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『四谷心中』解題(条件の演劇祭vol.1-Kabuki『四谷心中』にむけて)

『四谷心中』は、実はすでに二度上演されています。

一度目は僕が所属していた劇場創造アカデミーの成果発表として座・高円寺地下の稽古場にて、二度目は昨年11月に行ったワーク・イン・プログレスとして東大駒場キャンパスの路上にて。

昨年11月にワーク・イン・プログレスを行ったのは、劇団にとって大きな意味を持つ今回の演劇祭の準備を早いうちに始め、後悔の無い作品を上演せねばならないと考えたからです。
しかし、異なる空間で異なる俳優と作るため、作品はどんどんと変わり、新しい挑戦をせざるを得なくなりました。それはもちろん、苦しいことでもあり、うれしいことでもあります。

これまでに上演した『四谷心中』は、『曾根崎心中』の世界で心中を夢見た男女がそれに失敗し、ありふれた生活へと落ちぶれていく話です。今回はさらにそれすらも飛び越えて『四谷怪談』の死と怨念の世界へと下ってゆこうとおもいます。同時に、死んだ女を慰霊する生者たちの枠組みを加えて、生活とホラーを重ねていきます。

この作品の出発点にあるのは、僕がたびたび「生活の汚れ」という言葉で表現している実感です。例えば「おしゃれな部屋を作りたかったら生活感をだすな!」とよく言われるように、しばしば生活は美に対置されます。もちろん民藝運動のように生活の事物に積極的価値を見出すものもありますが、僕はやはり「生活」は「汚れ」のようなものなのではないかと思ってしまいます。人はただ生きるために汗を流し、疲弊し、いつの間にかかつての若さは失われてゆく。生活の裏側には深い悲しみが息をひそめています。一方で、僕は人間の生活が抱えるその悲しみの奥深くに、儚い美しさをも感じるのです。

先に出した文章の中で、歌舞伎は生活実感を飛び越えるものだと書いていたのに、こんなべたべたとした生活の話をしているのはどういうことだ、と思う人もいるかもしれません。しかし、これまでの作品で、インテグリティの非達成をきっかけとして、人間性(humanity)を問われるような境界的状況に生きざるを得なくなる人々を描いてきた人間の条件にとって、歌舞伎との出会いがこのような展開を遂げるのはごく自然なことだと思われます。

知悉した実感をベースに、歌舞伎の力を借りながら知らないところへ歩いていきます。

新しく、強く、深くなった『四谷心中』をぜひ見届けてください。

構成・演出 ZR


『四谷心中』
この愛は永遠に続く。そう思っていたあの時に、死んでおけばよかった。
原案|『曾根崎心中』『東海道四谷怪談』
構成・演出|ZR
出演|黒木喬 田中賢志郎 樽見啓 野田恵梨香 村井萌

条件の演劇祭 vol.1-Kabuki
7/7-15@北千住BUoY
🎫チケット
https://festival-condition.studio.site/yoyaku_access


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