わたしが、あなたを、好きな理由。
人はあるとき突然、詩人になります。
より正確にいうと、すべての人には、好むと好まざるとにかかわらず詩人に”なってしまう”可能性があります。
酔って夜空を見上げたとき。夜中に目覚めて眠れないとき。すごくたいせつだった誰かと会えなくなってしまったとき。
きっかけはあらゆる場所にころがっています。
そして、人が詩人になることは、人が小説家になることや、音楽家になることや、映画監督になることや、カメラマンになることや、コピーライターになることよりも、ずっと普通に誰にでも起こり得ることなので、
誰にとってもあまりにも普通にあり得ることなので、
いまさっき私が言ったような、たとえばそういうような仕事にくらべると、人はあんまり詩人に興味をもちません。
ただ、一度でも自分が詩人になってしまったというおぼえのある人は、人が詩人として詩人のままあり続けることの想像を絶するように甘美な苦悩と不可能性を知っているので、
折につけ、他の詩人が発する電波のような熱量を意識しながら日々の暮らしをずーっと送る、ということになります。たいていそうです。
まぁ、それも詩に限られたことではなくて、散文だとか楽器とか、フィルムやカメラや広告やビジネスなんかも同じことではあるわけですが。
ぼくは、
一瞬でもいいからその人の人生の一時期に、詩人だったとか小説家だったとか、音楽をやっていたとか、写真を撮っていたとか、絵を描いていたとかっていう、そういう人がとても好きです。
そういう人はたいていみんな、
いろんなカタチの作品が発する電波のような熱量に、惹かれて惚れて温められて、ときに焼かれて傷ついて心の底の奥底が人よりちょっぴりひねくれていて、とてもやさしくなっているから。
で、たぶん、これを読んでるあなたもきっとそうだから、です。
では、いつか。
晴れてる日でも、雨降りの日でも、遠くからでも、近くでも。
手を振るあなたに会えますように。
わたしはあなたが好きなので。