ピンチをアドリブで乗り越える技 67/100(ベント)
自問自答を繰り返しながら、
アドリブと演技の関係を
追求していってみようと思い立ちました。
100回(?!)連載にて、お送りします。
引き続き、同じテーマで3回目の連載です。
イギリスの演劇学校での授業内容です。
「小学校で起きた無差別殺人事件の、加害者と被害者家族の和解プロセス」
という題材で、創作演劇のために即興を続けるのですが、イギリス式の演技技術を持って挑むので、一触即発な掴み合いのシーンを行っても、大丈夫だという安心感はありました。
さて、それぞれの授業時間は、長くて3時間ですので、ここにも演技が求められます。
昨日終了した部分から、数週間経っているという設定で即興を再開しよう、という時もありました。
逆に、授業終了時点で、ここで一旦止めるけど、明日もここから再開します。
という時もあります。
これが結構厄介でした。
3時間近くにわたって、演じてきた役を、一度脱ぎ捨てて日常に戻らなくてはいけません、でもそれまでバチバチに対立していたので、そう簡単に元の状態に戻ることは出来ません。
これまで、イギリスの役者は職人的なので、役のオン・オフが容易に出来るという話をしてきたと思います。
それはそうなのですが、この場合はその自分の役も相当、自分自身に寄せてみんな役作りをしてきてるので、切り替えが難しくなります。(48/100参照)
特に危険だったのが、即興という枠組みの中で、役同士が罵詈雑言を浴びせあったりすると、その役が自分自身と重なる部分が多いので、その罵詈雑言が自分自身に向けられたものなのか、境界線が曖昧になってきます。
とくに、即興の中で、相手に大きな影響を与えたいというモチベーションというか、演技上の意図(53/100参照)から、これまで2年間濃厚な時間を共に過ごしてきた仲間達だからこそ分かる、一番痛い部分を突いたりするわけです。
フィクションと現実の境が薄れていきます。
演劇学校での生活というのは、別に共同生活をする訳ではありませんが、演技という、自分探しと、感情の学びを共にしていくので、通常の人間関係とは全く違う濃厚な関係を築くこととなります。
お互いの良い面も弱い面も、曝け出し合ってますし、認め合わなくてはいけません。
それでも、流石に24名(入学時から2名脱落)全員が気が合う仲間になっている訳ではありません。
同士意識は強いですが、そこには得意不得意があったり、決して円満な関係ともいえない状態も、同時に築き上げられているのです。
創作演劇のための即興という名目があるにせよ、このお題目があるということで、寧ろそれまで溜まっていた鬱憤が、「和解プロセス」というフィクションの枠の中でぶつかり合うこともあります。
これが絡んできてしまうと、いくら稽古時間が終わったからって、そこから容易には抜け出せないというのは想像に難しくないかと思います。
でも実は、こういったプロセスを通して、私たちは以前よりも強固な関係性を、再構築することが出来ました。
前回の圧力鍋が開かれたような感覚です。
そこには苦痛を伴いましたが、適度なベントがあったことで、次のステージを見ることが出来ました。
同時に、役と自身の距離感についての学びを私たちは得たのですが、皆さんも似たような経験をなさったことがないでしょうか?
先述の荒木さんは息子さんとの関係性において、和解と神秘の出現を経験なさったようです。
ピンチはベント
なのかもしれませんね。