名神高速唱歌

晩酌してたら鉄道唱歌的なものが作りたくなったので徒然なるままに書いた。突貫工事の草稿なので、内容とか文法は結構間違えてるかもしれない。


武蔵のみやこ 西へ
そう駿すんえん 三州と
諸国の盛観 窓外に
見つゝは来たる 大名古屋


此処は本朝 第三の
繁華の都会 蒼穹に
聳ゆるビル群 多けれど
今も双鯱そうこは うずもれず


その北行かば 小山おやまあり
そのいただきに 小牧城
えきの舞台の この市街
名神高速 起点なり


のんぼり洗いが 春告ぐる
五条川の 堤には
尾張野いちの 花並木
千朶万朶の 十余じゅうよキロ


左手ゆんでに緑の 瓦斯タンク
見れば間もなく 一宮
紡績工場 なお多し
四方よもに轟く 織機の


尾西に毛織を 伝えるは
海部郡津島の 春吉ぞ
その像立つる 公園の
池にしのぶる 大湊


飛山濃水 岐阜県を
貫く東海 北陸道
険しき山河 突破して
いざ見に行かん 日本海


羽島・安八 木曽三川
輪中・水屋と 知恵重ね
暴るる水を 治めつつ
流れのめぐみと とも暮らし


蓮華はちすの花が 咲き競う
水郷地帯に 散る戦火
長島一揆を 耐え忍び
念仏ねんぶ (ツ)の燭火 なお絶えず

一〇
薩摩の義士の 紅涙を
伝う千本 松原や
身命惜しまぬ 忠僕の
御恩をしのぶ みどりかな

一一
おくの細道 むすびの地
水都大垣 城の街
南は滝の 養老ぞ
西は石灰 金生山かなぶやま

一二
東山道とうせんどうに 国分寺
中山道なかせんどうに 茶屋屋敷
時代は常に 流れゆき
今は眼下に 牧田川

一三
天下分け目の 争いを
二度生じたる 関ケ原
壬申みずのえさるも 慶長も
あずまの軍が 降したり

一四
冬の濃尾に 寒風を
送る霊峰 伊吹山
そのすそ梅花藻 咲く清水しみず
湧く宿しゅくかすめ 米原へ

一五
天守の姿 壮麗な
国宝五城の 彦根城
金亀こんきの上に 観世音
伝説のこる 山にたつ

一五
近江路古跡 数多なり
河内風穴 多賀大社
湖東三山 永源寺
日牟禮八幡 安土城

一六
石榑峠 山麓に
商人あきんどの街 八日市
蒲生・竜王 栗東と
車は馳する 西へむけ

一七
東海道と 中山道
つなぐ草津の 宿場町
今も新旧 名神を
つなぐ要衝 うみあおし

一八
杣山そまやま多き 江州は
天井川も なお多し
本陣となりの 草津川
近頃つけ替え せられけり

一九
琵琶湖の彼方 うすがすむ
かの高峰こそ 我が国の
天台山と みな譬ゆ
伝教大師は 今もなお

二〇
急がば回れの 諺は
矢橋の船路に 由来せど
文明常識 翻し
当時は陸路くがじ こそ易き

二一
瀬田の唐橋 制するは
天下を制すと 言わるるも
昔の話に なりにけり
今はまじろぐ すきもなく

二二
かりほの庵の 天智帝
白村江の 仕儀うけて
ここぞ大津に 宮うつし
公事務むるも 五年間

二三
知るも知らぬも 逢ふ関を
くぐりて開けし 山科の
盆地の中には 今もなお
御坊の土塁 消え残る

二四
京のインター 近傍に
北面武士の 鳥羽離宮
風のまにまに 朽葉散る
広場のみあり うら寂し

二五
ここは千年ちとせの 京師にて
丸竹夷と 紫陌しはくあり
今も雲居の 空高く
仰ぐ清涼 紫宸殿

二六
風情を残す 洛中に
兀立こつりつしたる タワーあり
いらかの海の 諸人を
導く地上の 灯台か

二七
朱雀をまもる 大池の
波うつ水面みなも 今はなし
大干拓を 完遂し
稲穂の八重波 目も遥に

二八
戊辰戦争 勃発地
にしきの御旗みはたは 永遠とわなるか
思えど二河にがは ここに落ち
川の流れは 絶えずして

二九
大山崎の 八幡は
油座神人で 知られたり
川の彼方の 石清水
此処のもりより 遷りたり

三〇
じょうせつさかいの 天王山
豊太閤は この山で
油と水の ごとくなる
光秀公を 破りたり

三一
高槻・富田 茨木と
三島郡域 うちすぎて
高山右近の 御膝元
潜伏基教徒 山の奥

三ニ
秋津臀呫となめの 如きしま
なおも西行く 中国道
吹田で分岐し 関大を
くぐれば大阪 ほど近し

三三
豊中降りて 池田線
神崎・淀川 渡るれば
キタの梅龱は そこにあり
ミナミの難波も 遠からず

三四
畿内の工都 尼崎
普く広がる 菜種畑
その情景は 昔にて
港の煙突 背比べ

三五
武庫川渡りて 西宮
ここにて名神 道尽くる
芦屋・神戸は あとわずか
旅はおわんぬ くさまくら

三六
しばらく息いを 得たならば
沈む恵日 追いかけて
更に西へと 進ままし
柳にかすむ 月の影

東名高速唱歌も書きました。

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