昭和の思い出④

長々と語ってきたが、昭和の思い出はこれで最後になる。締めくくりは音楽の話。何か忘れているような気もするが、まあいいだろう。


音楽(芽生え)

幼児期はテレビから流れるアニメの主題歌ぐらいしか音楽に触れる機会はなかったが、就学前後に買ってもらった仮面ライダーとウルトラマンのOP/ED主題歌をまとめたカセットテープを鬼のように聴きまくり、歌詞を一字一句覚えていた記憶がある。仮面ライダーならスーパー1、ウルトラマンならウルトラマン80あたりまで、今でもおおむね歌えると思う。幼児の吸収力パネェ。お気に入りを一曲挙げるとするなら、ザ☆ウルトラマンの「愛の勇者たち」になる。あの哀愁漂う感じがたまらない。ささきヅラ…もとい、いさお最高や!なお、女性アニソン歌手なら堀江ミッチー一択である。あの声、天使すぎん?

音楽(歩み)

父はジャズ、母は演歌を長らく好んでいたが、子には全く受け継がれず、ごく普通の庶民としてアニソンやザ・ベストテンに出演するアイドルたちの歌を聴いて育った。当時はテレビとラジカセをライン入力で繋いでカセットテープに録音するのが主流だったが、ひとつほろ苦い思い出がある。ある時、筆者はタッチのOP主題歌を録音しようと19時の放送開始を待ち構えていた。あと10秒…5、4、3、2、1、スイッチON!バッチリや!これ以上ない完璧なタイミングや!…ん?…あれ?や、何か意味わからん曲流れてるんやけど…そう、タッチはちょうどこの日から新シリーズで、主題歌がチェッ!チェッ!チェッ!に切り替わっていたのだった。チェッ(舌打ち)。人生において、後にも先にもこの時以上に鳩が豆鉄砲を食ったような顔になることはないだろう。

音楽(夜明け前)

80年代は聖子、明菜、キョンキョン、おニャン子、マッチ、トシちゃん、ヨッ(略)、シブがき隊と多士済々のアイドルが顔を揃える中、お気に入りはチェッカーズであった。アニソンではない歌手のアルバム的なものを初めて買ってもらったのは、絶対チェッカーズ!!のカセットテープだったと思う。ひとりぼっちのナタリーが好きで、フミヤの歌い方、声の出し方、息づかいを完コピして脳に染み込ませていた。この習性は中年になった今でも変わらず、カラオケでは脳にしかと刻まれたフレーズをトレースして声に出すだけである。この手法は準備に一定の時間を要するものの、曲に忠実で再現性が高く、歌の才能がなくてもそこそこイケる口である風を装うことができるのでおすすめしたい。

音楽(覚醒)

本当の意味で歌に目覚めたのは、家族ゲームで存在を知り、親子ゲームからの親子ジグザグでマッスルスパークした長渕剛である。なぜあんなに熱中したのか自分でもよくわからないのだが、やたらと感情が揺さぶられ、自我の中心にぶっ刺さるようなインパクトがあった。アニソンやアイドルの歌と違い、歌い手自身が曲を書く、心情を描くことによって生まれるバールのようなもの、もとい厚みのようなものが心を震わせたのかもしれない。この感覚はのちにBOOWYで昇華するのだが、それはまた別の話。

長渕剛にハマったのがちょうどCDのレンタルが普及しはじめた頃で、あっという間にほとんどの曲をそらで歌えるレベルに到達した。偏執狂の本領発揮である。しかし、この蜜月は長く続かず、まもなく音楽性の違いにより袂を分かつことになる。これはツヲシに限った話ではなく、そもそも筆者は強い精神性だとか、魂のほとばしりみたいなものを表現しようとする音楽に共感できないのだ。ライブで感極まって泣くこともないし、MC中はいつも半笑いである。できればもっと身近でちょっとしたもの、あるいは都会的でおしゃれなものが良い。尾崎豊最高や!…えっ?何言うてるんこの人。や、尾崎は最高よ。10代の代弁者よ。結局のところ、音楽というのはそれを聴く時期によって、あるいは自身の成長や環境の変化によって、受け取り方が移ろうということだ。ブッチーに沼った自分も、潮が引くように離れた自分も、どちらも噓偽りない本当の自分である。

恐惶謹言 ←使ってみたかっただけ

いいなと思ったら応援しよう!