高校野球

8月。夏の風物詩である甲子園が始まった。

僕はこう見えても元高校球児である。
こう見えても、だなんて、僕のことを見たことのない人には不親切だっただろう。
僕は高校球児はおろか、スポーツには縁遠いだろうと思われるほど華奢な体で、眼鏡をかけ、文化系と言わなければ辻褄が合わないような見た目をしている。
やはり、僕が野球を9年もやっていたと言うと人は大抵驚いた顔をする。

そんな僕ではあるが、高校球児であった事実は事実であるのでこの時期になると甲子園の戦況を気にかけてしまう。

高校野球では様々なことを学んだ。
僕自身はさほど上手くはなかったが、チームは甲子園出場経験こそないが地元では期待されるくらいには強く、そんなチームで3年間野球に明け暮れた経験は控えめに言っても僕の財産である。
仲間と夢を追いかける素晴らしさ、最後まで諦めない気持ち、支えてくれる周囲への感謝の気持ち。
芸人になった今でも通ずる大切な心は高校野球で学ばせてもらったと思っている。

逆にあのときの後悔が今に生きているところもある。
僕らは春季大会で準優勝、夏の予選ではベスト4と、甲子園への切符を手にしかけていたと言っても過言ではなかった。
ではなぜ勝ちきれなかったのか。それは当時甲子園に出場した青森山田や強豪の八戸学院光星は僕らの何倍も努力をしていたからだ。
僕たちにはそれが圧倒的に足りなかったと後になって気付き、今は後悔がないようにできうる努力をしている。

大切なことの多くは高校野球から学ばせてもらったのだ。

なんていう美談はさておき、僕は未だに高校野球にムカついている面がある。

あの精神論だ。

なんだあれは。どこにも根拠のない"気持ち"や"言動"だけでどうにかしようとする風習は。

パッと分かるもので言えば丸刈りにしなければいけないというものがある。
当時は言われるがままに丸刈りにしていたものだったが、丸刈りにしたところでたちまち野球が上手くなるわけでもないし、礼儀正しくなるわけでもない。
礼儀正しく見えるだけだ。
大事なのは内面だというのに、それも分からずやんちゃする高校球児なんてたくさんいる。
丸刈りの奴がやんちゃをするな。ちょっと丈の短いスカートを履いた女子が通る度に顔を赤らめ目を逸らすくらいであってくれ。

もっと意味わからなかったのが、冬だけスポーツ刈りにしてもいいというルールだった。
監督からしたら、丸刈りよりはスポーツ刈りのほうがお洒落だからシーズンオフの今はお洒落しちゃいなよって話だったのだろうが、高校生からしたらスポーツ刈りもダサいのだ。
むしろスポーツ刈りのほうがダサい。だから僕は冬場も丸刈りを貫き通した。
僕は監督の押しつけがましいその親切心が嫌だったし、その言葉を受けてちょっとだけ髪を伸ばす同級生もなんか嫌だった記憶がある。

ネットの記事で見たのだが、最近は丸刈りを強制しない高校もあるみたいで、これはすごくいいことだと思う。
高校球児だけでなくスポーツに打ち込む学生にありがちだと思うのだが、伝統や風習にある意味あぐらをかいて考えることをしないというのは今の社会における諸問題の根源ではないかと僕は思っているからだ。
今まではそうだったから、というだけでパワハラもするしセクハラのような相手を不快にさせる行動の線引きもバグってしまっている。ああいう奴らは十中八九元"生温いスポーツマン"だと思う。スポーツマンが悪いわけではない。本当に賢い人、スポーツから技術以外のことも学んだ賢い人ならあんなことはしないはずなのだ。

流れで社会問題を切ってしまった。

話を戻すが、もう一つ、今になっても解せない風習があって、それは恋愛禁止というルールである。
こればかりは本当に意味が分からない。
15歳~18歳なんて特に異性に興味を持つ年代だし、異性と付き合うことで学ぶ人間関係や思いやりの心なんてものはこの時期に醸成しておかないと後々たいへんな思いをすることになる。
結果、僕はたいへんな思いをしたし。

監督からすればお前たちみたいな若造は勉強や野球を疎かにして恋愛に現を抜かすだろうからダメだ!ってところなのだろうけど、むしろ逆だろう。
社会に出たら仕事も恋愛もバランスよくやれなきゃいけないのだから今のうちにその裁量を勉強しとけよと言ってもらいたいものだ。

僕は自他ともに認めるロマンチストなのだけど、当時からその感じはあって、タッチのたっちゃんと南くらいの関係があればなおさら頑張れんじゃねぇの?!愛の力こそが俺たちには必要じゃねぇの!?と思いながら隣のグラウンドで練習している陸上部の女子をチラチラ見ていた。
ちなみに陸上部の女子は全くこっちを見ていなかった。

そんな僕は部内のルールを破って彼女を作り、のちに監督にバレて練習への参加を禁止されるわけだが、あのときの腹立たしさといったら何物にも代えがたいものがあった。
お前には奥さんがいて、子供もいるってことはやることやってんじゃねぇかよ!!と、これに関しては八つ当たりにも程があったが、今でもあのとき湧いた怒りは間違っていないと思える。

僕が当時付き合っていた彼女は僕の一つ上の子で、僕が2年生の秋に付き合い始めたので彼女に僕の野球がしている姿を見せるには冬を越してからじゃいけなかったのだけど、彼女はすでに東京への進学が決まっていたから、となるとなかなか観に来れないわけだから、甲子園に出て全国中継されなければいけない、じゃあもっと上手くなってレギュラーを取って甲子園に行かなければ、となるのが僕という人間なのだ。
愛をガソリンに夢へ突き進む男、それがカミノシュウヘイ、もとい、上野修平なのだ。
それも知らずに頭ごなしに怒ってきやがってよ。人には人のモチベーションというのがあるだろうと言いたかったところをグッと堪え、僕は心底失望しながら、グラウンドの落ち葉拾いというペナルティを約2週間ほどやった。

結果的に僕はその子に「大学で好きな人ができた」と翌夏にフラれ、あの2週間、それからその後なにかにつけて監督から嫌われ嫌みを言われたあの苦しみは何だったんだという思いと、俺から彼女を奪ったと目される青山学院大学への逆恨みが止まなかったわけだが、それもまぁ10年経ったら良い思い出である。
部活を引退後、お年玉を切り崩して模試の前日に日帰り彼女に会いに東京へ行けるほど、愛は偉大で愛から発せられる力は強大なのだと知った夏だった。

それから11年が経った今。
今夜も熱闘甲子園を当時の自分と重ね合わせたり、彼らの苦しみ辛さも分かるからそれに感情移入したりしながら観て、僕はこう思う。

どうか周りの大人は彼らが上へ上へと育つために添え木のようにサポートしてあげて、どうか根拠も論理もない伝統や風習によって彼らを圧することなく個性を尊重してあげてほしいと。
あと、今の高校球児ってキラキラネーム意外と多いんだねと。

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