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【こえ #35】声を取り戻し、また誰かに声をかけ続ける

磯 房世さん


 埼玉県内で、声帯を摘出し声を失った人に対して発声訓練を通じて社会復帰を支援する『埼玉銀鈴会』。そこで、磯さんはひと際明るい笑顔を振りまき、声を取り戻そうとする方々に声をかけ続けていた。


 ご自身に声帯を摘出した経緯を聞けば、「本人に確認されずに、声帯とっちゃったの」。私からすれば笑い事ではないが、磯さんは笑って話された。

 声帯摘出に至る最初のきっかけは、「気管が腫れて横になると息が苦しかった」ことだが、内科に行っても、耳鼻科に行っても、大病院に入院しても理由が判然としなかった。自ら「こんなに苦しいのに!」と改めて呼吸器科に訴えて初めて、甲状腺がんのステージ4だと判明した。

 当初は、甲状腺の摘出手術を行うにあたり、気管切開は必要でも、声帯は摘出しなくても大丈夫と聞いていた。だから「介護の仕事に復帰できると思っていた」。

 気管切開の手術では肺気胸が起こり2時間で終わる予定が5時間もかかった。さらに、その1か月半後の甲状腺摘出の手術では、術中に癌がリンパの方まで広がっていることが判明する。その場で「声帯も摘出した方がいい」という医師の提案に家族が了承した。

 術後に自身の声帯が摘出されたことを知ったら、普通どうだろうか。そう思いながら尋ねると、「そうなったらなったで、落ち込んでも仕方がない」。磯さんのそんな前向きな性格は、一番暗くなる自身こそが明るく振る舞うことで、周囲の看護師さんさえも笑顔にした。


 退院後すぐに『埼玉銀鈴会』に入会する。会員の皆さんは、口や鼻から食道内に空気を取り込み、その空気を“ゲップを出すように”逆流させることで食道入口部の粘膜のヒダを声帯の代わりに振動させる『食道発声』に一生懸命に取り組んでいた。そういった知識もなくそれを見た、磯さんの旦那さんが「あ“~~」とおどけて真似して見せたことに、磯さんは「キレた」。

 その反動で旦那さんに「隠れて練習し続けた」結果、2月に入会してすぐに一語を発し、5月には長い文章も発せられるようになるなど、ものすごいスピードで声を取り戻していく。その結果、翌年の5月に開催された『埼玉銀鈴会』のスピーチ発表会の場では、成果を見に来た旦那さんに「おまえ、すげー喋るじゃん、、」と言わしめた。さらに、その翌年7月には、発声方法を教える側の指導員にまでなった。


 声を取り戻していく中で仕事を探していると、以前働いていた介護の職場から声がかかる。でも、磯さんは「断った」。術前に「介護の仕事に復帰したいと思っていた」のになぜか。理由は、「介護は、声がけが一番だから」。声を取り戻したけれど、以前と同じような声がけができないからなのか、「(介護現場で)ご飯を準備したり、お皿を洗う仕事だけを受けた」。


 冒頭にも書いたが、そんなお話をお聞きした後も、『埼玉銀鈴会』で磯さんはひと際明るい笑顔を振りまき、声を取り戻そうとする方々に声をかけ続けている。そんな磯さんが以前介護の仕事で高齢の方にしていた“声がけ”とは何が違うのか。違うとすれば、そんな“昔の声“を取り戻す手段はないものかと考えさせられた。

 このお話をお聞きした最後に、「1か月ほど前に旦那が脳幹出血で亡くなった」と聞かされた。それを微塵も感じさせない明るさだった。やはり、その磯さんの明るさや声がけを介護現場に再び届けられないものだろうか。自分が“納得できる声”を取り戻す手段はないのか、何度も考えさせられた。


▷ 埼玉銀鈴会


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