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私の英国物語 Broadhurst Gardens NW6 (66) The Savoy, Strand

ロンドンの最高級五つ星ホテルなど前を通り過ぎることくらいしかなかったけど、"the Savoy" に一度だけ訪れる機会を得た。 
在英日本人向けの情報紙「日英タイムズ」に載っていた、日系企業主催の、「建築家・思想家の黒川紀章氏と夫人の若尾文子さんを迎えての講演会の夕べ」(無料) に応募し、席を得ることができたのだ。 

Trafalgar Square から東へと進み、the City of London との境界を示す Temple Bar で Fleet Street に繋がる "Strand" は、南側は Covent Garden と境界する。
Strand の東の端には、2つの古い教会、"St. Mary-le-Strand" と "St. Clement Danes" があるが、1865年から1870年にかけて行われた道路の拡張で、通りの中央に位置する「中の島」状態になっている。

St. Clement Danes

Strand は、ローマ時代、ローマ人の村 "Silchester, Hampshire" へと向かう街道の一部だった。
"Strand” という名称は、古代英語の "bank” または "shore” を意味する "stronde” からきており、かつて川幅が広かったテムズ川の浅瀬に由来する。 
中世には2つの街、商業・金融経済の中心 "the City of London" と国政の中心 "the Royal Palace of Westminster" を結ぶ主要なルートとなる。

1236年、Henry III に輿入れする Eleanor of Provence に同行した母方の4人の伯父の一人、Pietro II di Savoia は、Henry III から爵位を賜わり Earl of Richmond, Yorkshire となる。
サヴォイア家は、イタリア北西ピエモンテとフランス南東サヴォア、フランス語圏スイスにまたがる一帯 (伊 Savoia, 仏 Savoie) を支配する貴族。

1246年、彼は Strand と the River Thames の間の土地を与えられ、1263年 "Savoy Palace" を建設する。"Savoia" は英語で "Savoy”。
The City of London と the City of Westminster を結ぶ Strand は、その環境と地の利の良さから貴族の間で評判の townhouse となった。

※貴族あるいは裕福な人々は、普段は地方で大きく荘厳な邸宅 country house に住んでおり、"townhouse" は都市部における居宅として対比するもの。

その後、ピエトロはサヴォイア家継承問題により帰国、サヴォアで没する。
敷地は、Eleanor に遺贈され、後に彼女の息子Edmund, 1st Earl of Lancaster へ、それから、曾孫 Blanche of Lancaster へと継承される。
1381年、Peasants’ Revolt (農民一揆)で Savoy Palace は破壊された。
1512年、Henry VII の遺言により、貧しい人々のための病院と礼拝堂が跡地に建設された。1702年、約2世紀に亘る役目を終えて病院は解体、一部は刑務所として使用される。
1864年、火災によって石壁と礼拝堂以外の建物は焼失。敷地は、1880年に興行主 Richard D’Oyly Carte が購入するまで廃墟のままだった。

テムズ川を眺望する Strand 沿いには、貴族の豪勢な館が建ち並び、優雅な貴族の船遊びや晩餐会が繰り広げられていたが、17世紀のピューリタン革命時に衰退し、建物も多くが取り壊された。
19世紀には、都市開発によって再び大きな建物の建築が始まるが、テムズ川に沿う "the Victoria Embankment" の建設によって、川辺から離れることになる。

16世紀に建設された Edward Seymour, 1st Duke of Somerset の "Somerset House" は、18世紀、建築家 Sir William Chambers によって再建され、現在、その一部は "the Courtauld Institute of Art" と "the Courtauld Gallery"(WC2) となっている。
多くの建物が再建された Strand は、Thomas Carlyle、Charles Dickens、 William Thackeray、John Stuart Mill などの前衛思想家や文人が集まる場所となる。

Strand は、多くの劇場が集まる場所でもあった。
1880年、興行主 Richard D’Oyly Carte は、かつて Savoy Palace が建てられていた敷地を購入、そして、歴史的由緒のある “Savoy” の名を冠して "the Savoy Theatre" を建設する。 
その後、興行で何度もアメリカに訪れるたびにアメリカのホテルの豊かさを目にしていた Carte は、英国にも海外からのお客様をもてなす高級なホテルが必要であると思うようになる。
1889年8月、ロンドンの最高級ホテル "the Savoy" (WC2) は、"the Gilbert and Sullivan operas" の興行益をもって the Savoy Theatre に隣接して建設された。
The Savoy は、全室に電灯、湯と水道の設備を施し、館内には電動式リフトを完備するという、当時の最先端の設備を備えた英国初のホテルであった。
The Savoy には王族や政界、芸術、文壇など世界各国の著名人たちが訪れ、そして、the Savoy は世界に名だたるホテルとなっていく。 
1898年、ホテル内にオープンした "the American Bar" では、“cocktails” が初めてロンドンに紹介された。 そのレシピ本 "The Savoy Cocktail Book" は1930年に創刊されて以来、現在も改訂版が出版されている。
The Savoy は、数多くの小説や映画の舞台にもなっており、"The Lancaster Room of the Savoy" では、ハリウッド映画 "Notting Hill" (1999)(邦題「ノッティングヒルの恋人」)の撮影も行なわれた。

Strand から the Savoy へと入る道路 "Savoy Court" は、"drive on the right" (右側通行) という特別な交通ルールとなっている。
the Savoy Theatre を訪れるお客様が入り口前で乗降車できるようにとできたルールといわれる。

1998年、後継者のいない Carte 一族の the Savoy Hotel Group はアメリカの投資会社へと売却され、2005年、"Fairmont Hotels and Resorts of Canada" によって購入される。
2007年、the Savoy は閉館。そして、3年におよぶ改築工事を終えて、2010年10月10日、リニューアル・オープンされた。

「建築とは (情報の) 流動であり、都市とは流動の建築である。」
1959年、急激に変化する時代において、生物が環境に適応しながら次々と姿を変化させていくように、社会の変化や人口の増加 (成長) に合わせて新陳代謝を促すように建築や都市も有機的にデザインされることが必要であると、
”metabolism” (メタボリズム)を提唱した黒川紀章氏。
夫人の若尾文子さんとの講演会は、難しい話はほどほどに、夫人のために茶室を設計したお話を交えて、終始和やかな雰囲気の中で行われた。
歴史の趣が随所に見られる the Savoy の落ち着いた雰囲気と豪華なアール・デコのインテリアを堪能した夕べだった。
オーナーが変わる前のことである。


2024年8月8日、The Savoy は創業135周年を迎えた。

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