望するパートでもありませんでした。

それでも、毎日のように本番をこなしたり、
世界一のドラムラインを間近で見たり、
日本ではできない経験を積むことができました。

「次のシーズンはもっと上を目指そう!」

そう思っていましたが、
次のシーズンのオーディションには合格できず…

途方に暮れていた時、
オーディションの時に知り合った友人から
メールが届きました。

「浜松で新しいマーチングバンドができるんだけど、
一緒にやらない?」

熊本から浜松に移住するのには
さすがに躊躇しました。

ですが、当時僕が憧れていた人が
スタッフにいると聞いて、
最終的に移住することを決断しました。

「浜松でやるのは21歳まで!」

そう決めていましたが、
素晴らしいスタッフ陣から受ける指導と、
そこで出会った人たちとの日常が楽しく、

「もしかしたら、ここでなら
理想のマーチングができるかもしれない」

そう感じた僕は、
地元に帰るのを先送りにしました。

それから数年、僕は
理想のマーチングを求めて
楽しい時間を過ごしました。

嫌なこと、辛いこともありましたが、
徐々に実力をつけ、全国大会に出場し、
たくさんの人たちから注目を集めるまでに
チームは成長を遂げました。

しかし、、

29歳になった年、僕は
これまでにしてきた人生の選択を
深く後悔しました。

「自分は好きなことしかやってない」

僕はずっと自分の理想を求め、
人生の選択を、すべて
マーチングを基準に考えてきました。

それが30歳を目前にして、
急に

『将来に対する不安』

が僕を襲ったのです。

周りを見回してみると、
みんなは自分の将来のことを
ちゃんと考えていました。

ほとんどの人は就職活動を経験していて、
ちゃんとした会社や病院など、
僕には手の届かないところに就職していました。

歳が近い人たちはどんどん結婚していくし、
マーチングをやってない時間は
別の趣味をして楽しく過ごす人もいました。

若いメンバーを見ても、
「看護師になります」など、
明確に将来の仕事を決めて
進学している人がたくさんいました。

かたや僕はというと、
マーチングのためにお金を稼ぎ、
マーチングのために住む場所を選び、

これで「指導やってます」とか、
「ディ○ニーのパフォーマーです」
とかならまだわかります。

でも、僕は指導者ではなかったし、
浜松にはデ○ズニーもU○Jもありません。

僕の職業は引越し屋でした。

高卒の僕には
身に余る収入をもらっていましたが、

「40歳になっても続けられるか?」

と考えた時、
答えは「NO」でした。

ですが、この年になったらもう
何をどう頑張ったらいいかわかりません。

以前、「将来のことも考えなさい」と言われ、
その時すぐにそちらを選んでおけば
こんな思いをしなかったかもしれません。

これまでの選択を否定したくなかった僕は、
どうやったら世間から認められるか?を考え、

「そうだ、起業しよう」

と、まるで京都にでも行くようなノリで
お金を稼ぐ方法について勉強し始めました。

「これで上手くいけば
マーチングも続けられる!」

もちろん、そんな都合良くいくはずもなく、
その年の全国大会を最後に、
僕はマーチングをやめました。

〜自分を見失った男の末路〜

「お金が稼げるようになれば、
きっと不安はなくなるに違いない!」

そう信じていた僕は、
マーチングをやめたあと
ずっとお金を追っていました。

お金を稼ぐための知識を漁ったり、
30万円はたいてセミナーに参加したり、
勤めていた会社を辞めてみたり…

その結果、収入がなくなるのを恐れ、
血迷ってネットワークビジネスに手を出し、
すぐに嫌になって辞めてしまい、
ただ無駄に時間とお金を失ってしまいました。

気がつけば、勉強するのも嫌になり、
1日中YouTubeを見て過ごす日々が
2週間も続いていました。

「もうダメだ…」

生きていくのが辛くなった僕は、
逃げるように浜松を離れ、実家に帰りました。

が、実家に戻っても気力が戻らず、
ハローワークに行っても
やりたい仕事など見つからない…

気がつけば、ニート生活が
3ヶ月以上も続いていたのでした。

「もう、うんざりだ!」

自分は世の中の
何の役にも立っていない、
まったく無価値な人間だ!

そんな自分が心底、嫌になりました。

「何でもいいから、誰かの役に立ちたい!」

ここまで追い込まれて、ようやく
お金の呪縛から抜け出す決意が固まりました。

〜どん底で見た希望の光〜

すると、その後すんなりと就職でき、
それから間もなく、今度は
和樹(代表)から電話がかかってきました。

「ジュニアバンドの立ち上げを
一緒にやってもらえませんか?」

僕はこれを引き受け、この時から
和樹と活動を共にするようになりました。

といっても、僕にできることなど
ほとんどありませんでした。

唯一、集客や広告に関する知識だけは
メンバー募集に使えるかもしれないと思い、
僕は広報としてSNSの投稿を担当しました。

しかし、その結果は悲惨なもので、
ただの1人も集めることができませんでした。

でも、和樹はその結果や
僕の失敗などには一切触れず、
常に前を向いていました。

普通なら諦めてしまいそうですが、
そんな気配は少しも感じられなかったのです。

和樹の勢いは、
新型コ口ナが流行してからも変わらず、
しばらく連絡が途絶えたかと思うと、

「一般のマーチングバンド立ち上げます!」

と、また新しい挑戦を始めました。

そしてABYSSの活動は、その連絡から
1ヶ月も経たないうちにスタートしたのです。

僕は和樹の熱意に負けじと、
ひたすら自分にできることをやり続けました。

どうすればABYSSの魅力が伝わるのか、
その方法を和樹と一緒に考え、
できる限りの手を尽くしてきました。

やりすぎてメンバーに負担をかけてしまい、
「本当に申し訳ないことをした」と
反省したこともありました。

それでも、メンバーを増やすどころか
見学者の1人も呼ぶことができず、
何をやっても成果に繋がりませんでした。

ただ、そんな状況でも
練習に参加してくれるメンバーや、
応援してくれる人たちがいることが
心の支えとなっていました。

と同時に、ABYSSに関わる
すべての人たちに

「最高の1年を届けたい!」

そう強く願うようになりました。

そして…

〜本当の自分との再会〜

2021年1月10日(日)

僕は10年ぶりに、母校の演奏会に
OBスタッフとして参加しました。

ABYSSのこともありましたが、何より、
例年通りの活動ができなかった後輩たちに
何かしてあげたいという思いが強くありました。

僕は客席の案内係だったので、
運よく演奏会を通しで見ることができました。

10年ぶりに母校の演奏会を見た僕は、
自然と胸の奥が熱くなり、

「なんか、いいなぁ」

と思いました。

後輩たちが情熱を注いできた1年間が
そこに凝縮されていて、
彼らがとても輝いて見えたのです。

後日、演奏会を見に来ていた和樹と
そのことについて話すと、
和樹もそのように感じたと言っていました。

「きっと、ここに何かある」

そう思った僕は、
それからしばらく考え込みました。

「後輩たちの演奏と同じように、
自分が思わず見てしまうものは何だろう?」

そう思い返してみると、
僕は20代後半になってから、
箱根駅伝や高校野球などに思わず
心を奪われていたことに気づいたのです。

若かった頃はまったく興味がなかったのに、
どうして、歳を取ってから
それらに惹かれるようになったのか…?

『なるほど!そういうことだったのか!!』

この瞬間、僕は長い間ずっと
求めていたものの正体に気づき、
これまでのすべての経験が

「バチッ!」

と、ひとつに繋がる感覚を得ました。

僕はマーチングが好きですが、
本当にやりたかったのは

「人の心を動かすこと」

であり、そして、
人の心を動かすものの正体は

『人が何かに“本気”になる姿』

なのだと気づいたのです。

振り返ってみると、
高校を卒業して間もない頃は
お金を稼ぐことも本気でやっていました。

会社の役に立つように、
周りの人が少しでも楽になるように、
自分の持てるエネルギーを全力で注いでいました。

僕は以前、そういう生き方を
特に何も考えずにしていたのです。

でも、25歳くらいになると、

「好きなこともいいけど、
ちゃんと将来のことも考えなさい」

と言われるようになったり、

「年収○百万以上は欲しいよね〜」
「30前には結婚して所帯持って…」
「二次会でディ○ニーのチケット当たった!」
「私も一眼レフ買った」
etc…

たくさんの価値観に触れ、それに染まり、
自分でも気づかないうちに、
本当にやりたいことや、本気になることを忘れ、
楽をすることを選ぶようになっていたのです。

本気でいる時間が減り、
次第に冷めていった心を
もう一度、熱く燃やしたい…

何かに本気になれる若い人たちが
羨ましくて、眩しくて、
自分もそれを思い出したくて、

だから、彼らのそんな姿に
心惹かれていたのだと、
そう確信しました。

「人の心を動かしたい」と思っていたこと、
「本気の姿」がそれを可能にすること。

たったそれだけのことに気づくために、
僕は22年間という莫大な時間と、
たくさんのものを失ってきました。

ですが、その“気づき”は、
僕がこれまで歩んできた人生の
すべての経験を繋げてくれました。

逆を言えば、
これまでの経験が何ひとつ欠けても、
それに気づくことはできなかったでしょう。

だから、僕にとっては
どの経験も無駄じゃなかったのです。

まだスタートラインに立ったばかりですが、
僕はABYSSの一員として、
記事を書くことで、一人でも多くの人の
心を動かしていきたいと思います。

〜本気になることを忘れないでほしい〜

僕は社会人になって、
いろんな価値観に影響を受けた結果、
自分を見失い、
本当に苦しい思いをしてきました。

ですが、和樹と出会い、
彼が本気で取り組む姿に感化され、
いつの間にか僕も本気になり、
一緒に取り組んで来れました。

もちろん、その間
辛くなかったとは言いませんが、
そこに一切の不安はありませんでした。

それに、どんなに先が見えなくても、
本気で取り組めば道は開けますし、
最後には必ず希望の光が差し込みます。

だから、どうかあなたも、
本気になっていた時のことを
忘れないでください。

いついかなる時も、目の前のことに
本気になって取り組んでみてください。

立ちはだかる壁に、
本気で立ち向かってみてください。

でも、もし
本気で取り組み、向き合った結果、

「こんなの絶対に無理だ!!」

と感じたなら、その時は
退くことをためらわないでください。

大事なのは、

『その時、あなたはどう感じたか?』

です。

冷めた心では、
何も感じることができません。

心の声を聞くために、
本気になることを忘れないでください。

あなたにとって
本当に大事なものを見失わないよう、
心の声に従って道を選択してください。

今まで過ごしてきた青春の日々と同様に、
これからのあなたの人生が
輝かしいものになることを心から願っています。

最後まで読んでいただき、
ありがとうございました。

The ABYSS 海月(かいげつ)

追伸:
もし、この記事を読んで
何か感じるものがあったなら、
ぜひ、あなたの仲間にも
シェアしていただけると幸いです。

追追伸:
今後も大事なメッセージを届けていきますので、
興味がありましたらLINE公式アカウントの
友だち追加をお願いします。

The ABYSS LINE公式アカウント
https://lin.ee/8N3Zehp

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?