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【徒然シリーズ③〜どうにもならないこと】

こんにちは。
最近は暑さの悪あがきと言いたいほどに暑い暑い暑い

仕事に行くにも暑い。
だけど、朝晩にふわっと吹いてくるビル風がたまに涼しい。

今回も散文。
最近感じたことは「どうにもならないこと」って必ずあるな。
と思いました。
どうにもならないことって、自分の今の実力とか年齢とかメンタルの状態とか……

今年はオリンピックの年とのことで。
私はオリンピックは見ていなくて、LINE ニュースでどこが勝ったとか負けたとか見て「へー」くらいにしか思っていなかったのですが
1つだけ見た試合がありました。
それは
オリンピックの男子バレーのイタリア戦🇮🇹
ご覧になった方はわかると思いますが激闘の末の後1点。
正直な話ね、私はスポーツ観戦には全く興味がなくて。
全く全く全くまっっっっっったく興味がなかったのです。

しかし、イタリア戦の日はな・ぜ・か
目がメガシャキ!✨✨
なんか目が冴えちゃって眠れないし
テレビでも見るかぁ〜〜とテレビをつけたところ男子バレーのイタリア戦🇮🇹
まさに1セット目のサーブを打ったところでした。
昔、バレーボールしてたし、男子バレーの選手イケメン揃いで眼福だし!
というなんともまあ不純な動機で見ました。
不純な動機でしたが、純粋に見入ってしまいました。
フルセットの激闘の末で、あと1点!!
3セット目も最終セットもあと1点だったんです!!!
気がつけばボロボロ泣いている自分。
キャプテンの石川選手がブラン監督に抱きついて泣いている場面で更に泣く。
負けて悔しいとか、メダルがどうこうじゃなくって
シンプルになにかのために一生懸命になってる人ってかっこいいな。
素敵だなと。(薄い言葉ですがそう思っていました)
じゃあ、何で1点取れなかったかって
油断してたとか頑張ってなかったとかそういうんじゃないんです。
サーブミスがどうとか言われてますが、絶対にそんなことはない。
私もバレーボールやってましたが、セットポイントでサーブ打つのってものっっっっっっっすごい緊張するしものっっすごいプレッシャーなんですよ。
まして、オリンピックの舞台であんなに観客がいて……って
私だったら胃に穴があいて吐血しちゃいそうだと思います。
でも、そこでサーブが入らなくて結局あと1点が取れなかったって。
それはもうどうにもならなかったことなんですよね。
互角に戦えていたのだから勝てたとか、あそこでサーブが…とかブロックが…とか。
たらればを言ってもどうにもならないし、どうにもならなかったってのは戦った本人たちが一番わかっていることだなぁと。
結局、その時のコンディションとか、状況ではどうにもならないときって本当にどうにもならないしできないんだなぁと思いました。

それは、人間関係や仕事・受験でも同じだなあと思いました。
今、うまくいかない人間関係は今はどうにもならないし、必死で背伸びしてもすがりついてもだめなもんはだめだし。
仕事でうまくいかない、結果が出せないってときもいまはその時じゃないな。ってのがあります。
事実、私も過去に大学受験に落ちてしまったり、友達と縁が切れてしまったりとやるせない思いをしたことがあります。
でも、よくよく考えてみるとその出来事が伏線になっていて
あのとき、大学受かってても、きっと当時の学力だったら勉強についていけてなかったよなぁ〜とか
あのとき、うまくいかなかった友達にすがっていても今、仲いい人とは出会えていなかったよなぁ〜とか
あのとき、あの子と距離あったけどあの時期があったおかげで今お互いに大切にできてるなぁ〜とか
あのとき、仕事がうまくいかなくて転職したから適正に気がつけたなぁ〜とか
すべてがちゃんと意味のある出来事だったんだなと思いました。

今どうにもならないことは今どうにかしようとしてもきっと深みにハマっていくだろうし。
でも、どうにもならないからどうにかしたいと思ってしまうのも事実で…
難しいなと思います。

だいすきなミスチルの『足音』という歌にこんな歌詞があります。
私もいつもしんどいときに思い出すのですが。

疲れて歩けないんなら 立ち止まってしがみついていれば
地球は回っていて きっといい方向へ 僕らを運んでくれる

Mr.Children 『足音』

どうにかならないことって、どうにかしようとあがいたりしがみついたり執着したり自分を責めるんじゃなくて流れに身を任せていたら案外どうにかなるのかもしれないですね。

昨日、金スマに男子バレーの石川祐希選手が出ていて
ふと思ってこの記事を書きました。

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