イチゴのたね#1「イチゴの種」
"イチゴの種は表面にあるものではないという。これはもう当然の様に知られた話である。では種はどこにあるのか。それは私たちが種だと思っていた表面の粒々のそのまた中に存在するという。私たちが種だと思っていたものは実は果実だったのである。"
初めまして。大学1年生のStomuです。
普段は文章をまるで書かない人間なもんですから、今もキーボードを打つ手は震えています(笑)
さて、導入は少し雰囲気の違う文章になっていますが同一人物が書いたものです。私はイチゴの種というものが大好きです。食べるのが好きという意味ではありません(でもイチゴは美味しいですよね。大好きです笑)。これはものの考え方・見つめ方の示しのようなものだと思っているからです。
まだまだ二十歳手前ですがそれなりに前向きに世界を見つめてきました。意外と正解のあるものが少ないんですよね。間違いなのは分かっているけど一体どうすればいいのかは分からない、そんな経験ばかりしてきました。常に選択を迫られるのがきっと人生の正体なのでしょう。
そんなときに「イチゴの種」という言葉を私は思い出すのです。
『物事の真実は実はすごく近くにある。正解だと思っているものが間違いなこともあるし、その間違いの中に正解があることもある。』
こんな風に私にいつもアドバイスをくれます。迷いも間違いも選択肢がたくさんあるときに自分の現在地や進むべき方向が分からなくて陥るものだと思っている人はたくさんいるでしょう。でも本当は一つしか見えないのにそれが信じられない時ほど迷いも間違いも生まれてると私は思うのです。
「イチゴの種」という魔法の言葉はそんな時に色んな視点で見つめなおし、考え直す機会を自身に与えてくれます。だから私はこの言葉が大好きです。
これから若干二十歳の小生意気な大学生が自身の立場から見た世界を、人々をここに書き綴れればと思います。