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歌舞伎について(条件の演劇祭vol.1-Kabuki『四谷心中』にむけて)

 高校生の頃に何の知識も持たずテレビで見た歌舞伎は、言葉もよくわからないし話し方もゆっくりすぎてあまり聞いていられないし、自分が作る演劇とは遥か遠くにあるもの、「格式」を持った「伝統芸能」ととらえていました。ある意味で、美術館、あるいは博物館の中で鑑賞するようなものとして考えていたのです。

 時が経って、いくつかのリアルな(生活に近い)言葉と体で構成された作品を作っていったのち、どこか行き詰まりを感じるようになりました。自分が作りたいもの、つまり「ドラマを抱えた美しい風景」というものが、これまで作っていたような作品の延長線上でしか想像できないとすればそれはとても不自由なことだし、それは演劇というメディアにのみ到達できるものではないのではないか、と考えるようになります。

 そのころに見たのが、歌舞伎の『東海道四谷怪談』です。かつて持っていたような「格式ばった伝統芸能」というイメージを飛び越えて、自分の生活実感を飛び越えた風景が生まれる可能性を感じました。あり得ないほどに非人間的な奸物・伊右衛門をはじめ、切れ味の良い皮肉の効いたセリフ、凄みのきいたアンビバレントな展開の数々がその好例です。そして何より、かつて「格式」だと考えていた「様式」を抱えた身体の中に、制限の中からしか生まれてこない、しかし同時に猥雑なエロスを感じたのです。その偏った歪さこそが、「傾く」精神であると名指してもよいのではないかと思います。

 歌舞伎は、現代的なリアリティ、つまり、人間の暮らしと、それが必然的に伴うエモーションのリアルさを軸として組み立てられているとは思いません。それよりは、上に書いたようなある意味では歪な美意識のもとに構成された時空間の中に観客との共同性を打ち立てようとしているのだと思います。

 そして、その作用は、かつては町人に向けて作られたものであったのに、現代の、特に若い人にとっては機能しづらくなってしまっているのではないかと思います。歌舞伎座や国立劇場に行ってみても、僕と同じ世代の観客は数えるほどしか見当たりません。木ノ下歌舞伎の活動や近年の2.5次元的な歌舞伎も、その危機意識のなかで、歌舞伎に新しい光を当てるべく行われているものと思います。

 今回の人間の条件の『四谷心中』では、それよりは少し身勝手な形で歌舞伎を引きながら、お客さんに楽しんでもらえるものを作っています。つまり、僕たちが見たい美しい風景を、生活を超えて、同時に生活に密接につながりながら立ち上げていくために歌舞伎の力を借ります。
それがどのような帰結を生むか、ぜひ見守ってください。

構成・演出 ZR

『四谷心中』
この愛は永遠に続く。そう思っていたあの時に、死んでおけばよかった。
原案|『曾根崎心中』『東海道四谷怪談』
構成・演出|ZR
出演|黒木喬 田中賢志郎 樽見啓 野田恵梨香 村井萌

条件の演劇祭 vol.1-Kabuki
7/7-15@北千住BUoY
🎫チケット
https://festival-condition.studio.site/yoyaku_access

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