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人生はクソゲーなので、終わらせたっていいじゃない

これをここに書いて良いものかどうか、私には分かりません。愚痴です。嘆きです。そしてあくまでも私個人の考えであり、それの正解不正解も、善悪も論じる気はありません。それを分かった上でお読みください。




私は常々考えてきました。

「自分の人生を通して得られたものって、一体何なんだろうか」と。


凡人なので、凡庸に生きてきました。

小・中学校ではいじめられました。学校に行きたくないと駄々をこねたら、親に人格全否定されました。

それでも登校して、卒業しました。



勉強はできないけれど、高校受験もしました。

高校では友人に恵まれて、先生たちともそこそこ折り合いをつけて生きていました。

その頃、私は漫画家になりたいと思っていました。

高校2年生の終わり頃、「才能のある人って、こういう人のことなんだ」と思う人と出会い、夢を諦めました。



色々考えて、大学受験をすることにしました。

受験対策ではボロクソに言われましたが、受かったので以降文句は言われませんでした。


大学では劣等生とまでは行かないが、平均よりやや下目な成績ではあったものの、無事に卒業を許されました。



4年次の卒業論文執筆のとき、すっかり心が摩耗して体調を崩し、就活との両立を諦めた。


そして今に至る。


そんな人生の中で、一度も警察のお世話になることなく。

「人にやられて嫌なことをするな」「自分がやられて嬉しいことを人にしなさい」、そんな教えを守って。

作っていなければ息ができない人間なのに、才能は皆無で。

周囲の人の当たり前は理解できず、言われたこともできず、協調性の無い私が。



果たして、何の役に立つことがあるのか。

果たして、人生の中で何か得られたのか。

果たして、この世に存在していいものか。





人生はクソゲー。

「やり直せる」と言いながら、セーブデータは1つしかないしバックアップは取れないし、オートセーブ式だし、選択する前には絶対に戻れない。1個のミスも絶対許されないとか無理でしょ。

そのくせ「絶対幸せ!」みたいなルートに入っても幸せになれるとは限らない。出世すれば給料は上がるが、仕事も拘束時間も責任も増える。結婚して子供を産めば、十数年は多かれ少なかれ育児に時間を割かねばならない。

定年退職した後、子供が巣立った後、老後資金は自分で3000万貯蓄してくださいと「国から」言われるご時世。



そこで私は考え直しました。

「自意識過剰すぎやしないか」と。

「何故自分がなにかを成し遂げられる人間だと思い込んでるんだ」と。

「どうせ100年後には跡形も無いぞ」と。



そうです。

日本は江戸幕府が無くなり、明治政府が誕生してから200年も経過していないのです。

江戸時代の庶民の暮らしは知っていても、庶民一人一人の人生を、私たちは知りません。名前すら知りません。

なんで江戸時代を引き合いに出したかというと、今と同じように多くの江戸の庶民は文字の読み書きができ、かつ本や巻物といった形での記録媒体も同じぐらい庶民に親しまれている時代だからです。(戸籍制度はないけれど)


江戸幕府滅亡して200年も経ってないけれど、庶民なんて有象無象、十把一絡げなのは変わらず。

「じゃあ令和の世で私が何したって、後世に何の記録も残らなくね?伊達政宗ぐらい有名だったら手紙とか残されるけど」




開き直りました。



「どうせ200年後には私のこと知ってる奴は全員死んでるんだから、自分のために自分の人生を生きよう。」と。

とはいえ老後とか病気とか考えたくないので、私は決めたのです。


「キリがいいので、30で人生終わらせよう」と。

楽しく人生が終われたら、それはそれで良し。絶望のまま人生が終わったら、それはそれで良し。

なんやかんやで状況が変わって「やっぱナシ!」になっても、まあいいでしょう。だって私の人生だし、結局死んだらなーんにも残らないし、200年後には何も伝わらない。有象無象の影に埋もれたひとつでしかないのだから。


さながらキリギリスです。残り数年の人生なので、とりあえず目の前の欲望を満たしながら生きていこうと思います。




死ぬことが悪か。

そもそも生死に人間の善悪の物差しを持ってきたところで、結局死んだ後どうなるかも含めて宗教的な価値観でしかないのではと私は思います。

「天国&地獄レポート 〜こうして私は人間界に転生しました〜」みたいな本があったら読んでみたい。いやでもやっぱタイトルが怪しすぎて読まないかも。


お葬式で参列者たちが泣きながら死を悼むところもあれば、お葬式で参列者が歌って踊ってワイワイしながら故人を送り出すところもある。それを「どっちが故人を見送る姿として正解か」なんて、決められないじゃないですか。

私の中では、それと同じです。


「ここが自分の人生の終着点だ」と自分で死期を決めることを、私は悪だとは思いません。




自ら命を手放した人たちに向かって、生者は決まってこう言います。

「誰か相談できる人はいなかったのか」

「そんなに苦しいなら逃げれば良かったのに」

相談すれば解決したのだろうか。逃げて人生を続けられたとして、壊れた自分を抱えながら歩けるのだろうか。

私だったらNOです。だって今も壊れた自分は直っていませんから。


だから選択肢のひとつとして、それは持ってていいんじゃないかなと思います。




最後に。

私の考え方は、この世に数多ある死生観のひとつでしかありません。読んだ人がどう思ったところで、それも等しく正解でもあり不正解でもあるんだと思います。




私が死んだ後、ここが発掘されたら面白いだろうな〜



おわり。

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