松葉杖生活にまつわる思い出⑤
④では、松葉杖生活の注意点およびストレスについて書いた。最終回は松葉杖を卒業する前後の生活を述べる。グッバイさよなら再見アディオスまた会う日まで。また会わなくてよろしい。
ギプスにかかとが付く
ギプスを装着して2週間ぐらい経った頃だろうか?もはや忘却の彼方だが、ケガした右足を地面に付けられるように、ギプスにゴム製のかかとが装着された。今まで左足にのみかかっていた荷重が若干分散され、楽になった…かどうかは全く覚えてない。たぶんまあそんな感じだったろうと想像で書いている。や、なにぶん20年近く前なもんで…すまんの。
あと、電動のこぎりみたいなのでギプスの一部をカットした記憶がわずかにある。可動域が広がり、快復に向かっている実感が得られて嬉しかった…かどうかは全く覚えていない。たぶんまあそんな感じだったろうと想像で書いている。や、なにぶん20年近く前なもんで…すまんの。
ギプスが取れる
ギプスが取れた瞬間、地球に生まれて良かったー!と思った…かどうかは全く覚えていない。たぶんまあそんな感(以下略)
とりあえず、電動のこぎりみたいなのがやけに熱かったことだけは覚えている。や、それはギプスの一部をカットした時もか。記憶が錯綜しているが、まあそんな感じだったと思う。え?松葉杖のネタに飽きて、終わらせにかかってる気がするって?ななな何でわかるん!?きみ、エスパーか何か??
片松葉の真実
というわけで、とっとと終わらせよう。窓ぎわのトットちゃん。実際、ケガが治ってくるのと反比例して、面白おかしい話はなくなっていく。ここからは出がらしのお茶っ葉でうっすいうっすい茶を淹れるような作業になる。
ギプスが取れても、すぐに走ったり飛んだりできるわけではない。まずは松葉杖を2本から1本にし、徐々に通常の二足歩行へ近づけていくという工程がある。ん?ギプスにかかとが付いた時点で片松葉になったんだっけか?マジで忘れた。加齢による脳細胞の減少により、脳が萎縮して記憶が…
とりあえず、良い子のみんなはこれだけ覚えて帰ってくれ!片松葉の場合、松葉杖は元気な方の足側で持つ。これ、宇宙の常識ね。コモンセンスね。人間、歩く時は足を交互に出していく。体重は前にかかるわけだから、ケガした足が前にある場合に杖の支えがほしい。手と足は逆の動きをするので、ケガした足が右なら前の手は左になる。つまり、元気な方の足側だ。
このことを知らない人が本当に多い。筆者は長渕剛の主演ドラマ、しゃぼん玉の第6回で知った。長渕剛がシャブ中の殺し屋に右足を銃で撃たれ、後日石田純一をぶん殴りに行く時に左手で杖をついており、え!?そうなん??とびっくりした。あのドラマを見ていなければ、間違いなく知らないままであっただろう。ありがとう、ポー先生。
松葉杖がなくなってからが本番
ガードレールを飛び越え損ねたあの日から約1ヶ月、ようやく松葉杖なしでも歩行できるようになった。長かった…馬のしょんべん長野県。しかしまだまだおっかなびっくりである。そう言えば、リハビリらしきことを一切しなかったんだが、そんなもんなのか?そんなもんだろう。©シャ乱Q
歩きはじめてすぐ気づいたのは、階段を下りるのがとてつもなく恐ろしいことだ。ケガした方の足が前に出ない!出たとて、踏んばれる気がしない!例えるなら、スキー初心者がゴンドラで上級コースへ連れていかれ、ほれ、滑ってみ!と放り出された時の気持ちに似ている。(実話)
しかし、筆者に恥の概念などない。迷わず階段の手すりにつかまり、ヨロヨロと一段ずつ下りていくのだった。手すりの安心感、パネェ…。結局、機能面で不自由なく動ける状態になるまでは、ここからさらに1ヶ月かかった。馬のしょんべ(以下略)
ケガの後遺症
約2ヶ月で本当の意味での永尾完治、いわゆるカーンチ!ずっちーなーとなったわけだが、その後も長きに渡って患部の違和感に苦しめられた。腫れぼったい状態がデフォルトになって右足だけ靴がきつかったし、ふとした時にシクシク痛んで地味に応えた。聞けば、左手首を骨折したヒデキ・マツイも数年はしっくりこなかったらしい。わかるわぁ〜。(したり顔で)
おわりに
当初はここまでの長編になる予定はなかったのだが、細かいエピソードまで漏れなく書こうとするとどうしても長くなってしまう。尾田栄一郎の気持ちがよくわかった。え?一緒にするなって?や、パズドラは絶対俺のが上手いから!8秒で盤面最大組めるから!昭和の懐メロでイントロドンしたら圧勝できる自信あるから!!!!!
とにかく松葉杖生活はしんどいの一言に尽きる。筆者のようなケガ人に限らず、体の不自由な方、年配の方、妊婦の方ほか、移動に負担を感じている人たちは山ほどいる。そういった方々にやさしい社会となるよう、微力ながら尽力していきたいと考える契機になった。ありがとう松葉杖。そして永久にさようなら。