【あし #9】車いす生活で世界はガラッと変わった
豆塚 エリさん(前編)
豆塚さんは現在、障害や病気によって安定して働くことが難しい方々の自立を伴走していくためのオンラインライタースクールの開校を目指し、クラウドファンディングを実施中だ。
このプロジェクトには、豆塚さんの人生が詰まっている。豆塚さん自身が障害を抱えたことで気付くことができた、自立への伴走支援の重要性。障害を負ってから直面した就労への壁。どうしたら自分の想いが伝わるかを考えるライティングが自分と向き合うことにつながることへの気づき。そんな豆塚さんのストーリーをご紹介する。
「障害を抱えてからよりも、子供の頃の方がしんどかった。障害者になってから助けてと言いやすくなったし、手厚い支援を受けられた。」という言葉に驚いた。裏を返せば、豆塚さんは、障害を抱えるまで支援を受けることができなかった。
豆塚さんは、在日コリアンのお母様のもとで日本国籍として生まれた。お母様はシングルマザーとして働きに出ていたため、昔で言えば帰宅しても家に親がいない「かぎっ子」、今で言えば親の育児が「ネグレクト気味」な状況だった。
3歳でお母様は日本人男性と再婚するも、夫婦間には、国際結婚の壁や女性差別やDVがあった。義理の親子の間にも、それまで母親から躾を受けていない反動もあってか、義父の厳しい躾があり、「母にとっても自分にとっても良くなく」、豆塚さんが中学3年生の時に両親は離婚した。
ずっと「母から愛されず、苦しかった」。それを周囲の大人に訴えても、「そんなこと言っちゃダメ。お母さんは大好きなんだよ。お父さんも愛情なんだよ。」と言われ、「そう受け取れない子イコール悪い子だと自分で思い込んだ」。一方で、母を支えるヤングケアラーという“プレゼン”は「偉いね」と言われた。「承認を得るためにはヤングケアラーを演じないといけない。そんなギャップが苦しかった」。
そう話す豆塚さんに、近くに学校や行政で相談できる先はなかったのか?と安易に尋ねてしまい、想像力が欠けていたことを恥じる。「家族の中で大げさにしたくないし、周りとの関係でも問題を抱えている子と思われることは避けたかった。例え児童相談所が家に来たとしても本当のことは言わないと思う」。
「親のことはやっぱり好きで、振り向いてもらいたい。母を罰してほしいと思っているわけじゃないんです」。むしろ、「頑張ってるね。お母さんにも悪いところがあるよね。なんてフラットに愚痴でも聞いてくれる大人が一人でも欲しかった」。その頃、その役割を担ってくれたのが義理の祖母だった。豆塚さんの話を聞き、「親のことは決して否定せず、でも少し前向きになれるような返しをしてくれた」。でも、その存在も離婚を機に失ってしまった。
その後、豆塚さんは県内で一番成績の良い学校に入学するも、なかなか勉強に追い付けない、頑張って大学に入りたくてもお金がないなど、再び母と娘の二人暮らしになり、お互いにイライラしてぶつかることが増え、コップに一滴一滴と何かが溜まっていった。
「当時は、自分にとって何が苦しいのか自覚できなかった。なぜこんなに死にたいのかもわからなかった。すごくたくさんの積み重ねがあって、複雑で、それを解きほぐす時間もなかった」。
高校2年生のある日。豆塚さんは、鬱っぽい症状で朝から起きれなくなる。自分でも情けないと思っている中で、帰宅した母から怒られ、気持ちが途切れた。「もう居場所がない、家を出てもお金がないから暇も潰せない。じゃあ死んじゃえ。」と、小学校の頃から溜まり始めていたそんな気持ちに最後の一滴が溢れ、飛び降り自殺を図った。
一命をとりとめたが、頸椎を損傷し、車いす生活になった。それと同時に、「親から離れ、福祉の枠組みの中にしっかりと取り込まれて、世界観がガラッと変わった」。それは、それまで経験したことがない、自立に向けた伴走支援を受けることができる世界だった。
(後編に続く)
▷ 働きたいけど働けないを支えたい。~豆塚エリの居場所作りプロジェクト
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