【あし #6】障害を忘れるフラットな関係こそ当たり前
上岡 央子さん(前編)
今年1月20日に開催された『チャレスポ!TOKYO』。その会場で溌溂とした笑顔で「写真展やります!観に来てください!」と声をかけられ、手に取ったチラシには「On The Water パラカヌーアスリートの素顔」と書かれていた。『一般社団法人日本障害者カヌー協会』事務局長である上岡さんとの出会いである。聞けば、前職は古着屋のオーナー。そこから、なぜパラカヌーに。
遡れば、「記憶がある限り4歳ぐらいから」障害のある人に馴染みがあった。かつて重度障害児の施設で保育士をされていたお母様のもとには、当時お世話した子が大人になっても集まっていた。お母様に連れられて一緒に外に遊びに出たり映画を観たり、食事介助するシーンも見てきた。障害を“障害と認識しない”小さい頃である。「自分たちと違うことに興味津々で、たくさん質問したり車いすを触ってみたり、自分なりにコミュニケーションを取っていました」。
電動車いすやベッドのままで外に出ていくことは、「当時はもっと理解がなかった」。電車に乗るにも、駅員さんの良くない対応を不思議に思いながら、「親御さんが一番喜んでくれる」姿も見てきた。外に出て、遊びや社会を知ってもらうことを母親が働きかける意味を子供心に感じた。
その延長のまま高校生になった頃、お母様なしに自分ひとりで障害のある友人と遊びに出かけるようになる。「それまで母親が環境を整えてくれていたんだ、映画もレストランも車いすだとこんなに大変で自由じゃないんだと初めて気づきました」。
当然、当時の上岡さんが何か介助の資格を持っているわけではない。それでも、一人で外出できない、遊びに行きたくても行けない友人はいる。「テクニックは必要かもしれないけど、できないことはない。後はお互いの信頼関係で。」という気持ちで、移動も食事もトイレも「言ってくれたらやるよ」と、昔のお母様のように働きかけた。
大学を卒業してすぐに夢の古着屋を独立開業するが、その傍らでもそうした友人の支援を続けた。お金のためではなかったが、ヘルパー制度が整っていく中で、お母様に資格取得を勧められる。「資格なくてもサポートできる」自信はあったが、周囲からも「ヘルパーになればお金も払える」と気を遣われたこともあり、ホームヘルパーとガイドヘルパー、そして介護福祉士の資格を取得した。
その後、重度障害者が自立して生活する『CIL(自立生活センター)』で夜勤介護のアルバイトを始める中で、当事者でもある同センターの代表が「カヌーに乗りたい!」と言い始める。もともと水が好きだったが、車いすで砂浜を移動することは簡単じゃない、だったらカヌーはどうか、という発想だった。その願いを叶えようと情報を探し、電話した先が、現在上岡さんが勤める『一般社団法人日本障害者カヌー協会』の当時の会長だった。
その会長さんから、ご自身も車いす生活になって初めてカヌーを体験し、「水の上は段差も坂道もなく、障害を忘れるぐらい楽しめる。だから一人でも多くの人にそれを経験してほしい。」と協会立ち上げに込めた想いを聞いた。
上岡さんも実際に乗ってみて、その想いを実感した。「目線の差がなくなり、コミュニケーションもフラットで遠慮がなくなる」ことを水の上で感じることができた。小さい頃から障害のある方と交流してきた上岡さんにとって、「この感覚が、この関係性こそが当たり前なんだ!」と腹落ちした。こうした考えを、カヌーを通じて世の中に知ってもらう、それをできる唯一の協会が東京にあり、そこから発信する意味は大きい。「ピンときたんです」。
(後編に続く)
▷ 一般社団法人日本障害者カヌー協会
▷ 写真展【On The Water パラカヌーアスリートの素顔】
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