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台湾で最も尊敬されている日本人

台湾はなぜ日本に優しくしてくれるのか?
その裏にあった日本人の物語

台湾で最も尊敬されている日本人
”八田與一(はったよいち)”

当時、台湾の農民たちは
水不足に悩まされながら、
貧しい生活を送らざるを得ませんでした。

八田さんはそのダム工事の指揮をとりました。

女性と子供は労働力にならないから
いらないと言われていた中、
八田さんは現地で働く人のために
家族が一緒に住める宿舎を提案し、
町を造りました。
そこには学校や病院、映画館、
テニスコートなど娯楽施設も
充実していたそうです。

上からではなく、
同じ目線で働く八田さんに
台湾の人たちは
次第に心を許すようになっています。

しかし、1923年に関東大震災が起こり、
ダムのお金は大幅にカットされてしまいます。
そのため、
上からは台湾人の半分をクビにして、
ダム建設を続けてほしいと言われました。

しかし、八田さんがクビにしたのは
ほとんどが日本人でした。

なぜ?

日本人は日本でまた仕事ができる。
でも、ダムを使うのは台湾人なのだから、
あなたたちに自分達でダムを造ってほしい。

それが八田さんの願いでした。

大きな事故がありながらも、
1930年にダムは完成し、
台湾は緑豊かな地に生まれ変わりました。

多くの支配国は植民地にした
国民を奴隷のように扱い、搾取しました。
しかし、八田さんは現地の人に寄り添い、
同じ目線で
一緒に苦労しながら奪い取るのではなく、
自ら苦労を率先し、
与える精神で国を豊かにしました。

アメリカ軍によって
八田さんの銅像は
壊される危機がありましたが、
現地の人たちはその銅像を隠し持ち、
戦火が収まった後に元の場所に戻しています。

それほどまでに、
八田さんは台湾人から大切にされていました。

一人の日本人の台湾人に対する愛情が
台湾が最大の親日国へと変えました。

八田さんは
日本の教科書には載っていませんが、
台湾の教科書にはちゃんと載っています。

愛があるからこそ、
たくさんの人に慕われます。

相手を大切にするからこそ、
自分も大切にされます。

台湾でそれだけ
慕われている日本人がいたことを、
私たちも心に留めておきたいですね。
この優しい日本人の心を
どうか忘れないで下さい。



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