イチゴのたね#5「SNSのゴールド免許」
"無事故の証・ゴールド免許
無事故の人は事故を起こさないはもちろん、貰い事故も無し。
そう、受け手の能力が高いことを示してもいるのである。"
こんにちは。大学1年生のStomuです。
先週、成績発表がありまして晴れて春からは大学2年生です。いよいよ20歳を迎え大人になってしまいますね。
さて、私たちはもう生活の中に「SNS」を欠かす事は難しくなっています。下手したらSNSのせいで夜更かしっ!なんてこともあるかと思います。
ところで皆さんはSNSをどっちの立場で使っていますか?
①独り言を吐き出す場として使っている
②誰かへのメッセージを込めて発信している
あんまり意識した事ないですよねー。
私も「今誰に向けて発信してる?」とふと我に返った時に発見したことです。
あまり意識しない事だなとは思いますね。
でもこれがSNSと付き合う上でなかなかキーポイントになっているような気がしてならないのです。
なぜなら、
『それぞれが別の認識で使い続けている』という土俵に無秩序は付き物だからです。
例えば、車を運転する上で左側通行は日本においてルールで定まってます。そういう認識をしているのです。ですが、海を渡ってしまえばその認識は通用しません。逆走で突っ走って事故不可避です。
その場のルール、いわゆる共通認識が事故も衝突もトラブルも抑止してくれていると考えることができます。
『じゃあSNSにもその共通認識を作ろう!』
と意気込みたいところですがそれはどうも厳しそうです。
今やTwitterでのツイートは呟きの範囲を超えてしまっています。
140字に意味も意思もてんこ盛りにすることは我々人類には容易だったみたいです。
言語って素晴らしいですね(すっとぼけ)
ようは、つぶやく人もいれば大声上げる人もいるという環境が出来上がっているのです。
それがダメなのではありません、むしろ正常なのです。
だからこそ、このカオスを生き抜くには我々はその情報にいちいち耳を傾けなくて良いのです。
また車のように国境のような境界線を引くのも難しいです。SNSには拡散性がありますから。
彼らの最も強みであるアイデンティティは無秩序を良しとすることでしか活かすことは出来ないのです。
結論としては、SNSの扱いは実は発信者よりも受け手の技量を上げなければならないということです。
「こいつは独り言を言ってんのか?」
「それとも叫んでんのか?」
こんなスタンスで流す能力は必要不可欠です。
事故を避ける能力といいましょうか、過度な感受性は時に心を疲弊させます。
きっとこれが出来たらSNSを運転する免許証を取ることができるのでしょう。
SNSでも「かもしれない」が注目されるのもきっと時間の問題なのかもしれないですね。
みなさんもどうかSNSに真面目に向き合うことなく、ゴールド免許でいてくださいね。