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放浪記録(Boston⑥)何者でもない私。

もしもあの時に行動していなかったら、ずっと日本にいたら、良くも悪くも今の生活はない。

私がボストンですごしたのはたった2年間。

勉強しかしなかった。

朝5時に起きて勉強から始まり、授業が午後3時半か4時頃終わる。
スタジオに行って歌の練習、レッスン
家に帰って授業の復習、宿題はだいたい出されたトピックに対するスピーチ原稿を書くことと、文法に関する問題に、長文読解、そして予習をしなければ次の日の授業についていけない。
なかなかな量を勉強しなければならなかったけど、勉強は好きだから夢中だった。

歌を歌う事によって、本当に多くの人々と交流する機会に恵まれた。
歌う経験もとても大きな出来事だったけれど、そこで出会う人々との交流から得る学びの大きさは、言葉にできないほどの経験値として今の私の在り方に影響を与えている。
異業種、異文化、異言語が入り乱れる環境で過ごすことの大切さを身を持って思い知らされた。

そして、もっと遊べばよかったかなとも思う。

子供が遊びの中から多くを学んでいくように、大人だって遊びの中でしか得られない貴重な経験は多々ある。しかもその時にしか経験できない環境もある。
後悔はしないと決めているが、本音はちょっと後悔してる。
まじめが全てではないなと。

何事も人に認めてもらえなければ始まらない。

その事に気づくのも遅かった。

とにかく勉強して、技術を上げて、少しでも良いものを人々に届けられる人になれば、仕事につながると思っていた。

コンクールを一度も受けた事がない。

世間知らずの未熟者なりに、色々と疑問に思う事があった。
そして単純に自分に実力がないという事を自覚していたので、自分はまだまだ修行をして、良い歌が歌えるようになればコンクール経験がなくても大丈夫だ、と思っていた。

甘い考えを平気で信じてた。

どアホ。

そういう事に気づかないまま、ひたすら勉強する日々をその後ずっと送る事になる…
ニューヨークで大学へ行き、ヨーロッパでも音楽院へ行き、勉強しまくるのです。

ただ私は土壇場で運が良い。

私の歌を気に入ってくれる人に巡り合い
舞台で歌わせていただく機会をいただけた。
しかも定期的に出会う。
運の良さには感謝しきれないほど助けられた。

何者でもない私。
いつもフラットでいる。

学びは一生続く。

放浪記録
呼んでくださってありがとうございました♪
ではまた次回…

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