BOØWYとドラクエ3の話

毛色の違う記事を書きたいと言いつつ、中学校3年の振り返りが3000文字を超えてさらに限界突破しそうな勢いだったので、趣味嗜好に関する内容をのれん分けすることにした。なお、餃子の王将と大阪王将のような敵対関係はない。


暴威いわゆるBOØWY

これまでの人生で最もハマったロックバンドは?と聞かれたら、超ウルトライントロドン優勝者ばりの反応速度で暴威!と答えるであろう。なんやねん暴威って。オレ最初期から知ってるし感出してんちゃうぞ!というわけで、暴威いわゆるBOØWYの話をしよう。

最初のきっかけは大豪院邪鬼・卍丸とゆかいな仲間たちの一員であるセンクウだったかと思う。彼はスラム団地民が大勢を占める中学校では異色の裕福な家庭に生まれ、長身でイケメン、かつ頭脳明晰という一見して非の打ち所がない人間だった。声と話し方が独特なため、残念イケメンに分類されていたところもあったが、スペック的には文句なしである。それがどういうわけかある時期を境に猛烈に荒れ、たけし軍団入りしたらしい。ただ、3年時には不良行為からほぼ足を洗っており、塾通いを再開してかつての学力を取り戻すべく奮闘していた。長らく同じ時を過ごした仲間が落ち着いていくさまを目の当たりにし、大豪院邪鬼は複雑な思いを抱えていたことと思う。

そんなセンクウは音楽鑑賞が趣味で、BOØWYやTHE BLUE HEARTS、尾崎豊など思春期の少年のハートにぶっ刺さるバンドや歌手の曲をカセットテープに録音し、これめっちゃいいから聴いてみ!といつもタダで譲ってくれた。いやいや、タダはいかんて!と金銭もしくは物々交換を申し出るのだが、いいからいいから!と押し切られてしまう。実家が裕福なのを差し引いても、ひたすらサービス精神が旺盛な奴だった。スネ夫の最上位互換と言えよう。

そうしてBOØWYの存在を知ったわけだが、いやーもうずっぷりハマった。おせっせ覚えたての高校生カポーのごとく脳内はBOØWY一色で、頭おかしいレベルで聴きまくっていた。聴き込みの深さと密度で言えば、北河内の中学生で3本の指がアソコに入っ…もとい、3本の指に入っていただろう。ナイナイの矢部がカセットテープの両面にMarionetteだけを録音し、ドライブ中エンドレスに流していたという逸話があるが、わかりみが過ぎる。BOØWYの楽曲はそれほどまでに中毒性が高いのだ。泣き顔でスマイル~すりきれてシャイン~踊るならレイン~、って意味不明すぎる!だがそれがいい。

そして、ヒムロックのカッコよさがとにかくエグい。見た目、所作、声、全てに色気があって、どことなく在りし日のジュリーを思わせた。藤島ジュリー景子ちゃうで。その存在感はサイレンススズカの金鯱賞なみにぶっちぎりで、2013年のバレンティンなみに際立っており、ルフィをも凌ぐ覇王色の覇気を身にまとっていた。氷室の前に氷室なく、氷室の後に氷室なしである。LAST GIGSでCLOUDY HEARTのイントロ直前に、ヒムローッ!と叫んだ人は元気だろうか。

ドラクエ3と親友と牛乳と

人生で最もハマったロックバンドがBOØWYだとしたら、最もハマったゲームは初代のドラクエ3一択である。ガチ受験ロードのさなか、隙あらば野間、もといドラクエ3をプレイしていた。周囲のゲーム好きと比較しても、相当やり込んでいた方だと思う。一体どこからそんな時間を捻出していたのか、今でもよくわからない。ドラクエ3はランシールバグ、棺桶バグをはじめとする数々のバグ技、裏技の宝庫だったが、雑誌に出る前から自力で見つけていた技もあり、俺は絶対に時代の先端を走っている!という謎の自負があった。屁のつっぱりはいらんですよ。

しかし、ドラクエ3では人生でもワースト3に入る苦い経験をしている。それは天塩にかけて育てたパーティーが、冒険の書が、ある日突然跡形もなく悠久の彼方へ消え去っていたことである。それまでも何度か消えたことはあったが、3つともザ・ハンドで完全に削り取られたのは初めてだった。本体のリセットボタンを押しながら電源を切る、接触不良を起こさないようカセットを極力抜き差ししない、どうしても必要な場合は端子部を息でフーフーしてホコリを除去する、など細心の注意を払っていたのだが、それでもガオン!と暗黒空間に飲み込まれてしまった。最も育成に手間がかかる賢者のレベルが70を超えており、そこに費やした労力が一瞬にして水泡に帰す…喪失、絶望、虚無、生きることの儚さを知ったのだった。

そしてもうひとつ忘れもしないのは、日本シリーズで王貞治に逆転サヨナラ3ランを打たれた山田久志のごとく呆然とうなだれる筆者を尻目に、幼なじみの友人がレベル1からゲームを再開し、スライムをはじめとする雑魚敵をせっせと倒していたことである。奴は今でもつきあいのある親友だが、この時、こいつは本当にすごい!誰よりも並外れた、スーパーカリフラジリスティックエクスピアリドーシャスなメンタルの持ち主だと畏敬の念を抱いた。しゃーない、次いこ、次!という切り替えの早さは見習うべきもので、自分の原点ともなっている。

もう一点、奴は牛乳を飲むスピードが当代随一であった。それはもう尋常ならざる速度で、もし牛乳星人がこの星を侵略せんと攻めてきたら、地球代表はこいつしかいないと思われた。小学生の頃、何人もの牛乳自慢が勝負を挑んだが、それらをことごとく、圧倒的な差で跳ね返していた。その無慈悲なまでに他を寄せつけない圧巻の強さは、さながらラオウのようであった。あの時のきらめき、まばゆいまでのオーラ、強者の佇まい、他の誰が忘れようとも、俺だけは忘れない。いつか奴のビブルカードが燃え尽きる時、もし自分がまだ生きていたら…最後にこう言うだろう。「お前、ほんまに牛乳飲むの速かったよなぁ」と。


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