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あらためて、なぜいま『やまゆり園』なのか?

5・6月に行われた3回のリサーチ発表を終え、3か月の稽古期間のうちの2か月が過ぎ、作品が形を成してきている。俳優の体を通じてこの作品が立体化される中で、予想もしなかった自分自身の感情の動きに触れることもある。どのようにしてシーンを思い付いて書き進めたのかなど、作品の制作過程のことはもうすでに忘れかけている。しかし、はっきりと分かるのは、多くの人々との出会いと協力なしにはこの作品をここまで作ることはできなかっただろうということだ。前回の文章でこの事件と向かい合うことを発表してからリサーチを進める中で、様々な人と出会った。その出会いのすべてが、「なぜいまやまゆり園なのか?」という問いへの向かい合い方を少しずつ変えていき、輪郭をよりはっきりとさせていった。

リサーチの過程で、立岩真也さんに出会った。もう亡くなっていたので、正確には立岩さんの言葉に出会った。能力と命を結びつけることの不条理や、生産能力を持たないとされる人と私たちは共に生きることができるのだということを、まがりくねった言葉の中で教えてくれた。彼の言葉は、この問題に向き合ううえで依って立つ土台を形作ってくれたと思う。自分の中の優生思想をどう扱っていいかわからなかった私は、彼にその付き合い方を教えてもらった。

アドバイザーとして鈴木励滋さんに参加していただいている。たくさんの悩みを相談し、たくさんの重要な話を聞かせていただいた。生産能力と命の価値を結びつけ、生産能力のない人はお情けとして「生かしておいてあげる」という言葉がうっすらと滲むマジョリティの態度。「僕たちがやるべきことは価値観の転覆、つまり革命なんだよね」と鈴木さんは言った。穏やかな口調とのギャップがこの言葉を私の頭に刻み込んだ。そうか、革命なのか。自分の中にある優生思想や能力主義に対しての向き合い方を探るという個人的な動機はすこしずつ意識から遠のいていった。代わりに、この作品を通じてわずかなりとも世界に変革を起こすことを目指して作品作りに向き合うようになった。

他にもいろいろな方々に協力してもらったし、今も協力してもらっている。多くの人が、私が到達したいと思っている地点を共に幻視し、惜しみない協力を与えてくれている。

しかし、やはり、何よりも重要だったのは、彼らとの出会いだったと思う。重度の知的障害を持つ人たちが入所する施設でアルバイトを始めた。「利用者さん」という言葉でくくってしまうことがためらわれるほどに、彼らは私と同じだったし、同時に私と全く異なっていた。

彼らは私と同じように不快を避け、快を求める。私たちが普段、社会規範の中で「やらないようにしよう」と抑えているようなことも、お構いなしにやってくる。彼らを異物として扱う世界にとってそれはヘンで異常な行為なのだが、一度彼らを同胞としてとらえることができれば、彼らの振る舞いを楽しめるようになる。何もかも受け入れるわけにはいかないが、世間で考えられている許容値よりも、本当の許容値はもっとずっと高い。もちろん施設という整えられた環境だからそう感じられるている側面があるのは間違いないし、四六時中一緒にいるわけでもなく彼らとのかかわりを断つことも可能であるという関係性の軽さがそう感じさせているのも間違いない。

一方で、実際に彼らと関わってみると「なんだ、ただの人じゃないか」という肩透かし、であると同時に安心感を覚えたのもまた間違いない。この題材を扱うにあたって、私はもともと「生産能力がない人とどう生きるか、これは非常に難しく、向き合うべき問いだ」などと肩肘張って構えていた。しかし、関わってみれば何のことはなく、ただ好きな人に生きていてほしい、というだけのことだった。愛おしい彼らに生きていてほしい。私が愛する人々が殺されてほしくない。ほとんどそれだけの話だったのである。

彼らほど重度の人になると、他者にこのように見られようだとか、他者をだまして自分の利益を搾取しようだとか、そういう行いをしない。そもそもそれを考える能力がないのである。そんな彼らとともにいる時間は、私にとってとても安心できる時間になった。排泄物は拭けばいいし、汚れた体は洗えばいい。叩かれたり爪を立てられたりしても1時間経てばもう痛みは消えている。言葉が通じなくとも、繰り返し声をかけスキンシップを取り、何を要求しているのか試行錯誤しながら探れば、少しずつ彼らの思いを感じ取ることができるようになる。そのような困難はひとつずつ乗り越えることができる。だから、私は彼らと生きていたいし、彼らに生きていてほしい。私にとってはそれで十分だった。

この感覚は被害者遺族が持っていた感覚に近いだろう。「何もできなくてもかけがえのない存在だった」という家族の言葉に対して、リサーチ開始当初の私は引っかかるものがあった。ここに書いたような喜びを与える能力をも全く持たない存在がいたとして、その人の命を私たちは尊ぶことができるだろうか、と考えたからだ。今となってはこの問いは無意味ではないかと思っている。「何もできない命」は私たちの関わり方次第では、豊かな関係性を与えてくれる存在なのではないか、と思うようになったからだ。

しかし、私がそう思ったとて、である。私一人が変わることはすべての始まりであるが、やはり私一人しか変わっていないのである。あの事件が起きてしまった以上、彼らが殺されるという事態は現実のものとして考えなくてはならなくなった。それは何としてでも避けなばならないし、私自身が避けたいのである。

以前の文章を書いた時から時間が経ち、「なぜいま『やまゆり園』なのか?」という問いに歯切れよく答えることは、むしろ難しくなった。「いま」といったとき、「この2024年」が想像されてしまうが、「この2024年」である意味はそんなには見当たらないというのが一つの理由で、「殺すな」の根拠は「私が彼らのことが好きだから」だと言えるようになってしまったのがもう一つの理由だ。しかし、もっと広く、人類の歴史を大きく眺めたうえでの「いま」となれば、この問いに答えることは少し易しくなる。

資源を取り合わねば生きられなかった世界において、生産と命の価値が結びつけられることは避けがたかった。しかし、今はそうではない。そうではないのに、そうだと思っている人がたくさんいる。「能力がなくとも生きていていい、幸せを追求するためだけに生きていていい」ということを真顔で言えるほどには豊かな時代になった。しかし、私たちの価値観はそれに追いついてない。限られた資源を奪取して生存することでしか幸福を得られないと思い込んでいる人たちがいる。その能力の有無が幸か不幸かを決めると思い込んでいる人たちがいる。その中では、「能力がない」なかでも感じられる豊かさ、資源の多寡がその有無を決めるのではない幸福の形を感じることができない。私たちは、感じ方さえ変わればそれを得られる時代に来ている。「なぜいま『やまゆり園』か?」と問われれば、この事件に現れたような従来の価値観を乗り越えた先にある、この新しい幸いを感じられるようになれば、人類は一歩前に進むことができるから、と答えることができる。私はもはや、この綺麗事を真顔で主張できる。

その先に、彼らが殺されず、むしろ豊かさの一つの表れとして受け入れられる世界があるのだと信じている。

人間の条件・主宰 ZR

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