ピンチをアドリブで乗り越える技 62/100(集合体)
自問自答を繰り返しながら、
アドリブと演技の関係を
追求していってみようと思い立ちました。
100回(?!)連載にて、お送りします。
「ピンチに強い精神力」の第三弾です。
このテーマで書き進むにあたり、いま時事問題となっている事柄に触れずにはいられない、と思います。
皆さんが持っているイメージとは違い。じつは能狂言の世界と、歌舞伎界の間にはあまり交流がありません。
このふたつの業界、そもそも、ビジネスの形態が大きく違います。
歌舞伎には、松竹という大企業がバックについており、公演の殆どは企業主催となります。
対して、能狂言の世界には、大企業がありません。
国からの援助も殆どありません。
それぞれの役者が、個人事業主、もしくは小規模の法人として、全国各地の公演を行なっているのが、能狂言の体制です。
つまり能狂言は、個人の集合体で成り立っている世界で、巨大ビジネスではないので、責任もある程度、分散されています。
歌舞伎のほうは、ほぼ全ての公演が一社に統合されていて、人気の役者は、業界全体を背負わなくてはならないので、その苦悩は計り知れないものがあるように思います。
話が逸れてきてしまいましたが、背負うものが大きければ大きいほど、ピンチと感じる場面も多くなり、その一つ一つも、より重く感じるのでしょう。
そういった意味では、ピンチに強い体制というのは、上手いこと重責を分散させることの出来ている、状態かもしれません。
たとえば、私が即興演劇の劇団を主宰していた時は、公演全体の責任を負う立場でした。
即興で紡がれていく物語のシナリオに気を配るだけでなく、観客に傾聴をして(19/100参照)、劇場全体の空気感を把握し、コントロールする必要がありました。
時には、こちらの役割を優先するために、あえて主要な登場人物にならない様にすることもありました。
自分が、主役も張りつつ責任も負うというのは、相当難しいです。しかも、連続公演!
一人で全てを抱えなくてはいけない状況というのは、ピンチに弱いかもしれません。
前回同様、やはりチームワークで取り込むことの出来る状態の方が、重責を分散できるという意味では、楽だとおもいます。
先ほど、個々の集合体という表現をしましたが、これを実践できていたとされるのが、ギリシャ悲劇です。
複数名で群衆の視点を持たせ、批判を加える存在である、コーラスのことを、コロスと訳します。
ナレーションの役割、文楽でいうところの浄瑠璃の部分を担っていたとも言えるかと思います。。
これは、連帯責任を負うような集団ではなく、自立した個人の集合体であるべきだと言われています。
日本の小学校の班制度が染み付いている日本人としては、非常に難しいのですが、団体を考える時、この個人の集合体という理念、私は個人的に非常に気に入っています。
ご冥福をお祈りいたします。