【あし #18】すべては、誰もが自分の力で立つために
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川村慶さん、大屋正子さん、大場サツキさん(後編)
(前編から続く)
現在三代目として川村義肢株式会社を率いる川村さんだが、「父親は働きまくっていて、ほとんど家にいなかった。そんな家も会社の上にある社宅。そんな社長への憧れはなかった」
学生時代からアメリカンフットボールに力を注ぎ、スポーツ推薦で大学に進学。1年時からチームは優勝し、トップの企業チームからもオファーが届いた。ここでも、お父様は大賛成だった。
それでも、お母様との約束で、大学卒業後に義肢装具学校に通う。アメフトの練習との両天秤という日常を繰り返す中で、いつの間にかアメフトよりも義肢装具に気持ちが寄って行き、最終的に、川村義肢に入社した。
お父様はわかっていたのではないか。いかに息子とはいえ、社員と同じ。自分が幸せでなければ、いい仕事ができない。ましてや、社長になっても会社の社員を幸せにできないと。
そこから川村さんは義肢装具をつくる製造部門から始まり、その分野で最先端であるドイツにも派遣され、会社のあらゆる部門で経験を積んでいった。そして、31歳の時、お父様が亡くなったことを受け、川村義肢を引き継ぐことになる。
「年商68億円の会社の負債が70億円」という厳しい船出。当初の資金繰りから始まり、近年ではコロナ禍もあった。義肢装具士は本来、手足や体幹などに障害のある患者に病院に会いに行くことから仕事が始まる。そんな通常業務さえも破壊された。
そんな中でも、会社として「お客様がやりたいことを諦めないよう、不自由を自由にする」意思と仕事を貫いてきた。その結果、前話冒頭のショールームで説明した福祉用具・機器や、さらには制度面で価格が決められていない一般市場であるスポーツ向けのサポーターなどに活路を見出し広げてきた。
従来の義肢装具に限らず「これまで積み上げてきたノウハウで救える人はたくさんいる」と信じている。
川村さんの目線は、業界全体の発展にも向いている。「全国各地のライバルメーカーと協業したい」
矛盾するような言葉だが、その背景には義肢装具業界が抱える課題がある。当然だが、義肢装具を必要とする人は全国に散らばっており、かつニーズも多様だ。一方で、全国にある義肢装具メーカーは比較的小規模な事業所が多く、同じ義肢装具士が、病院での患者への「接遇」から始まり、会社に戻っての義肢装具の製作、それができあがると病院にまた行ってフィッティングという一連の業務をすべて担っている。その結果、デジタル化の遅れなども相まって必然的に長時間労働になり、かつ給与水準も低いため、担い手不足に陥るという悪循環から抜けられないでいる。
そうした中で、川村社長は、「最も大切なのは(患者への)接遇」と言い切る。製作技術や製品よりも前に、それで「その人が何をしたいのか」をちゃんと引き出し、それを適切な製作技術や製品に置き換えることは、義肢装具士しかできないからだ。
であれば、全国各地の小規模な事業者には、これまでのノウハウを生かして接遇に集中してはどうか。患者の身体データを送ってもらって川村義肢で代わりに製造を担うような役割分担もできるはずと川村さんは考えている。実際、北海道の地元で製作すれば4週間かかる装具が、そうしたやり方で1週間で患者に届けることができるようになり、「皆にとってのハッピー」が生まれている。
川村社長はこうして、各地の小規模な事業者を支えるために、自社工場を「日本の工場」「世界の工場」にしようと呼びかけている。業界内の働き方を変えるとともに、自社工場内での仕事量が増えれば、また仕事の仕分けをして障害者が能力を発揮できる場面が増える。
ここでも、障害者は「数合わせじゃなく、戦力」なのだ。
川村社長から最後に「たまたま体に○○障害があっただけで、誰もかれも所詮”人”」という言葉が出た。川村義肢のロゴマークは「人が自力で立っているのをサポートしている姿」を表現している。誰もかれも「自分の力で立ってほしい」という想いが込められている。
例え制限がある環境でも、どう支えればその人は自立して納税者に変われるか。お金を稼げればスポーツもできる、スポーツができれば孤立もしない。そうしたサイクルのために何ができるか。川村義肢のすべては、そこに通じている。
最寄駅までのタクシーを待つ間に、川村さんの秘書の大場さんが話してくれた。ご自身も足に義肢装具を付けておられる様子だ。
「私、転職してきたんですけど、前の会社はすごく配慮してくれたんです。自分でやりたくても、大丈夫だから、代わりにやるからって。でも、ここに来たら、周りにたくさん障害のある方がいて。オラオラ系のベテランの職人さんなんか、私の様子を見て「お前は、納税していて、ええぞ」なんてぶっきらぼうに言うんです。嬉しかったなぁ」
私は、「あし」のカテゴリーとして、義肢装具を扱う会社の社長さんにお話を聞きに行った。それは、とんでもない誤解だった。
前編でご紹介した「創業の精神」は、川村さんの代になって、「ソウルパートナーとお客様のQ.O.L.向上を絶対にあきらめない」という別の言葉になった。「ソウルパートナー」とは、共に自己実現に励む社員を指す。
川村義肢が取り組む世界にカテゴリーなどない。その世界にひたむきに励むのも社長だけではない。
ここまで読んでくださった皆さまに‥
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