ラジオ体操について
自然に身体が動く
「つなぎ」と「流れ」の
リズム体操
「腕を前から上げて、背伸びの運動から〜」
と聴くと👂
身体が自然に動きだしませんか?
これほどまでに
日本人🇯🇵の身体に刻み込まれたラジオ体操
このラジオ体操を
創った人、知ってます???
茨城県出身の
遠山喜一郎
(とおやま・きいちろう)
遠山喜一郎は明治42(1909)年に
茨城県に生まれました
優れた身体能力で体操競技に打ち込み
昭和11(1936)年に
開催されたベルリンオリンピックに
日本代表選手として出場(当時27歳)
後に、日本体操協会副会長を務めるとともに
日本にいち早く新体操を紹介し
その普及と発展に尽力した人物
遠山さんが作成依頼を受けたのは
戦後のラジオ体操再改訂版
(現在のラジオ体操)
再改定版ですから
それ以前に改訂版が存在しました
しかし改訂版は
動作が複雑な上に難しく
ほとんど国民に浸透しなかったため
昭和21(1946)年の放送開始から
1年半で中止になってしまいました
そこで、遠山さんをはじめとする
原案作成委員たちの
新ラジオ体操を作るための取り組みが始まる
作成に当たって重点を置いたのは
動きの「つなぎ」とリズムの「流れ」
「一度動き出したら、音楽に乗って最後までやりきれるものでなくてはならない」というのが遠山さんの体操理論
それまで日本にはない身体の動きは
作成するのが非常に困難だと思われていました。
しかし、戦時中に土浦海軍航空隊予科練で
体育教師を務めていた遠山さんは
その時すでに
リズム体操を訓練に取り入れていたのです
その経験を生かし
ラジオ体操を創り上げました
そして、昭和26(1951)年5月
ついにラジオ体操の放送が開始されました
その出来映えはあまりにも素晴らしく
アメリカ空軍の大佐から
「自分たちの基地でも取り入れたい」と
申し入れがあったという逸話が残されています
ラジオ体操に対する熱意が
終戦直後のGHQをも説得...?!
こうして戦後のラジオ体操は
アメリカ軍からも認められる存在となるが
そこに至るまではかなり険しい道のりでした。
終戦直後
日本はGHQ の
占領統治下に入ります
GHQ
連合国軍最高司令官総司令部
すぐにラジオ体操が中止になったわけではあません
敗戦の日の1週間後には、日本🇯🇵は
当然のようにラジオ体操は再開されました
それほどまでに
日本人の生活に密着した存在となっていたのです(戦前からラジオ体操はやっていたので。)
しかし
それを目にしたGHQ内でラジオ放送を管轄していたCIE(民間情報教育局)は
NHK(日本放送協会)の幹部職員を呼びつけ即刻中止を指示します
なにしろ
NHKラジオから流れてくる号令に合わせて
約300万人ともいわれる人たちが
一斉に同じ動作を行うのです
欧米人にはまったく理解できず
ある意味
恐怖を覚える光景だったのかも知れません
ニッポンジン
ノ
ダンケツリョク コワイ
当時
GHQは「軍国主義的及ビ極端ナル国家主義的イデオロギーノ普及ヲ禁止スルコト」
という日本に対する戦後教育を行っていました
ともすると
全体主義的に見えるラジオ体操が
禁止されるのは当然のことでもありました
軍事的集結を連想させるくらいの団結力
そこで、ラジオ体操関係者らが
「ラジオ体操は気分をさわやかにするもので、争いをなくすには効果的だ」と説得します
実際に連合軍の将校たちの前で体操を見せるなどの努力の結果
ラジオ体操は再開されたのです
遠山さんも
戦後のラジオ体操改訂版が
中断したときには全国の教育委員会を廻り
県民体操や市民体操の制定を求めて奔走
上からの統制ではなく
国民が自発的に行う民主主義的な活動であるなら、GHQも規制できないと考えたからです
実際に遠山さんは
茨城県民体操をモデルとして作成
現在も、県内にある
多くの小・中学校で採り入れられています
(いばらきもの知り博士/いばらき・もの知り情報はみだし003参照)
初代ラジオ体操の話
日本でラジオ体操が最初に放送されたのは
昭和3(1928)年のこと
アメリカの生命保険会社が考案したラジオ体操を実施し日本での簡易保険普及のために活用しようと考えたのです
そして、郵政省簡易保険局が制定し
生命保険会社協会とNHKとの共同で広められました
しかし、NHKで簡易保険の広告をすることはできず集団的精神を培養するためとして事業は進められました
ラジオ体操の黎明期には
全国に広めるためのさまざまな取り組みが行われました
体操をしながら眺める
「体操掛軸」や「体操人形」の作成
また、「国民体操宣伝隊」を組織し
全国各地を廻る取り組みもなども行われています。
また、「健康星取表」というカードの無料配布も行われました。
体操をした後に星を付け、1銭の貯金をする。ラジオ体操をすると
健康とお金が手に入るというわけです
さらに、体操の指導者育成も積極的に行います。全国各地でラジオ体操指導者講習会が開かれ、修了者には「指導者章」が授与されました。
昭和13(1938)年には約11,000人が指導者として認定され、各地で「ラジオ体操の会」が発足
さらに全国統一組織「ラジオ体操連盟」が結成されました
これが現在の「全国ラジオ体操連盟」の前身です
そして現在
ラジオ体操関係最大のイベントとして
「1000万人ラジオ体操・みんなの体操祭」が毎年開催されています
このイベントは
1000万人にも及ぶ人々が一斉にラジオ体操を行うという壮大なもの
昭和38(1963)年からスタートし
株式会社かんぽ生命、NHK、NPO法人全国ラジオ体操連盟主催で、毎年、開催地を変えて行われています
草の根的な人気の高さは
ラジオ体操関連書籍が好評であることなどからも伺うことが出来ます
さらに詳しく知りたい方は
下記の【ラジオ体操の父】をご覧ください
夏の早朝、まだ涼しい風が吹く中を
ラジオ体操の出席カードを首から下げて
公園や広場まで走った…
そんな思い出のある方も多いと思います。
遠山喜一郎さんは
生前、こんな言葉を残しています
「富士山は裾野が広いから美しい。ラジオ体操も同じだ。
国民全体がやって
はじめて素晴らしいものになるんだ」
みなさんも少しだけ早起きして
ラジオ体操を日課にしてみてはいかがですか?
追伸→ラジオ体操って
第一、第二だけでなく
なんと
なんと
【第三、第四、第五】が
あるの、、知ってた??
それゃ、
長くなりそーなので、ここら辺で!🙌
今日も、できるだけ身体を動かして
深い呼吸して生きましょう!
運動は、運を動かす!
運動は
ボディ、マインド、スピリッツが統合する
運動は身体づくり
身体づくりは魅力づくり
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