世俗的なイベントに乗っかる理由

正月、節分、バレンタイン、ひな祭り、花見、母の日、父の日、七夕、盆踊り、花火大会、月見、ハロウィン、もみじ狩り、クリスマス、年越しなどの季節的なものから、誕生日、記念日など人にまつわるものまで、世俗的なイベントには極力乗っかるようにしている。

実際そういうイベントが好きなのかと言うと全然そんなことはなく、むしろ嫌い寄りである。企画するのも実行するのも面倒だし、とりたてて楽しいわけでもない。企業の金もうけに使われている愚民、という意見も大いに理解できる。

ではなぜ乗っかるのか。それはイベントを名目に、家族や友人、ひいては社会と関わるきっかけを作る、そして人生を楽しむ可能性を広げるためである。人間が社会的動物である以上、他者との関係を絶つことはできない、ならば積極的に関わっていこうではないか、という考えだ。

一部、斜に構えてその手のイベントをくだらないものだと冷笑する勢力に対するアンチテーゼの側面もある。いいから、とりあえず乗っとけって。ウェーイ!しとけって。ニヒルなオレかっけー、いや全然カッコよくないから。虚無なだけやから。伝統的な日本人として、たまには古来からの風習に倣ってみるのもオツなものだぞ。ハロウィ…まあそう堅いこと言うな。

変化の少ない、固定化した世界で好きなことだけをして生きていく、それはひとつの選択だろう。ただ、人生を壮大な暇つぶしと考えた時、マンネリ化は避けられない。知見を深め、見聞を広げることで心身に刺激を与え、個体としての密度を高める。餃子の具はギュウギュウの方がいい。

だから、とにかく何でもやってみる。合うかどうかはやってみてから判断する。生活圏内、徒歩と自転車で全てが事足りていても、選択肢を増やすために車は手放さない。食わず嫌いは悪、まずは食べる。1回じゃわからないから、3回は食べる。それでもダメなら諦めるべし。

閑話休題。世俗的なイベントは時が過ぎれば向こうから勝手にやってきて、何かしらの機会を与えてくれる。例えば、普段は滅多にうなぎを食べない人も、今日は土用の丑の日だからいっちょ奮発するか!となることもあるだろう。会社の同僚と花見でどんちゃん騒ぎするもよし、老年の両親ともみじ狩りするもよしだ。

年をとって人生を折り返し、お祭りへ行っても子どもの頃のように心が躍ることはない。しかし、30代、40代、50代、いくつになってもそれぞれに別の気づき、学びがある。世俗的であろうが何であろうが、そのきっかけを作ってくれるのだから、乗らない手はないだろう。

さあ、次はクリスマスだ。(うまいこと締めて満足げ)

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