Wish for Wind | 新曲セルフライナーノーツと旅行の話
新しい曲を作りました。
ぜひご視聴ください。そしてセルフライナーノーツとして下記に少しだけ旅行の雑記を。
2019年初頭にイスラエルとヨルダン川西岸地区のパレスチナへ旅をしたことがある。仕事だとか、現地に知り合いがいるわけでもなく、とりあえずエルサレム旧市街地の入り口にある安そうなホテルを一週間おさえ、そこを拠点として色々足を伸ばした。とにかく行ってみたかったという安直な好奇心のみである。何も分からずに、多少のネットの情報と旅行本の知識のみで、ただ行っただけ。
少し話は逸れるが、高校生の頃の私は常に地図帳を眺めているような人間であった。英語、数学の授業だろうがだろうが机の上には地図帳、休み時間も地図帳。何を覚えようと開いているわけでもなく適当に何処かのページを開き、ただぼーっと眺めていただけだったような気がする。お陰でろくにテスト対策をしていないのにも関わらず地理の成績だけ良かったのだが。当時、スマホやタブレットは存在しない時代であったがもしもそんな物があって、高校生の自分にグーグルマップとストリートビューを与えたらどんなに虜になっていたのであろうと思う。ちなみに今でもグーグルマップを眺めていくらでも時間を潰せる。けれども、パソコンの画面のマップは自分主体での選択が目に入ってくるが、地図帳は開けば見開きで情報が勝手に目に飛び込んでくる。所謂、ネットと紙媒体の違いみたいなもの。
その地図帳の中になんとなくかつ、よく開くページにそれがあった。エルサレム旧市街地の地図。中東周辺の地図にエルサレムの街のをピックアップした鳥瞰図のようなものがページの端に載っていた。それだった。何回も何回もエルサレムの地図を眺めていた記憶がある。世界遺産、ユダヤ・イスラム・キリスト、迷路のような街。いつか行ってみたいとかそんなことは思ってはいなかったと思う。思ってはいたのかもしれないが、旅行とは程遠い場所であるし無意識的に不可能だと思っていなのかもしれない。3つの宗教や絶えない紛争、言葉や文化、そもそもフライトはどうすればいいのか、ハワイやロスに行くのとは全く訳が違うであろうことは高校生ながら明白であった。しかしながら、街の構造や3つの宗教、建造物、歴史、その中にどんな人々が住んでいるのか好奇心をそそられ、地図に釘付けになった。結局、訪れることになったのであるが。
行ったらとにかく現地の人と自分から会話するようにしようと心掛けていたが、向こうの人からすれば東洋人がこんなところに一人でいるのが面白いのか怪しいのであろう、よく話しかけられた。
死海周辺へ向かうバスにのっていたときのことである。兵役中であろう、二十歳前後の軍服と小銃を携帯した若者の集団が乗車してきた。検問だと思い、すかさずパスポートを提示したら別にそういう話ではなかったらしい。
その女性は私の隣の席が空いているかどうかを端的に私に訪ね着席した。「韓国人?中国人?日本人?あー待って、たぶん日本人でしょ、どう?」軍服に帽子、イスラエルに来てから見慣れた自動小銃だが、バスの席の隣で間近に見るとまた印象が変わる。愛想が良いとか笑顔あふれるという感じではないが、とにかく世間話や身の上の話をひっきりなしにしてくるおしゃべりな女性であった。「兵役が終わったら旅行をしたいし日本にも行ってみたい、ビジネスを学んでみたいし、結婚とかどうやってしたの?昨日は非番だったけどカフェに行くにもデパートに行くにも私服で小銃を携帯しなければならないから首が痛い」とか。どこにでもある、でもほんの少しだけ違う、普通の20歳前後の女性がするような話なのである。話を聞けば軍のミーティングか集会が死海周辺で行われるらしい。日本のことも教えてほしいと言われたので私も伝えた。日本でも年頃の若者たちは君と同じような不安と楽しみ抱いて生きていること、ライフルを持ったが女性がバスの隣の席に座るなんてことはないということ、それはアニメや漫画の中の話だけだということ、そしてみんながイスラエルやエルサレム、パレスチナのことについてよく知らないこと。「じゃあ私はアニメの主人公ってこと?クールじゃん。それに今あなたもアニメのヒーローになったんじゃない?イスラエルのことを知ったんだから。だから日本に帰ったら伝えて、ここのことを。大切で重要なミッションだから」そんなことを言われた。私より10歳程も年若い人間から大切なことを教えられてしまった。まあ、してやられた感で少し自分が情けなくなったのであるが、そうなのであろう。
重要なことなんてものはいつも目の前にあるのに、大仰なことを考えてしまう。そうして結局出来ずじまいなのである。目の前の大切なことを疎かにする者への報いだ。そしてそれが自分自身であることにすぐに気づき、恥じた。「困ったもんだよなぁ。これだから島国平和ボケの日本人は」口には出さなかったが。されどもボケていても生きていけるのはそれはそれでまた良いことなのかもしれないと、そんなことがこの国の若者たちにも少しでも訪れても良いのかもしれない、少しはそうであっても欲しい。途中のバス停で降りていった彼ら彼女らの後ろ姿を眺め、そんなことを思った。そして寛容に異邦人とコミュニケーションを取ってくれてありがとうと。
また別の日、エルサレムから壁の検問を超え、ヨルダン川西岸のパレスチナ側へ行った。エルサレムから検問と壁を越えた街がベツレヘムなのであるが、そこからくたびれたハイエースの乗り合いバスに乗りパレスチナの中心的な都市とされているヘブロンへ向かった。まず、そのバスに乗った途端に人気者である。逆に言えば怪しそうで何を考えているか分からないからとりあえず話をしてどんなヤツなのかを探ろうとしていたのかもしれない。ベツレヘムよりも南の地域、ましてや東洋人なんて来るわけもない。乗客は私と運転手の他に5人ほど。色々と質問をされるうちに、彼らパレスチナ人の身の上話になってきた。緊張がほぐれる瞬間である。車中、50歳前後といったところであろうか、その運転手とよく話をした。「タバコ吸ってもいいぞ、日本のタバコか?空き箱あったらくれ。これは日本のクルマだろ?頑丈だ。俺は子供が5人居て長男が運転するようになったのだが俺の車をかってに改造しやがる、稼ぎが少ないと妻に叱られる、お前も妻を大切にしろよ、しかしお前は羨ましい、俺はパスポートどころかこの壁の外に出ることはできない」とか。どこにでもある、でもほんの少しだけ違う、普通のおっさんがするような話なのである。「20ドル余計に払えるんだったら少し案内もしてやるし、帰りのベツレヘム行きも俺が待っていてやるよ」ふらっと放浪し何の行くあてもなく、せっかくなのでお願いすることにした。なぜそうなったのかはよく分からないが、そのバスに乗っていた数名の乗客と一緒に軽食を取り、運転手の知り合いの民家をめぐり、そのどこに行ってもドロドロのコーヒーが出てきて、多くのパレスチナ人から元気をもらったのである。ティーブレーク中、アザーンが聞こえてきたのにも関わらず、タバコに熱心でいっこうに礼拝を行う素振りを見せない彼の隣で、私の好きなアザーンを口ずさんでやった。その瞬間に私がここに来た意味が果たされたと行っても過言ではなかろう。帰りの道中、数日前に出会ったイスラエル軍の女性と同じようなことを言っていた。「俺はここを出れない。わざわざこんなところにまで来た日本人のお前に託す。ここのことを少しでもいいから覚えて、日本に伝えてくれ」私は「もちろん」と彼に言い、もし壁をぶっ壊したらまた会おうと、日本のタバコの箱ごと彼に渡して別れた。
今、伝えるべきであると思った。イスラエル、パレスチナ、双方とも私を迎え入れてくれた。まあ、時には歓迎されないこともあったが、大概は寛容された。一人の目の前にいる人間として対等に関わり、尊敬し、コミュニケーションを取ったつもりである。生まれてからこのかた、それぞれの身に染み付いた価値観、文化、宗教観、思想、社会通念、それぞれ相容れることはないのであろうとまじまじと実感する。それでも、言葉ではなく人と人は伝え合える。
人生の一瞬を私にくれた彼らがまた平穏な日常に戻れるように。そもそも、この地域は平穏な日常なんて今まであったためしが無いのかもしれないが、それでもお互いがなんでもない人間の一人として話ができるように。パレスチナ・エルサレムに広がる、私が初めて出会った色の青空には壁なんてない。風は願いを乗せて、いとも簡単に鉄の壁を吹き抜けるであろう。人の心も吹き抜ける。
どんな文化の中で生活していようが、人が持つ心は同じだ。どうしようもない空気の中でなんとか光を探し、気持ちを洗われるような風を探し生きている。なのでこの曲は私なりにブルースとして表現してみた。誰にだってどこにだってある、諦観と希望。今はただ望むことしかできない。いつか良い風が吹いてくることを願っって。