神様がいた頃の話

【作者注】東京コピーライターズクラブ(TCC)のリレーコラムコーナーに掲載したものを転載した文章です。TCCサイトは現在サイトデザイン改修中なのですが、現状のものではスマホでのコンテンツ・アクセシビリティが万全とはいえないため、よりよい環境でお読みいただく機会もと思い、このような対応をしております。原文リンクはhttps://www.tcc.gr.jp/relay_column/show/id/4462


昔の話をします。

まだTCCの事務局が、赤坂の一階に古い床屋が入ったビルの隣にあった頃の話。

手前に駐車場があって、その奥に昼間はやってない飲み屋があって、さらにその奥に階段と小さなエレベーターがあって、二階に上がるといまは貸衣装屋が入ってるその一室にTCCの事務局があって。

小さな玄関でクツを脱いで上がるとリノリウム張りの短い廊下があって、その先はフローリングで、

中はそんなに広くなくって、いまの青山のクラブハウスの奥の部屋にあるあの木のテーブルが真ん中にあってそれで部屋がいっぱいになるぐらいで。

テーブルの周りにはぎっしりイスが並んでいて、トイレはそのまた奥のほうにあって、トイレの前にあの頃はまだ紙で刷っていた会報誌が山積みになっていて、岡部(正泰)さんの四コマ漫画がちらりとのぞいてたりして。

あの頃ぼくはまだタバコを喫っていたのだが、室内が禁煙だったのと、自意識過剰な若造が感じるなんとなく部屋にいづらい雰囲気とで、荷物を置くとベランダに出て、ぼんやり外をながめたり、iモードを見るフリをしながら幹事会がはじまるのを待つ。

掃き出し窓にくっついたそのベランダは幅が狭くて、エアコンの室外機でいっぱいで、大人が三人立つのがやっとぐらいのスペース。

そこにいるとたいていいつもご自分のクツを持った小野田(隆雄)さんが(外用サンダルは最初の一人分しか置かれていない)、「いい?」といって入ってくる。

当時はなんだか畏れ多くてただただ黙って過ごしたのだが、もったいないことをしたと思う。

いまなら小野田さんと話したいことがたくさんある。


その赤坂の事務局に初めて行った日のことを覚えている。

連休明けに新人賞受賞の連絡があって、梅本(洋一)さんが「ハットリも幹事会に入ることにしておいたから(このへんが梅本さんらしい心遣いだ。わかる人にはわかると思う。涙が出そうだ)、事務局の星さんに挨拶しにおいで」といわれて当時の勤め先だった東銀座から赤坂まで行ったのだった。

床屋を過ぎて建物の前、入り口がわからなくって駐車場から中の様子を伺っていたら、ちーんと鳴ってエレベーターが開いて、中から人が降りてきて、

土屋耕一さんだった。

なんというかお顔の輪郭が独特のフォルムで、その顔の半分ぐらいが瞳だったような印象がある。「目」じゃなくて「瞳」。少女漫画みたいな。

「ああ、似顔絵とそっくりなんだなぁ」と思ったのも覚えている。土屋さんは一人ではなくて、後ろに「お付きの人」みたいな背広の人がいたと記憶している。(が、お付きの人ではなくて誰か会員の方だったりするのかもしれない)

で、土屋さんは、ぼーっと突っ立っているこちらを見て「ナンダカツマラナイモノヲ見チャッタナァ」というような顔を一瞬してからひとこと、

「ああ、ここですよ」と言ったのだった。

どうして、ぼくが駆け出しのコピーライターで、事務局に用事があってやってきたのだと見抜かれたのかはわからない。

それに対して自分がどんな返事をしたのかもぜんぜん覚えていない。ただ、会釈をしてすれ違って、閉まってしまったエレベーターが開くのを待つ間に外の駐車場から、

「いい感じだねぇ。すごくいい」

という言葉が聞こえてきたのを覚えている。

もちろんそれはぼくに関して放たれた言葉なんかでは全然なかったのかもしれないけれど、それでもあのときのぼくはそれがコピーの神様から自分に向けられた言葉であると信じたし、いまでもそうだと信じている。

TCCの事務局が、まだ赤坂にあった頃の話だ。

こういうことを書くと「一回すれ違ったぐらいでなんだ」とか「自分のほうが土屋さんとはこんなご縁があった」とか「土屋さんはそんな言葉遣いしないよ」とかそういうことをいう人が出てくる決まりになっているのだが、それはそれでかまわない。ぼくはぼくの話をしている。

近頃は、

「文章で黙る」

という機微を解する人が少なくなったような気がして、いろいろ面倒になりましたね。

まぁ、時代のせいにするわけじゃないですが。






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