あの日から、5年。
「あの日から5年。」
あの日、自分は大嫌いな高校の、その時はもう大嫌いになっていた軽音楽部の卒業ライブの打ち合わせに、結局雨の降らない重たい曇り空みたいな気持ちで出た。
終わった後、何も変わらない気持ちで御茶ノ水の楽器屋でピックと弦を何枚か買って、電車に乗った。秋葉原で乗り換え京浜東北線のホームに立った瞬間。
地震が起きた。
その時モーモールルギャバンの「悲しみは地下鉄で」という曲を聴きながら歩いていて、自分がダウナーな心境だったから、歩いてる自分がふらつきだしたのかと思った。でもあまりにも揺れが大きくなって、「これ、揺れているの俺じゃない」と思ってイヤホンを外した瞬間、ホーム全体がきしむ音と近くにいた人たちの悲鳴が鼓膜を突き破った。
あの日から5年。
たくさんの人の命が失われ、少なくない人たちが原発事故によって故郷での人生を奪われ、それについて様々な人が議論を重ねてきた。
その間自分が何をしてきたかといえば、誇れるようなことは何もしていないかもしれない。バンドを組み解散させ、一人になってからまたバンドを組み、そしてまた一人になって。そうしていたら5年が過ぎていた。いつも自分のことを、ただ必死にやっていただけだ。
おそらく多くの人は、あの地震の前も後も、まず自分の生活や人生を回し進めて、自分自身を立たせることに必死だと思う。当たり前だよな。震災から1年経った3月に石巻にボランティアに行った時、それを痛感させられた。まず自分自信が、人を助けられるくらいしっかり立てていなきゃ駄目なんだって。
だからそれができて余裕ができたなら、人の心に気を配ろう。遠くない誰かの悲しみに対して、同じように体感することはできなくても、想像して優しくなることはできる。つい自分のことでいっぱいになって、傲慢になりそうになる自分自身への戒めとしても、この言葉を残します。
あの日たくさんの失われた命と人生に祈りを。
そして今もなお、出口の見えない生活の中にいるすべての人が、
1日でも早く、それぞれの人生をまた歩んでいけるよう願ってやみません。
2016.03.11 The Endcores 野口純史