昭和の思い出①

中学校の話をする前に、番外編として子どもの頃にハマっていた遊び、好きだったアレコレについてまとめておく。昭和後期の話につき、タイトルは昭和の思い出とする。


むかし遊び

いわゆる電子ゲームが登場する前は、昭和の子どもらしくベッタン(メンコ)、コマ回し、紙飛行機などでよく遊んでいた。特にベッタンは団地内でブーム化しており、お互いの手駒を奪い合う仁義なき戦いが繰り広げられていた。表面にアニメのキャラがプリントされているのだが、ガンダムが圧倒的一番人気を誇り、次点がマクロス、ハズレ枠はイデオンであった。遊び方としては地面に叩きつけてひっくり返す、台の上から落とす、靴を当てて遠くに飛ばすの3パターンだったかと思う。

コマ回しも相当やり込んだ。昔ながらの遊びであれば、けん玉の方がメジャーな気もするが、うちの地域ではなぜかコマ回しが主流だった。ひもかけ手のせ、つばめ返し、綱渡りなど、色んな技を覚えて悦に入ったものだ。

最もハマったのが紙飛行機で、距離を出す形と滞空時間を伸ばす形の両方を研究し、高学年になるまで暇さえあれば飛ばしていた。しかし、その研究成果はポーネグリフに刻まれ、今となっては知る由もないのであった。

ゲーム&ウオッチ

我々世代で電子ゲームの走りと言えば、任天堂のゲーム&ウオッチである。最初の出会いは年長のいとこ宅で、オクトパス、ポパイ、ミッキーマウスなどを触らせてもらった記憶がある。このいとこ宅はとにかくおもちゃ類が豊富で、当時の筆者にとってはさながら宝島のようであった。電子ゲームだけでなく、ボードゲーム、ラジコン、漫画とさまざまな扉を開けてもらい、とても感謝している。ちなみに、いかがわしい世界を初めて知ったのもここである。いとこのベッドの下に、あんな雑誌やこんな雑誌が…ゴホンゲフン。

ゲーム&ウオッチの話に戻るが、新たに発売された上下2画面のドンキーコングは非常に画期的で、周囲を熱狂の渦に巻き込んでいた。しかし、斜に構えたひねくれ逆張りマンの筆者はなぜか少数派のオイルパニックを選択してしまい、みんなの輪に入れず後悔するのだった。

ファミコン初期

ファミコンとの出会いは前々回の記事で述べたので、ここでは割愛する。ファミコン購入後、年に1~2本のペースで新しいソフトを買ってもらっていたが、中でも「F1レース」と「チャンピオンシップロードランナー」が強く印象に残っている。

F1レースは何と言っても416kmを超えた後のターボ化だろう。これがもう激烈にムズく、コントローラーをぶん投げたくなる衝動と親指の疲労に耐えながら、何度もチャレンジを繰り返したものだ。

チャンピオンシップロードランナーは難易度が完全にバグっており、特に31面はカタストロフ級の極悪ぶりで、全世界のロードランナーファンを悶え苦しませたと言っても過言ではない。筆者は15面で沼ってしまい、ワラをもつかむ思いで相談した同級生にウソの攻略法を教えられ、人間不信に陥りかけた。死ぬまでホイールなしマウスの刑に処してやりたい。

スーパーマリオブラザーズ

ファミコンソフトの歴史を語るうえで、スーパーマリオブラザーズを外すわけにはいくまい。初代マリオがPAUSEボタン連打で地面にめり込ませるぐらいしか楽しみがなくなった頃、スーパーなそいつは登場した。当初はマリオの新作出たらしいでー、へーそうなんやー、程度の熱量だったのが、あっという間に日本中を席巻し、一大ブームを巻き起こしたのである。それがどれほどの衝撃だったかを言葉で表現するのは難しいが、例えるならば、全盛期の室伏広治をビーチフラッグスとガロンスローで圧倒する一般人が現れるぐらいの衝撃であった。

スーマリはそのゲーム性もさることながら、裏技、バグ技の存在がハートに火をつけた。無限UP、ちびファイア、ワープ、壁抜け、ポール越えと技の数々は枚挙にいとまがない。中でもテニスと組み合わせたバグ技に好奇心をくすぐられ、テニス所持者をあちこち探し回ったのが昨日のことのように思い出される。ファミコンの人気を不動のものにしたのは、スーパーマリオブラザーズ、そしてドラゴンクエストで鉄板だろう。

ドラゴンクエスト

ご存じ、RGPの火付け役である。発売当時はみんなRPGに馴染みがないこともあって、何かようわからんゲーム出たけど、おもろいんか?ぐらいの空気感だったと記憶している。ドラクエは制作陣に週刊少年ジャンプ関係者が多く、当然存在は認知していたが(ジャンプについては次の記事で語る)、直接のきっかけは団地の同じ棟に住んでいた同級生であった。この友人はMSX(パソコンの走り)を所持するなど誰よりもゲームに精通していたのだが、センスの差が如実に出るアクション、シューティングゲームの類が苦手で、団地カーストの最下層に位置していた。そんな彼がようやく自分に合うゲームに出会えた!と猛烈に興奮しており、その凄まじい熱量に感化された筆者もドラクエの世界に傾倒していくこととなる。

初期のドラクエで思い出深いのは、やはり「ふっかつのじゅもん」であろう。1文字でも間違えると全てがパーになるという緊張感、特にドラクエ2は最長52文字という鬼畜設定につき、極限の集中力でパスワードを記録したものだ。ただ、パスワードを間違えさえしなければどってことのない1,2に対し、3はカセット内部にセーブされたデータが音もなく暗黒空間に消え去るというヴァニラ・アイスの悲劇がたびたび起こり、全世界のドラクエプレイヤーの心に深い傷を負わせた。筆者の心にも、北斗七星を模した七つの傷が刻まれている。

ファミコンまとめ

うちのファミコンは耐久性に難がある初期型の四角ボタンで、かつベースボールの裏技で本体を酷使したこともあり、早々とバカになってしまったが、買い直した記憶もないのに、なぜか家にはいつもファミコンがあった。有志が貸してくれたり、年長のいとこが譲ってくれたりしたのだと思う。ソフトは友だちの間で活発に貸し借りされ、さまざまな人気タイトルに触れやすい環境が整っていた。親にゲームを買ってもらえない子どもがハブられたり、一部の邪悪な者がソフトを借りパクしたりと、現代に通じる問題もあるにはあったが、総じておおらかな時代だったと言える。

以後、家庭用ゲーム機のハードはディスクシステム、PCエンジンと移り変わっていくのだが、近所の誰かとそれらを共有することによって、常にゲーム界の前線を走っていられたのは幸運だった。昭和の団地生活最高…ではないが、まあまあそこそこぼちぼちまずまずそれなりや!

②へ続く。

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