人を好きな人見知り

僕はかつて人見知りだった。
今は克服し、人見知りじゃないというのが自分の評価だ。

だったのだが。

この間バイト先の人に「カミノくんって人見知り?」と聞かれた。
ということは人見知りだと思われていたのだろう。
たしかにバイト中は口数が少ない。
だけど別にコミュニケーションを遮断しているつもりは全くないし、話しかけられたらちゃんと話すし、ボケとまではいかないが冗談を言ったりもする。
自他共に認める人見知りだった時代に比べたら、「俺も大人になったなぁ」と思うほどなのに。

大学生くらいの頃は本当に人とコミュニケーションを取るのが嫌だった。
なんで興味ない人とエネルギーを使って話をしなきゃいけないんだと思っていた。こっちは話す話題もないんだから放っておいてくれと思っていた。

でも芸人になってしまった以上こうも言っていられないことが多くなって、今はむしろ人とコミュニケーションを取るのが好きなくらいだ。
今まで話すことのなかったタイプの人なんかは特に興味がある。
こんな風な喋り方するんだとか、こんな顔するんだとか、話す内容ももちろんだが、そういう部分の気付きも楽しい。

だから僕はもう人見知りから卒業したもんだととっくに思っていたのだが言われてしまった。

もしかしたら、世間的には自らコミュニケーションを取りにいく人じゃないと人見知りだと思われてしまうのかもしれない。
受け答えをちゃんとするだけでは卒業証書は渡されないのだろうか。

だとしたら僕はまだ人見知りだ。
自分から話しかけることは未だに少ない。
話す話題に気を遣ってしまい、そうこう考えているうちに話すタイミングを逸するのだ。

例えば、バイト先の女の子が髪型を変えてきたとしよう。
僕はもちろん気付く。
女の子の変化には気付いてあげたいじゃないか。
しかもたいがい女の子の変化というのは、より美しくなるのだからすごい。
女の子は尊い。ああ、いいよ。女の子。その調子でいってくれ。

ごめんなさい、ちょっと僕のフェミニストな部分が漏れてしまいました。

まぁ気付いたとして、僕はこう思う。

(あ、髪型変えてる。言う?いやでも言っていいのか?俺が。俺が、だよ?キモくない?急に「お、髪型変えました?いいっすねぇ。」って言うの。絶対キモい笑顔しちゃうじゃん。あと絶対顔赤くなるし。そもそも髪型のこと聞くのセクハラになるんだっけ、今の時代は。どうするよ、「え…はぁ…。」みたいなリアクションされたら。終わりだよ、終わり。お・わ・り。引いてるじゃん。最悪だ。会話しようと思っただけなのに。あーもう、黙ろ。働くぞ~!)

言っていいものなら言いたいのだ。
でもきっとこんなことを思わずに口に出せる人が人見知りじゃないのだろう。
おかげで僕はバイト先では働き者として認知されてしまっている。

相手が女性に限らず、似たような逡巡によって話せないことは多い。
先輩には(これって聞いていいんだっけ?地雷じゃない?)とか、マスクをしている人には(風邪引いたんですか?って聞いたら「見りゃ分かんだろ!」ってキレられない?)とか、それこそ人見知りの人に話しかけたら、(話しかけんじゃねぇよ。てめぇと話したいことなんてねぇよ。)なんて思われるんじゃないかと思ってしまうのだ。

あの質問をされたとき、僕は否定した。
「人見知り…ではないですね~。」
相手はこう返してきた。
「でもあんま話さないよね。」
僕は返す。
「そう…ですねー。まぁあれじゃないですか?あの~、無駄に喋ろうとしないだけ…じゃないですかね。」

うまくかわしたと思ったのだが、これ"その人と喋る行為自体が無駄"みたいな意味にとられないか?
会話のテンポ悪かったし。

あー、やってしまった。
僕はやはり上手く人と話すことができないのだろうか…。
ならばやはり人見知りなのだろうか。
noteの記事案の一つに『人見知りじゃないほうが絶対に楽しい、と元人見知りの僕が説く』というのがあったのになぁ…。

だが落ち込むのもここまで。
今年のカミノは違うのだ。
これを言われた翌日からバイト先でも"無駄に"喋るように努めている。
余計な一言を付け加えると、意外と会話が弾んだ。
なるほど、こういうことなのかコミュニケーションというのは。
僕は人が好きだから、もっともっと楽しく人と話したいのだ。

そんな努力をしていたら、今日バイト中にミスをしてしまって店長に「おい」と言われた。
久々に言われたなぁ。大人の「おい」久々に聞いたなぁ。ちょっとビクッてするね、あれは。

まだ道半ば。
僕は今のところ『人を好きな人見知り』である。
人見知りを完全に克服して、もっと楽しい人生にしてみせる…。

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