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第五章Tears of The Baddest Man on the Planet.

父ちゃんが死んでから俺は2回刑務所に入れられた

母ちゃんは俺が社会不在の間にヤクザ者と同棲を始めていた

そのヤクザ者は東京の大親分の舎弟だった

俺は田舎に住んでいるので、その大親分の事は知らなかったけれどその舎弟は俺の前妻の叔父にも当たる人だったので良く知ってはいた

その叔父は母ちゃんと一緒に生活している事実を早く俺に知らせた方が良いと思っていたそうで、

俺が出所を迎えて刑務所の門を出ると、そこに母と叔父の2人が迎えに来ていたので変だなとは感じたけれど、

叔父が差し出すタバコを一服吸い込んだ後に近くの喫茶店に行き、母の話を聞いた


『実はね、お母さん達はもう8ヶ月も前から隆則さんの家で一緒に生活していたの。 隆則さんは1日も早く悦夫さんに

知られてくれと何ん回も言っていたのだけれど、お母さんが帰って来るまでは知らさない方が良いと言って知らせないでいたの』

『そうな・・・ 8ヶ月も前からな・・・』

『悦夫は話の分からない男じゃないから、私が話すまでは待ってくれと私が頼んで今日まで知らせないでいたの』

『そうな、それでお母さんは良いのな』

『えぇ、だから悦夫に分かって欲しいの・・・』

母ちゃんの目をジッと見つめて言った

『分かった。8ヶ月も前から一緒に住んでいるのものを今更、俺が何て言えるな。 お母さんも今日話すまでずっと心配だったろう』

そんな事を言いながら今度は叔父の目をジッと見つめながら

『叔父さん、話は分かりました。 しかし一言、言っておきます。 私の母はもう年なので間違っても暴力だけは振るう事をしないで下さい

後で暴力を振るったという話を聞いた時は、今の話は無かった事にしますよ。 そして、私と男と男の話をしますから』

『おぉ、分かっておるが。 お母さんに手を上げたりは絶対にしない』

『そうな、私が言うことはそれだけですから』

『分かってくれて有難うな、悦夫』

叔父は隣町の垂水市牛根麓に住んでいて俺の実家からは20㎞離れていて、叔父の家で酒を飲んだりしてどんなに夜の遅くなっても

今日は遅いから泊まっていけば良いのに。 と、何回も叔父に言われたけど1回も泊まりもせず福山町の実家まで帰り一人で生活していた

何日かして、母と叔父が実は話があるのだと言って2人共、正座をするのでもちろん俺も正座に座り直して話を聞いた。

話は母から言い出し、叔父は隣で黙って座っていた

『実はね、隆則さんは東京の親分さんの舎弟になっているのよ。 その親分さんは古川政雄さんと言って、東京の偉い親分さんなんよ。 それでね、悦夫を欲しいと言われているから、どうね。 東京に行ってみる気はないね』

『東京? 何で俺が歳も若くないのに今更、東京くんだりまで行かないけんね。 東京の偉い親分かも知れんが所詮はヤクザじゃないね。

俺は俺で考えてる事があるから東京の話は俺に2度としないでくれ』

取り憑く島も無い冷たい言葉だった

後から叔父と母は東京の親分から、何で勝手に話したのか、その話は俺が帰ってから悦夫に直接話すつもりだった

近いうちに帰る予定にしているからそれまで待っておれ。 と、言われていたらしい

母が後から話す言葉によれば、叔父と一緒に生活するようになったのも、叔父が東京の偉い親分の舎弟になっている事を叔父から聞いて

そんなに偉い親分なら、悦夫を一角の漢に育ててもらいたい考えてその舎弟である叔父に母の方から近づいた。 それも悦夫の為。

そんな話を聞いた


ところが出所してから二十日目に、先輩の所に逃亡中の組長達に巻き込まれて又、逮捕されてしまった・・・

ついていない時は、とことんついていない

パクられて刑務所に入るのなんか辺野古っぱと思っていた俺も、今回ばかりは随分と骨身に染みて考えさせられた

今度こそ生活の基盤をつくり、田舎でそろそろ根を張ろうと計画を練って、せっかく社会に帰って来たばかりなのに

又、社会で生活出来なくなって、話にもならん。 そういえば母が話していたな、東京に行けと・・・

社会に居られないのだから今の俺には考える資格も無いが、東京か・・・

もう若く無いのに東京でやって行けるのか、東京は生き馬の目をも抜く、大都会。 やって行けるかなぁ・・・

と、段々と東京でやり直してみたい考えに向かっていったのである


鹿児島拘置所の独房から、母に電報を打った。 『明日、面会に来て欲しい』

そして、面会に来た母と叔父に東京の親分の住所と名前で食料品の差入でもしてくれないか。

その住所で、俺は東京の親分に手紙を書いてみるわ

逮捕されて面会場での会話なのに、東京の親分に手紙

その一言で母と叔父の顔がパッと輝いた

そして悦夫がまたパクられたと東京に電話したら、『お前達が勝手に東京行きの話をするからだ。 俺が帰るまでそっとしとかんからだ』

と、怒られてしまったのだと。


東京の親分に独房で手紙を書いた

・・・会長。 私は今回又、立て続けに逮捕され、田舎で根を張りのし上がろうという人生計画を断念しました

こんな私でも今から会長の元で修行できるでしょうか。 修行できるのであれば一から修行させて下さい・・・

2週間経った頃、会長から手紙が届いた。 とても達筆な文であった

・・・一緒に邁進しましょう。 一日も早く社会復帰する事を待ち望んでおります。 社会復帰の日には、必ず迎えに参ります・・・


鹿児島刑務所は新築されて場所も霧島農場のある霧島山麓に移っていた

初犯の時に、俺と揉めた警備隊の鬼の職員もあの時に転勤させられて

今では本庁と支所の農場が一体となった刑務所で、仏の職員と呼ばれる職員へと成長されていた。

何回か顔を合わす機会はあったが、『覚えていますか、あの時の板元ですよ』 『おおう・・・』

お互いにそれだけの会話で終わらせていた

一方は鬼から仏に成り、一方は顔面タトゥーの懲役太郎と厳しい男に成っていた


そして刑期は瞬く間に過ぎ去り、方面の朝を迎えた

朝の八時出所のところを、九時になっても出してもらえず、十時を過ぎた頃に職員がようやく

『帰るぞ。服の差入があるから着替えなさい、何かいっぱい迎えに来て入り口で揉めたみたいだぞ』

刑務所の門には母と叔父の2人だけが待っていた

母が満面の笑みで『おめでとう。皆んなは向こうで待っているの、2回も移動させられてパトカーが来たり大変だったのよ』

高速道路を潜り抜けた所に皆んなが待っていてくれた

いの一番に、熊本市から来てくれた兄弟分が若衆4人従えて

『兄弟おめでとう。 実はな、門の所で警備隊と揉めてな、早く出せ言うたら

お前達が移動しないと今日は出さん。

よし、そんな事が出来るなら今日は絶対に出すなよ。と、言ってしまったのよ・・・

東京の親分さんなんかも皆んなびっくりされてなぁ、兄弟悪かったな』

『そんな事があったの。 迎えに来てくれて有難う兄弟』


そして、初めて見る古川政雄会長の目をジッと見つめて

『只今、帰りました。 お迎え有難うございました』

『おう、ようやく帰って来れたか。 ここでは何だから空港の近くのホテルまで行こうか』


やはり会長の外舎弟である関西の組長も若衆十名位従えており、都合三十人位の関係者が放免にわざわざ来てくれたのであった


空港ホテルのロビーで豆腐を買って来いとなり、近くの商店に無かったらしく一時間位して俺の舎弟が豆腐を買い求めて来た

豆腐を食べるのが習わしであった

会長の舎弟である叔父が、鹿児島の総長代行の実兄と付き合いしており、東京に遊びに連れて行ったりして根廻しをしてくれたようで

しかし、その件にて実弟である総長代行が実兄に

『悦夫はいまだに籍は私の所にあるのだから、私は許しませんよ』

と、いう話しになっているから、会長と会長舎弟の叔父と俺の3人で、この足で鹿児島の総長代行を訪ねに行く予定になっているとの事であった

総長代行は、田舎の俺の親分の兄貴分で俺はそこの組員として昔からずっと籍は残してあるのだと、有難いような困ったような・・・


鹿児島市内へは空港のリムジンバスが便利であるとの事で、会長と会長の舎弟の叔父と俺の3人がバスへ乗り込み、

俺の母と舎弟達は車で鹿児島市の桜島フェリー桟橋で待っていると、鹿児島へ向かった


関西の組長は兄貴分である会長に、

『悦夫はわたしに下さいよ』

『ダメだ』

それと言うのも関西の組長は会長舎弟である叔父の五分の兄弟分になっていて、叔父に

『兄弟、なんで兄貴に相談する前に俺に悦夫の事を話してくれなかったのだ。

俺に預けてくれたら俺の娘はまだ学生だけど、その内に悦夫と一緒にさせてでも俺は欲しかったよ』

と、何回もましては実の娘さんまで引き合いに出して話をして俺とは今日が初対面であったが、刑務所の門の前で警備隊と言い合った

熊本の兄弟分の姿を目の前に見せられて、こんな兄弟分のいる男ならどうしても自分の手で育てたいと、

俺の目の前で会長に直談判したので、俺にしてみれば目を丸くして聞くだけの話しであった


バスに乗って早速、会長舎弟の叔父が俺の席に来て

『悦夫、会長が鹿児島とは正式にどうなっているか破門中なのか、どうなのか聞いて来いと言っているのだけど、どうなんだ』

『どうかな。正式に破門された覚えは無いが何回も破門されても仕方がない事ばかりしでかしたので、まぁ破門中と言えば破門中と同じだな』

『そうか・・・ 会長に話しておくよ。 鹿児島も今になって難しい事を言ってきて・・・』

こうなったら、まな板の上の鯉。 いいや、まな板の上の雑魚


鹿児島市に着いて総長代行の親分の事務所を訪ねると、事務所には総長代行と若頭が待っており、俺の直接の親分である総長代行の舎弟は

その場に居合わせていなかった。 俺は何故かホッとした

そして総長代行と東京の会長との話し合いが行われた

総長代行と東京の会長とは出身地が同じ鹿児島県の垂水市で、若い頃は村の神社の境内で行われる相撲大会で相撲を対戦した事もあった

昔話しから始まり、そしていよいよ俺の話しに移った

俺は自分自身の事でも有り、どんな話し合いになるのか、まさに借りて来た犬か猫。 貰われていくのか、いかないのか

本人そっちのけの話し合いを聞いていた

総長代行はその話になると、今までの態度をガラッと変えて強い口調で言った

『古川さん、私達は幼友達かも知れないが、悦夫の話はダメです。 鹿児島は県外とのそんな話しは一切認めていないのですよ』

しかし、そんな話しで引き下がるような男ではなかった東京の会長は

『重松さん私はね重松さんも知っている通り、若い時に鹿児島を出て行かざるをえなかった口ですよ。 そして東京に出て行って苦労を重ね

ようやく組を持った男です。 その組をどうせなら鹿児島の人間に継がせようと思っていましたのでね、どうしてもダメと言われるのであれば

それなら正式の養子縁組を結んで、これを後取りとしますんで。 それで認めて下さいよ』

『そうですか・・・ 鹿児島はモンロー主義で、犯さず犯されずで今まで一度たりとも認めた事はなかったけれど、

古川さんがそこまで言われるのなら、分かりました。 悦夫を漢にしてやって下さい』

若頭が俺にすかさず言った

『悦夫、良かったなあ。 東京には鹿児島出身の親分達も居るから、笑われないような漢になるんだぞ』

後日、親分から言われた

『何で俺の若衆なのに、俺抜きで話が出来たんだ』

『私もその席に親分が居ないのでおかしいとは思いましたが、この話しは私から東京の親分に話をしたのですよ。

鹿児島に居る資格も無くなって、一からやり直そうと考えてです』

『そうだったのか。 それなら俺には俺の顔があるから、俺は先に了解しとった事にしておくぞ』

本当に有難い言葉であった。

今ではその親分も、兄貴分である総長代行の親分も、東京の親分も全てが彼岸に旅立たれて逝かれた。 感謝の気持ちを込めて合掌・・・

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