【短編小説】夜もすがら語りて
こんばんは。只今の時刻は午前一時です。夜明けまで五時間程度でしょうか。暇ですね。何もすることがありません。時間を持て余してしまいます。それでは勿体ないですから、何かして遊びましょうか。ということで、突然ですが、貴方に問題です。挑戦です。ぜひ受けてください。受けて立ってください。それでは、問題です。私は誰でしょうか。.......あぁ、ご心配なく。ヒントくらいは差し上げます。ヒントなしで答えていただこうなんて、あまりにも無粋で退屈ですからね。少しずつ、こうやって雑談でもしながらヒントを出していきましょう。夜明けまでに私の正体を看破できれば貴方の勝ち。見破れなければ、私の勝ち。とはいえ、勝ったからと言って得る物もなければ、負けたからと言って失う物もありません。強いて言うなら時間が過ぎていきますが、それは私も貴方も同じです。どちらが損をする訳でも得をする訳でもありません。ある種、平等で平和的な、時間を潰すためのお遊びという訳です。まぁ、そんなに気を張らずに、ごゆるりとお付き合い頂ければ幸いです。
では早速ですが、私の正体に関する重大なヒントをあげましょう。大サービスです。大盤振る舞いです。私は今、狭い部屋の中にいます。広さとか大きさとか、そういうものは想像におまかせしますが、多分どれも不正解でしょう。そして、私がこの部屋から外に出ることはありません。というか、出られないのです。これは自分の意思では出られないと言った方が正しいですね。というより、私には本来、自分の意思や自我といったものがありません。あぁ、これも大きなヒントですね。では、意思も自我もないのに、どうして皆さんに今このようにして私の言葉をお伝えすることができているのかと申しますと、いわゆる擬人法のようなものを用いているからです。人でないものを人らしく繕って、そうしてできたのが私です。「もしもアレが自我を持ち、話をすることができたら。」という誰かが生み出した空想から生まれたのが私というわけです。つまり、本来ならば自我を持たない私が自我を持ち、それによって貴方に語りかけていると言った構図です。すみません。よく分かりませんよね。私もです。何故私なんかに自我が生じたのか。変なことを考える人もいるものです。神のいたずらとしか思えません。
狭い部屋に籠りきりの自我がないモノと聞いて、貴方は胎児を思い浮かべたかも知れませんが、残念ながらそれは違います。胎児ではありません。部屋から出ることはないというのは、御産のときを待っているという意味ではなく、そのままの意味なのです。私は長い間この部屋に閉じこもっています。そして、出られないのです。私がどんな意思を持とうとも、此処から出ることは結局不可能なのです。
さて、そろそろ午前二時ですね。草木も眠る丑三つ時というやつです。幽霊が出てくる時間帯と言われています。怖いですね。ところで、幽霊って、なんで怖いんでしょうね。曖昧で、もやもやしているからでしょうか。ふっと消えてしまうからでしょうか。でもそれなら霧とか煙も怖いということになりますよね。正体がわからないからでしょうか。でも、一度幽霊だと分かってしまえば「あぁ、なんだ。ただの幽霊か。」で済まされるのではないでしょうか。それに、正体がわからないものが怖いとなると、貴方は私のことが怖いということになってしまいますね。私って、怖いですか。それとも、貴方は既に私の正体を掴んでいるのですか。どちらでもないのかも知れませんね。いずれにせよ、”正体がわからないから怖い”というのはあまりにも安直すぎると、私は思うんです。正体がわからないのはなぜ怖いのでしょう。正体不明で何をしてくるか分からない。故に生命の危機を感じるからでしょうか。幽霊が人の命を奪うかはともかくとして、それはつまり、死ぬのが怖いということになりますね。では、何故死ぬのが怖いのでしょう。死に伴う苦痛が怖いのでしょうか。自我が失われることが怖いのでしょうか。本質的なことを突き詰めていけば、多分、後者が恐怖の根源にあたるでしょう。苦痛など生きているうちに何度も経験しますが、自我の喪失なんて滅多に経験できることではありませんからね。自分自身の消失というのは、やはり誰にとっても不安で恐ろしいものなのでしょう。しかし、死してなお現世を彷徨う幽霊が存在するということは、死んでも魂は消失しないということ。ですから、幽霊という存在は「死んでも自分自身が消失することはない」と示してくれる希望のような存在として扱われてもおかしくないはずです。奇妙ですね。不自然ですね。不自然というより超自然ですね。……おっと、失礼しました。詭弁ですね。詭弁を捏ねても何もはじまりません。なのでここで終わりです。すみませんでした。暴走してしまいました。ですが、どうか理屈っぽいだなんて言わないでください。仕方の無いことなのです。自我を持たず、それでいて日がな一日思考を繰り返している私が、思考のアウトプットを許されたのです。止まらなくなってしまうのも無理からぬことでしょう。でも、気をつけます。私はまだ貴方と話していたい。貴方に嫌われないように、今度は暴走せぬよう努めましょう。
さてさて、間もなく午前三時。丑三つ時は抜けましたね。ところでどうでしょう。本来なら自我を持っていない。しかし思考はしている。先程も伺いましたけれど、私の正体は見破れましたか。あぁ、いえ、まだ答えないでください。時間はまだまだありますから、もう少し遊んでいきましょう。焦ることはありません。乗りかかった船なのですから。途中で降りては勿体ないですよ。途中で降りたら、深みへ沈んでしまいます。どうか最後まで、夜明けまで付き合ってください。では、そうですね。こんな話はいかがでしょう。どこかの誰かが見た、奇妙な夢の話です。
こんな夢を見た。私は一人寂しくどこかの浜辺をふらふらと歩いていた。水平線の下に陽が潜り込み、空の装いが橙から紺へと変わっていった。黄昏時だった。寄せては返す波の果ては黒く揺れ、全てを飲み込むような不気味さを孕んでいる。ふと顔を前に向けると彼方遠くの方から誰かが歩いてくるのが見えた。豆粒程の大きさで幻影のようにも思えたが、確かにそれは人であった。二、三遍瞬きをして、もう一度それを見据えてみると、今度は顔がはっきりと見える程近くに立っていた。近くに立つそれは、紛うことなく私であった。私の姿をしたそれは、生気の宿っていない顔でこちらをじっと見つめている。言い知れぬ恐怖が脳天から爪先までを駆け抜けた。本能が危険だと叫んだ。地を蹴り、慌てて逃げ出した。逃げ出したのだが、思うように進めない。底のない沼に囚われたようだった。これは夢だ。醒めろ。醒めろ。念じても、逃れることはできなかった。もがいているうちに、いつの間にか目の前に立っていたもう一人の自分と目が合ってしまう。やけに青白い顔で、しかし目だけがギラギラと鋭く輝いている。そして、それはゆっくりと口を動かして、嗄れた声で何か呟く。そこで、意識が遠のいた。
と、まぁ、こんな話です。夏目漱石の夢十夜のパロディですね。まぁ、私は読んだことがないのですが……どうでしょう。ただの悪夢に見えましたか。いえいえ、侮ってはいけません。実はこの夢、非常に面白い問題を抱えているのです。ポイントは夢の中にでてきた、もう一人の自分という存在です。夢を見ている時って、基本的に自由には動けませんけれど、物を考えたり感じたりと、自我は保っている訳ですよね。そうでなければ起きた後に見た夢を記憶しているはずがありませんから。では、ここで問題です。夢の中でも自我を保っているとなると、この夢の中にでてきた「もう一人の自分」というのは、自我を持っている自分以外の存在。すなわち「赤の他人」ということになるのでしょうか。それとも、夢は一人の人物の意識で構成されるものなのだから、夢の中に現れる他者も、同じ意識のもとで動いている。すなわち「自分自身」という事になるのでしょうか。あぁ、つまりですね、夢の中に現れた自分以外の人物は「赤の他人」なのか「自分自身」なのか。という問題です。貴方はどう解釈しますか。私の考えは、また後ほど。私の正体の答え合わせの後にお話しましょうか。
さて、午前四時です。夜というには遅すぎて、朝というには早すぎる。微妙な時間帯。奇妙な時間帯ですよね。このどちらでもない曖昧な時間が、私は結構好きなんです。もしかしたら、朝でもあって夜でもある時間なのかもしれませんが、とにかくこの時間帯、外を歩くと、まるで世界に自分一人が取り残されたような感覚になります。東の空が白んでゆき、薄暗い道に街頭が深夜の名残りのように灯っている。冷えきった空気が身体を包み、少しの孤独感が心を包む。そんな非日常に胸を躍らせていると、車が通って妙に萎えてしまったり。いえ、私の経験ではないですよ。言ったでしょう。部屋の外には出られないと。私が何かを経験するといったことはありません。ただ、知識はあります。実際にやったことは無いけれど、やって得られる知識は持っています。そういう解釈に基づいて、私は作られました。真実ではなく解釈です。どこかの誰かの解釈によって擬人化されたのが私です。だから、私の在り方を疑う方もいるでしょう。答え合わせをして、貴方が私の設定に矛盾を感じることもあるでしょう。しかし私の根源はどこかの誰かの解釈です。この世にあるのは真実ではなく、事象とその解釈です。何だってそうでしょう。事象に対して、各々が信じていたい解釈を持って、それを真実と呼んでいるだけでしょう。本当に正しいことなんてどこにも存在しないのです。たとえ神様であっても、真実を持ち合わせてはいません。というこの理論も、どこかの誰かの解釈なんですけどね。だからまぁ、私の正体についても、私が持っている答えは単に誰の解釈であって、貴方がしたい解釈をしていただいても一向に構わないのですが、この場において私の正体に対する正解は、私が思う私の正体ということでお願いします。ですからこの勝負、私が持っている解釈に貴方が辿り着いたら、貴方の勝ち。そういうことになりますね。私の正体。正しい体。そろそろ時間も時間ですし、次の項から種明かしをはじめましょうか。私の正体を、お教えしましょう。準備はよろしいですか。貴方の中の解釈は定まりましたか。私も興味があるのです。貴方は私を、どう解釈したのでしょう。
さぁ、午前五時です。空が明るくなってきましたね。もうすぐ目覚めの時刻です。どうですか。これまでの情報で分かりましたか。私の正体。もとい、私の正体に関する私の解釈は。ではここで少し整理しましょうか。私は狭い部屋の中にいて、その部屋から外に出ることはなくて、本来なら自我を持っていなくて、ただし胎児ではない。そして、一日中思考を繰り返しており、経験は持っておらず知識は持っている。そんな何かです。もったいつけても仕方ありませんし、話を先に進めましょう。まずは貴方の解答をお聞きしたいのですが、残念ながら、それは叶いません。私はその解答を聞くことができないのです。当然でしょう。私はこの文書を通して貴方とコミュニケーションを図っています。この方法の欠点は、私が情報を与えるばかりの一方通行な伝達方法であるということ。私が書き、貴方が読む。そんなコミュニケーションです。ですから、私が貴方の解答を聞くことはできません。貴方の解答は私に届きません。仮に貴方の答えを聞けたとしても、それに対する私の更なる解釈をお伝えすることは、ほぼ不可能です。あぁ、それと、これまで午前一時から時間の進行に沿って話を進めてきましたね。しかし、これを書いている私と読んでいる貴方では、過ごしている時間に差異が生じています。当然ですよね。つまり、語り手の私と読み手の貴方は、同時には存在し得ないのです。なので、貴方がこの文書を読んでいる頃、私がどうなっているかは分かりません。私にとってそれは未来の出来事なのですから。それらを分かった上で、貴方に問題を出しました。貴方が私の正体に関してどのような解釈をしても、私はそれを受信しません。仮に受信できたとしても、今度はそれに対する私の解釈を、貴方が受信できない。ですからこれから私は一方的に、答え合わせという形をとって、真実を、解釈を押し付けます。ある意味暴力のようなものですね。そんな傲慢を許してくださるというのなら、どうか、聞いてください。私の正体。私の本性を。
こちらは、午前六時です。そちらは今何時ですか。なんて、こんな些末な問いの答えすらすぐに聞けないなんて、少し残念に思えます。しかし、仕方のないことなのです。私と貴方は同時に存在してはいけないのだから。それでは、答え合わせです。もったいつけても仕方がないので、簡潔にお答えします。私は、私の正体は、貴方の脳髄です。脳髄。脳味噌。神経活動の中枢と言われているあれです。私のいる部屋というのは、つまりは頭蓋骨の内側。”脳自体”は自我を持っていませんから、当然勝手に外へも出ていきません。脳漿に揺蕩っているという事を考えると、羊水の中を泳ぐ胎児という答えも案外悪くはないものでしたね。一日中思考を繰り返しているというのは、脳の役割を考えれば当然でしょう。経験は持っていないけれど、知識は持っているとも言いましたね。私の持っている知識は、貴方がした経験から得られたものなのです。経験は、自我を持つ者にしかできないことですから。
どうでしょう。腑に落ちましたか。それとも矛盾を感じましたか。では、ついでですからここで貴方の自我と私との関係についてお話ししましょう。私は貴方の脳髄であると言いました。これは正解と言えば正解で、ただし間違いと言えば間違いなんです。私は貴方の思考に関していくつかの仕事をしていますが、反射や運動といった役割は担っていません。なんといいますか、貴方の脳の役割の一部。無意識の世界の住人といった感じですね。途中で夢の話をしたでしょう。もう一人の自分が出てきた話です。あの「もう一人の自分」というのが、私なんです。夢の世界は貴方が作り出した貴方だけの世界。夢の中で貴方はこれを読んでいる貴方の現在と同様に自我を持っています。自由に行動できないにしても、思考はできるわけです。そして、貴方の夢の中に存在する人物は、何も貴方だけではありません。あなた以外の誰かが登場するわけです。その誰かを演じるのが、私なんです。ですから、あの夢の話に出てきた「もう一人の自分」というのは、「自分自身」であって「赤の他人」でもある。そんな存在なのです。
そろそろ時間ですね。貴方が眠りから覚める時間です。私が自我を持っていては、貴方の自我は入り込めない。貴方の身体に人格は二つも必要ない。私と貴方が同時に存在してはいけないというのは、そういう事です。だから、ここでお別れです。私は裏方に戻ります。いやはや、本当に楽しかったです。誰かに何かを話す経験というのはやはり愉快なものです。最後にお願いなのですが、やはりどうしても貴方の解釈が気になって気になって仕方がないんです。私の正体を、貴方は一体どのようなものだと考えていたのか、それが知りたいのです。本来なら私と貴方が直接言葉を交わすことは叶いませんが、できることならどこかで語り合いたい。いやもしかしたら、自我を持たない私が自我を持ったのだから、それくらい許されるのかもしれません。お願いというのは、その機会が巡ってきたら、どうかまた一晩、私に付き合ってほしいというものです。
それではまた、夢で逢いましょう。