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「『愛』という名のやさしい暴力」を読んで(読書感想文#5)
今の私に、いい本を選んだ気がする
愛着障害への関心から、依存・機能不全家族に興味が拡がり、斎藤学先生の「『愛』という名のやさしい暴力」を読みました。今の自分にちょうど良かったようで、気づきがたくさんありました。
正直、心理初学者には前提知識が足りない部分があったので、半分も理解できていないかもしれないけれど、数ページずつのエピソードになっているので非常に読みやすかったです。
一方で興味を持った項目については、「もっと聞きたい」と思ったところで次のテーマに移っていく印象なので、ここを入口にして著者の引用文献にあたっていくと良いのかなと感じました。
依存症は表の自分とのバランスを取るためなのかなぁ
私がこの本で特に知れてよかった点は、社会に適合しようと頑張る成功依存症と、摂食障害が繋がっているということ。そして、パワー依存症がアルコール依存に繋がっているということ。いずれも、支配や夢を保証するパワーを摂食・アルコール等に求めるということなんですね。自分は無力だということを認められないと、バランスを取るための依存症を手放せないんだなぁと思いました。
怒りを適切に表現することの大切さ
「ACの自助グループ等って、なぜあるのかな?」と思っていたのですが、自分の怒り等を適切に人に話せること、聞いてもらうことが回復の道筋だということが良くわかりました。
安全な場で、当事者同士が話せる場を持つことで、自分の力で解決したり、他者の力を借りやすくなるということ。なるほどなと思います。
いい面しか見せようとしない私を卒業しよう
私自身も、良い人でいようとしすぎて疲れてしまうことはあります。こういった表現の場でも、人を怒らせたくない・嫌な気持ちにさせたくないという想いが非常に強かった。だから、いいことしか言わない、書かない。結構そうしてきた気がします。
だけど、それは行き過ぎると、そういった気持ち自体を抑圧してしまう。それは、そういう感情がある自分を否定することになる。だから、「怒りや違和感などの意見を、適切な形で表現できる」ということも大切なんだな、と初めて気が付きました。
自分たちで安全に表面を認めあえる場をつくっていきたい
アルコール依存であれば自助会で話す場があるかもしれないけれど。私のような特に病名のない人間も、そういった意味で表現を認め合う場が必要だし、場がないので自らやっていく必要があるのだろうと思います。だからnoteを書き、自己表現について向き合い続けている気がします。
そうして、ナラティブセラピーにも興味が湧いてきました。また深めていきたいと思います。
みんなこういう道はもっと早く通っているのかな?
私は30代にして、やっと内面の成長に取り組んでいる感じがします。
まぁ成長しがいがあるということにしておいて・・・
ここまでお読みいただきまして、どうもありがとうございました。
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