「ムーンライト」がマイノリティ物だと思ってたら「ニンジャ・サルベイション」だった件
いきなり関係ない話で恐縮ですが、記事の末尾についてる星カウンタ、あれの数字をクリックしたら星押下者がだれなのか表示されるシステムだということを今日初めて知りました。ありがたいことでございます。私の駄文にコメントを寄せて下さる人までいらっしゃることを知り、正直感激がありました。星押下してくださったのは専らニンジャヘッズの皆さんのようですので、私の趣味と独断による糞みたいな長文以外にも、ヘッズ向きにサクッと読めるお役立ち情報的なものを書いていきたいなと思いました。
で、感謝記事として、私のおススメのビールの注ぎ方とこっちとどっちにしようか迷ったんですが、感想が新鮮なうちにこっちを書いてしまうことにしました。
あ、忘れないうちにお勧め情報を一つ。「ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン」(Amazonリンク)は、買おうかどうか前から迷ってて、つい最近買ったのですが、登場人物紹介のところで、いきなり
「モスキート………電卓ヤクザの組長」
という危険水域に達しており、完全にヘッズ向けにチューニングされていると判明しました。今読んでる最中です。
それと、本題に入るまえにもう一点だけ。ダイハードテイルズ公式に星押下して頂けるのは大変光栄なんですが、私の糞長文を最後までお読みいただくのに必要な時間を多忙極まるDHTの先生方が現実時空で確保できるとは到底思えないんです……タグがついた記事に機械的に星押下する自動ワンちゃん類似のシステムを運用していると解釈するのが現実的ですが、もし万が一、私の糞長文で時間を浪費されているようであれば、私としては大変申し訳なく思いますので、どうか、貴重な時間を私の糞記事ではなく睡眠や飲酒等に充てていただければと願っています。そのために、ビールの注ぎ方以外にも、感銘を受けたハードコア酒場とかの情報をできるだけ書いていくようにします。
では本題に入ります。
相変わらず予告編は糞!でも見くびっていたのは完全に私の責任だ
なんか最近映画を見るたびに、事前に見くびっていた自分を反省してばっかりのような気がするんですが、事実なんだから仕方がないし、見くびってるやつに分からせるパワーがあった事実を証明しているともいえるので、正直に書きます。
公式サイトの日本向けの予告編や紹介のしかたなんか本当に酷くて、本編フッテージにないナレーションやテロップを山盛りして「切ない純粋愛であなたは動く!アカデミー!」みたいな映画扱いして売ろうとしてますけど、実際の映画本編の内容は全く別物です。けど、今回ばかりは、観客を騙して動員し、騙された観客に予想外の体験をさせたという意味で、まあ許せないというわけではないということも一応言えます。
いや、前言撤回!「愛と感動」とか言われただけで鑑賞する気をなくすであろう多くの人々を遠ざける意味でやっぱり弊害のほうがデカい!こんなことを続けてると、そのうち気づいたら魔女狩り松明行列に包囲されてるのは自分のほうだったみたいなことになるぞ!業界に巣食う水生ショゴスどもは怒りの干し草フォークで刺されないうちにさっさと反省しろ!
私もちゃんと反省します。鑑賞前の私は「白人独占とか言われるとすぐビビるアカデミーがアリバイ的にララランドのかわりに授与した、マイノリティ人種のマイノリティ性志向の人の映画なんだよな。まあ流石に駄作ってことはないだろうし、いっちょララランドを超えるものがあるんかどうか見せてもらうか」くらいの感覚で完全にみくびっていた上、予告編をさんざんバカにしておきながらこのような先入観を持っていたのは、完全に私の落ち度であったとここで率直に認めます。
で、この映画のどこが良いのかという点なんですが、実は、ネタバレなしではっきり説明することができません。ネタバレは本記事最後に書くことにして、この映画の客観的側面を紹介したいと思います。
シャロンを親として見守り続けられるのは観客であるあなただけだ!
まず、ネタバレなしで説明できないのは、この映画が、最後の最後のクライマックスで、それまであったあれやこれやがエピファニーの瞬間の一点に凝縮され、そして物語の外に解き放たれるという構成を重視した、極めて普遍的なテーマを扱った作品だからです。そのエピファニーの瞬間に、この映画が何を語りたかったのかが観客に分かる仕掛けですので、ネタバレなしでは説明できないのです。
次に、主人公が人種的にマイノリティであるとか性志向的にマイノリティであるとかの要素は、そういうマイノリティネタを映画のテーマにするために設定されたものではなく、専らこの映画のストーリーの説得力のために選択されたものといえます。なので、同性愛とかそんな要素にカメラを向けるシークエンスは、ラストのために必要だった一点を除きほとんどありません。むしろ、観客は「これは同性愛なの?」という疑問まで感じるようになっています(ここがこの映画の語り口の巧妙なところなのですが)。当然、切ない愛だとかそんなものがテーマになっているわけではありません。
だからといって、この映画がラスト重視の、ラストまでは中弛みする映画であるというわけではありません。この映画を「映像美!」とか言って褒める評論家もいるようですが、映像美なんかこの映画のごくごく一部の要素にすぎないと私は考えます。ドラッグ荒廃ストリートで、あるいは荒廃公立高校で、自らを取り囲むほぼ全てから拒絶され迫害を受ける主人公シャロンには、幼年時代から少年時代まで絶えず破滅の不穏な予感が漂い、観客は親目線でシャロンの行く末をハラハラ心配しっぱなしになります。そして、成人したシャロンが観客の前に姿を現した時、あまりのシャロンの変貌ぶりに、それまで正直「シャロン君可哀相なやっちゃなあ」みたいな感覚だった観客は「いやいやシャロン君何があったの!?」と驚愕し、そこから先は、予感にとどまらない明らかな破滅の影を背負ったシャロンから一時も目を離せなくなるでしょう。
そして、月の光が分け隔てなく降り注ぐ少年時代から幾多の年月を経て、かつての友人に対し、シャロンが自分は何者であると語るのか、これが明らかになったときに、この映画がこれまで説明した道具立てで極めて普遍的なテーマを語っていると分かるのです。率直に、この映画が挑戦したハードルの高さはララランドよりも高いし、かつ、ハードル越えに成功していると私は認めざるを得ませんでした。
この映画がみんなで楽しく鑑賞してワオワオできるものではない以上、私は軽率にこの映画をお薦めするつもりはありません。ですので、私が鑑賞直後に真っ先に連想したのが「ニンジャ・サルベイション」であったと述べるにとどめたいと思います。「ニンジャ・サルベイション」の連載中はなんか実況とかが物足りないなあと思っていたのに、連載終了後実況抜きで本文だけまとめて読むと全く異なった印象を受けて「ニンジャ・サルベイション」がフェイバリットになったヘッズのかたには、決して私は安易にお薦めはしませんし自信もありませんが、得難い映画体験になるのではないかと、私は勝手に思っています。
以下、最後に、ネタバレで私見を述べることにします。
この先ネタバレに注意!
もうすぐネタバレ!
あくまで私見ですが、この映画と「ニンジャ・サルベイション」には、救済なき世における贖罪と赦しにフォーカスするという共通点があると感じました。
この映画の主人公は、クライマックスにおいて、自らがいかに変貌したように見えても、自分は少年時代の自分と同じ自分であると宣言し、かつての友人にとって赦す者としてその前に現れたことを伝えます。これが、主人公を含む登場人物たちにとっての、そして観客にとっても、一種の救済として機能するという点が、私が感じた「ニンジャ・サルベイション」との共通点です。
自分がかつての自分であり続けることが、自分を含む誰かにとっての贖罪あるいは赦しとなるという要素は、まさしく「ニンジャ・サルベイション」においても重要なポイントではないでしょうか。「ニンジャ・サルベイション」はこの点を極めて逆説的かつ皮肉に表現するしびれるクールさがありましたが、「ムーンライト」は、あくまで親目線の観客への温かい救済の可能性を予感させる映画として幕を閉じます。
登場人物の誰が誰に対する贖罪を求め、誰が誰を赦すのか、そういったことを考えながら鑑賞することができる「ムーンライト」そして「ニンジャスレイヤー」という作品は、心底掛け値なしに偉大な作品であると私は考えます。
以上