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エメラルドグリーン

わたしの手を握るあなたの力の健康さよ

僕はこの一節を知った時の感動を今でも鮮明に覚えています。

この神がかった詩を生み出したのは、画家・彫刻家・詩人などマルチな才能をもったアーティスト高村光太郎です。

収められているのは、かの有名な『智恵子抄』※1のなかの一つ、彼の最愛の妻であった智恵子さんが病床に伏し、息を引き取る寸前から死の瞬間までをその稀有な才能の眼(まなこ)を通してみつめた詩歌『レモン哀歌』です。

死の寸前、弱りきった身体で、夫である光太郎の手を握る様を、そのほんの少しの力を”健康”と表現しているんです。
僕のごく身近に、十代の頃から病と闘い、奮闘して生きてこられた女性がいます。彼女はよく他人から「身体が弱い」と言われます。僕はその台詞が大嫌いで、そんなことを口にする人々は大抵が無意識に、悪気なく言っているんだろうけれど、高村光太郎のいう”健康”を知らない、わからない方々なんでしょう。
「”わからない”ということほど損な生き方はない」と彼女は僕とよく話をします。残念ながら、痛みや悲しみ、苦しみを味わっていかなければ、人生は”わからないまま”終わるんでしょうね。
アンパンマンの歌詞みたいになっちゃいました。やっぱり、やなせたかし先生※2すごいです。

さて、タイトルを『エメラルドグリーン』としたのは、僕が2年半ほど前に知った現在絶賛活躍中の若手版画家である加藤 茜さんとの会話がきっかけです。

加藤 茜さん。素晴らしいアーティストです。お名前覚えておいてください。

彼女はいま、最新作の制作中で銅版画の上に絵具で彩色しようかと考えているそうです。どうやらその手法は版画としては御法度らしいのですが、”やりたいことをやればいい。上手い絵を描くことより表現することを大事にしなさい”という師の助言から、挑戦しようと思い立ったそうです。
許可を頂いたので、僕が昨年購入させていただいた彼女の作品を掲載します。

毎日拝めています。加藤さんありがとうございます。

智恵子さんの油絵は残念ながら現存しているのは3点だけらしいですが、(冒頭の作品がその一つで『樟』といいます)彼女は”エメラルドグリーン”がお気に入りの色で、絵画を描くときに得意としていて時には本来緑色でないものまで緑を採用して描いていたようです。
でもそれは当時としては御法度であったらしく「人体を描く時に不健康な色は使わない方がいい」と非難されたそうです。

そんなときに智恵子さんはある雑誌をふと手にして『緑色の太陽』という芸術論を目にします。
そうです、その『緑色の太陽』の著者が後に夫となる高村光太郎です。

僕は芸術界の絶対の自由を求めている。人が緑色の太陽を描いても僕はこれを非なりとは言わないつもりである。僕にもそう見える事があるかも知れないからである。

この芸術論をみて智恵子さんは魂の救済をみたんでしょう。詳細は割愛しますが、高村幸太郎さんと智恵子さんのラブストーリーのはじまり、はじまり~!!です。智恵子さんは明治の時代に大学まで進んでいる(大学の同級生に平塚らいてう※3がおり、智恵子さんとらいてうはテニス部でダブルスを組んでいたそうです!すご…!)ので、裕福な家庭で育ったのだと思います。そんな彼女に両親は”まともな”縁談を用意するんですが、高村光太郎は『N―女史に』という詩を雑誌に投稿するんですね。『智恵子抄』に『人に』という名に改題されて載っています。興味のある方は読んでみてください。激アツです。ちょっと残忍にも思える表現もあるんですが、そんな表現も腑に落ちるくらいアッツアツ!です。

ちなみに高村光太郎が智恵子さんからその縁談話を聞いて故郷に帰ることを伝えられた時、一言だけ応えるんです。

「お相手は?」

たった一言、それで終わりです。
メソメソメソメソ「別れたくない~」なんて言うもんじゃない。
「男はあきらめが肝心だ!」って寅さんも言ってた。
世の男子、見習ってくださいな。
ほんで『N―女史に』で智恵子さんの心を手繰り寄せてみせる愛情を見習ってくださいな。

好き勝手に生きることは簡単ですが、自由に生きるのは難しいことです。
自由をエゴイズムなんかとはき違えちゃいけません。
昨日僕が書いた記事のアンドラーシュ・シフも”自由であること”を訴えていましたが、それと同時に自由には”秩序”が伴うことも訴えていましたね。

人はなにかの型にはまろうとしたり、ジャンルに属そうとするものです。
なにか一つにまとまろう、まとまろうとするものです。
「自分は音楽家だ」「自分は画家だ」「自分は~大学卒業だ」「自分は~の大企業で働いているんだ」「自分は日本人だ」…。
たぶん、孤独が怖いんだと思います。
弱みを隠そうとしているんだと思います。
それぞれの生き方や立場に誇りをもつことは大切なんですけど、それ以前に「自分は一人の”人間”なんだ」ということ「自分は一つの”生命”なんだ」ということを認識して自分自身と向き合っていかなければ、これだけ多様性の富んだ世界、社会で他人と心の底からの交流はできないと思います。
最悪、自分自身すら見失って死んでいってしまうんじゃないかと思います。

『N―女史に』を発表してから後の1914年、二人は結婚します。
この年に高村光太郎はかの有名な代表作『道程』※4を出版しています。
しかし、智恵子さんは健康状態を崩したり、実家が破産したことが発端で精神的にも滅入ってしまい、段々と死の影を落としていきます。
そして1938年10月5日、智恵子さん死去。
10月5日は”レモン忌”と呼ばれています。もちろん『レモン哀歌』から。

智恵子さんを失った高村光太郎は仕事も手につかず茫然と日々を過ごしました。岩手県の山奥で自給自足の暮らしをし、さながら世捨て人となりました。そんな暮らしの中1952年、高村光太郎は青森県知事より十和田湖畔に建立する記念碑の制作を依頼されます。智恵子さんを失って、半ば自暴自棄になっていた彼は生気を取り戻したように「そうだ、智恵さんがいるじゃないか…。智恵さんをつくろう」とつぶやいたそうです。
青森県の十和田湖の畔にその彫刻はあります。この彫刻の完成から3年後、彼は亡くなりました。簡単ですが、これが高村光太郎、智恵子夫人、アーティスト夫妻の辿った道程です。
本気で愛してたんですね、『N―女史に』には微塵の嘘もなかったわけです。繰り返します、世の男子、女子、見習ってくださいな。
軽いノリでふらふらふらふら好きだの別れるだのほざいてんじゃないよ!!(笑)

小ネタですが、高村光太郎に記念碑の制作を依頼した青森県知事はあの天才的文豪、太宰治※5の実の兄、津島文治です。
太宰はアツい恋の匂いのするところに舞い降りるんですかね(笑)

これもまた余談ですが、高村光太郎の物語があるTV番組で放送されたことがあったんですが、そのときに智恵子さん役を演じたのが前田亜季さん※6だったんです。

僕、めちゃくちゃ前田亜季さん好きなんです。タイプなんです(笑)
追っかけとかするの嫌いなタイプなので、今はどんなふうに活動されてるのかあまり詳しくは知らないんですが、僕が唯一写真集を持ってる女優さんですね。恥ずかしいですね。すごく恥ずかしいです。冷や汗が出ます。
一度は実際に見てみたいと思って、十代の時に舞台を観に行ったんですが(ちゃんと双眼鏡をしっかりと握りしめて)、その会場が今はクラシックコンサートで頻繁に足を運んでいる兵庫県立芸術文化センターでした。

可愛かったです。とても。

僕の兵庫県立文化センターデビューはクラシックではなく前田亜季さんなのです。以上です。

加藤茜さんとの話題をきっかけに、僕が影響を受けた高村光太郎・智恵子夫妻のお話でした。

最後に、前述した智恵子さんの現存する油絵の一つ『花(ヒヤシンス)』と彼女が傾倒したというポール・セザンヌ※7の『サント・ヴィクトワール山』を皆さんにご紹介して終わります。
この記事に載せた加藤さんの作品以外は著作権切れ※8ですので掲載、転載OKです。情報社会だからこそ、著作権等もできれば気を付けてくださいね。
それではまた。

『花(ヒヤシンス)』

『サント・ヴィクトワール山』

おまけ 夫妻の写真

注釈

※1 高村光太郎が智恵子の死後、1941年に龍星閣から出版した詩集であり代表作の一つ。映画化やドラマ化もされています。

※2 アンパンマンの作者として日本ではあまりにも有名な絵本作家、漫画家。2013年没。

なにが君のしあわせ なにをしてよろこぶ
わからないままおわる そんなのはいやだ!

「子どもも一人の立派な人間」というポリシーをもって、やなせたかし先生は哲学的な歌詞を書いたそうです。

※3 近代日本で、フェミニズムを説いて女性運動を行った先駆者。
作家でもあります。

※4 それまでの詩とは違い、ふだん話している言葉、口語体で書かれています。若者がもつ将来への不安と、前向きな決意が感じられることから、多くの人々に親しまれてきた代表作の一つです。

※5 言うまでもなく現時点で累計発行部数1200万部を誇る名作、『人間失格』の著者。三島由紀夫も「近代の日本文学であれほどの才能のある人はほとんどいない」と言ってます。三島由紀夫は太宰治嫌いで有名ですけど。

※6 1985年生まれ、1992年子役デビュー。
1996年の映画『学校の怪談2』で知ってから好きです。
僕が幼い頃初めて可愛いと思った人です。不思議なもので、未だに。
お姉さんは同じく女優の前田愛さん。

※7 フランスの画家。後期印象派の画家。
伝統的な絵画の約束事に捉われない独自の絵画様式を探求し、最終的には、ポール・ゴーギャン、フィンセント・ファン・ゴッホと並んで3大後期印象派の一人として、美術史に記録されることになりました。

※8 2018年12月30日、「環太平洋パートナーシップに関する包括的及び先進的な協定」が我が国において効力が生じ、原則的保護期間がそれまでの50年から70年になりました。著作権の切れていない絵画や映画、写真などをインターネットで公開することは著作権侵害にあたり、その他の権利侵害に当たります。知らずに上げてらっしゃる方も多いと思うので、知っていただければ…。

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