共に生きる
子育て20年
まがりなりにも保育士という資格を取得してから20年、ちょうど長男が成人したから親になってからも20年が経った。そんな節目の年に子育てとは何かと考えてみる。いやこのテーマは保育士になる時、親になった時からの命題みたいなもので常に考え、常に思ってる事かもしれない。それは仕事に家庭に生活と密着した事柄だから。
子育てとは
まず子育てって何?って事になる。子を持つ親なら当たり前のように使われる言葉。辞書を引くと「子供を養い育てる事」となっている。さていきなり否定的ではあるが私自身大袈裟に言ってしまえは子育てなんてないと思っている。いやいやないなんて事ある?子どもって一人で生きていけないじゃん?って思う人もいる。至極真っ当な意見。でも子育てなんて私はないと思っている。詳しく言うと子育てはないが子育ちはあって赤ちゃんは生まれたてではまだ人格さえ形成されていないのに生きるために主体性をもって生まれてくる。この主体性を持ってすれば成長していける。親もしくは周りの大人はその主体性の邪魔にならずにサポートできるかが鍵になってくると考えている。つまり「もー私がいないとなにもできないのねー」の子育てではなく、子どもがいま何を獲得する為に何を求めているかそれに対してさりげないサポートをさせていただきます。ってスタンスなんです。
つまり「親が子育てする」より「子ども自身が育つ」の子育ちと言う言葉の方がしっくりとくると言うわけなんです。
親育て
子育て(育ち)は親育て(育ち)なんて言葉を聞いたことがありませんか?子供が生まれてやっと親も親になれる。もちろん親になる人間は子供より年齢も高く人生経験豊富なのですが親の経験はゼロそれは第一子のみならず第二子でも第三子でもその子の子育てに関しては経験ゼロなのです。変な話ですが第一子での反省を第二子に生かすなんて事を聞いたことがありますが一人一人違う人間。遺伝的なものや同じ環境で生まれ育っても感じ方や行動は違うものになるはずです。その子その子にあったサポートの仕方も違ってくるでしょう。子育てをしているつもりが親も育ててもらってるのです。だって生まれ育った時代が違うんですよ?今までの経験なんてなんの役にも立ちません!は言い過ぎかもしれませんが当たらずも遠からずなんです。
子育ては大変
「子育ては大変だ」これもよく言われる言葉ですがそもそも子育てなんてないと仮定し「子育て(育ち)」の部分を「親育て(育ち)」に変えてみましょう。「親育て(育ち)は大変だ」それはそうです。何事も初めてのことでわからないことだらけ大変以外の何者でもないです。ただ目には直接見えないけれど確実に存在する成長を感じることの幸せがあるのも事実でそれを楽しみにしていると言っても過言ではありません。
共に生きよう
よく子供に「もしそんなことされたら自分も嫌でしょ?」なんて叱ってませんか?「ダメダメダメそれは間違ってるよ」「なんでそんな事もできないの?」「何回言ったらわかるの?」…子供に言ってる言葉をそっくりそのまま自分に向けてみましょう。そんな言われ方して納得できる?なんてことをよく子供に言ってしまってることってあります。否定されていい気持ちになる人はいないでしょう。
子育てが大変なこともわかります。全てにおいて余裕がなくなるのも。だからこそ子供も親も一緒に育ち認め合い共に生きる道を選べたらなーと常日頃思ってるわけです。昨日より今日、今日より明日きっと成長しているはずです。親も子もそれぞれのペースで。
おまけ
思っててもなかなか難しいものなんですがねー(笑)
ちなみに当たり前ですが保育園での子供に対する姿勢と我が子に対する姿勢にはズレがあります。保育士としてはプロ意識があっても親としは永遠にアマチュアなんですよねー。