【あし #4】次の夢はパリパラリンピック金メダリスト
生馬 知季さん(後編)
(前編から続く)
高校卒業後に進んだのは、岡山県にある『国立吉備高原職業リハビリテーションセンター』。理由は二つあった。一つは、ここで職業技能を身につけて地元の和歌山県庁で公務員職に就きたかったから。もう一つは、第1話でご紹介した、パラ陸上の指導者である松永さんが非常勤講師をしていたから。
その後、生馬さんは一つ目の希望を見事叶え、和歌山県庁に就職する。ただ、「競技と仕事の両立ができず、練習も計画的にできない。自分の中で陸上の記録の低迷に耐えられず、退職した」。自分の中にあった「陸上競技でパラリンピックに出場したいという想い」をどうしても最優先したかった。
そんな折に、もう一つの希望の火は消えていなかった。「県庁辞めたんだって?」と電話をかけてくれたのは、たびたび練習を見てもらってきた松永さんだった。引き続き指導を受けるため、岡山県にある株式会社グロップサンセリテが運営母体で、松永さんが監督を務めるパラスポーツ実業団チーム『WORLD-AC(ワールドアスリートクラブ)』に活躍の場を移した。
そして、2020年。生馬さんは、東京パラリンピックに『男子100m(車いすT54※)』の日本代表として出場する夢を叶えた。でも、「予選で敗退し、嬉しさよりも悔しさでした」。そう振り返る生馬さんが、笑顔で続けた。「次の夢が金メダルになりました」。
バカみたいな質問をしてしまったと思った。頑張れる原動力は何かと聞くと、一言「好きだから」と返ってきた。「障害に悩んだ時期があって、スポーツで前向きになれた。強みを活かせる道として、人生で充実感を得られるのがスポーツなんです」。生馬さんが生活の安定を捨ててでも諦めたくない道が、陸上だった。
もう一つバカみたいな質問をしてしまったと思った。障害がある故の困りごとは何かと聞くと、「よく聞かれるんですけど、正直ないんです」と返ってきた。「自分で工夫すれば、できないことができるようになる。それでできなければ、周囲に助けを求めればいい。健常者も一緒ですよね」。
遠征などを通じて海外の見方にも触れてきた生馬さんから教えられた。「障害の有無じゃなく、すべての人を同じ目線で見たとき、じゃあその人にどれだけの配慮が必要かから考えてほしい」。例えば、障害があってもできるだけ一般の学校に通うために、この人には何が必要なのか。逆に障害の有無から考えて区分けすると、当事者も工夫すれば自分でできることを自ら考える機会も失くしてしまうのではないか。そんな風に話された。
生馬さんが活躍するパラ陸上は競技人口がなかなか増えないそう。理由の一つが、道具の高価さ。競技用車いすは素材によって値段が変わり、車体だけで安価なアルミでも30~40万円、ホイール込みで70~80万円、フルカーボンだと100万円超と、簡単には手が出ない。
そんなお話もお聞きして『WORLD-AC(ワールドアスリートクラブ)』のトレーニングジムを後にしてふと振り返ると、生馬さんが車いすで追いかけて出てこられた。「これ、世界パラ陸上選手権で獲得した金メダルです」と差し出され、感激してしまった。できる支援はさせていただくので、パリパラリンピック頑張ってください!
▷ WORLD-AC
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