カモンベイビーアメリカ行ってAmazon Goに「毎日通って」みたら、行動や考え方の何が変わるかやってみた。
ちょっとした用事があってしばらくアメリカに滞在しておりました。で、宿泊していたホテルから徒歩でいけるところに「レジのないコンビニ」として話題になったAmazon Goがあったので、さっそく行ってみたのですが、
一回訪れたぐらいでは
「アプリをダウンロードしてQRをかざして自動改札みたいなのを通って入るんだよー」とか「ほほぉ天井にセンサーとカメラがいっぱいあるのだなぁ」とか、
すでに巷に溢れている「いま話題のAmazon Goに行ってきた」的な観光気分のレポート以上のことはわからないような気がしたので、
「こういうもの=Amazon Go的なものが普通になったら、人の考え方や行動にどんな変化が起こりそうか」ってのがなんとなくでも、一応職業としてマーケッターとかクリエイターとか言われる領域をカバーしている(と自称している)身として感じられるようになるまで、アメリカ滞在中毎日通ってみました。多い日には1日3回。飽きっぽいわりに粘着質な性格の私。
この文章はその(性格ではなくAmazon Goの)レポートです。
体験ツアーの人が感じる(だろう)本当に正直な感想
まず、最初に。
ネットにたくさん上がっているAmazon Goに関する記事には「すごかった!」とか「これは革命だ!」みたいなのがわりとありますが、個人的にはあれ系の文章、書いてる人も自分の気分を相当に”盛ってる”んじゃないかなぁと思います。
たぶん、実際にAmazon Goに行ってみたらほとんどの方は「あれ?意外にたいしたことないなー」って感想を抱かれるのではないでしょうか。(私自身もそうでしたし、その後、体験ツアー的に行った同行者たちもみんなそんな感想だったようです)
で、それって別におかしなことでもなんでもなくて、そもそもAmazonのほうでも意図的にそういう設計(建物・体験含めて)にしているのだろうと思います。つまり「Amazo Goでの買い物を”イベント的なもの”として位置づけていない」。
実際に行けばすぐにわかるのですが、入り口(店の外観)も店内もフツーのコンビニ然としてますし、特別なものも売ってません。
早朝に行った際に何度か70代と思しき老夫婦と店内で一緒になったのですが、彼らはべつに「最新のITが導入された特別な店」だから訪れているわけではなく、おそらく生活の動線上にあって、商品がリーズナブルで(近隣のコンビニとかスーパーより安い)かつ便利なサイズ(アメリカンなお徳用巨大サイズではない)で販売されているから普通に利用している、というように見えました。(ちなみにいつも牛乳とかシリアルなんかを買っていましたよ)
その体験は”何か”に似ている。
まぁ、「たいしたことないなぁ」なんて思いつつも最初のうちは店外に出るとそれなりに高揚感があるので、後からアプリに届くレシートと購入した商品とを照らし合わせて「おお!合ってる!」とか感動しちゃったりはするのですが、毎日何度も通っているとそれ(=購入履歴)もそのうちすぐに全く気にならなくなります。
で、この感じ、なにかに似てるなぁと思って考えてみたら「Amazonでの買い物」に似てるんですね。
奇妙なこと言ってるように聞こえるかもしれませんがこれ本当にそうでして、端的にいうとAmazonで注文して商品が届いた後にわざわざ届いたものと注文履歴を照会したりってしないでしょ?Amazonを使い始めた最初の頃ならいざ知らずいまとなってはもう、ねぇ。
ま、少なくとも私はしません。そういうことです。
で、意味深なこと書きますがこの”奇妙”な感覚、未来の購買体験設計のわりと重要な鍵のひとつになるのではないかと私には感じられました。
で、通いはじめて最初に起きた変化。
これはまぁ簡単に想像がつくかもしれませんが、
Amazon Go以外の場で起こる”普通の”支払い手順がものすごく面倒に感じられるようになります。
そもそも、アメリカはクレジットカード決済システムが相当に進んでいて日常のほとんど全ての支払いシーンでクレジットカードが使えるので、元々買い物がラクといえばラクなはずなのですが、Amazon Goばっかり使っていると、たとえば他のコンビニとか、ちょっと昼食を食べるとかいったシーンでの「カードを渡してPINコードを入力して通信を待つ」的な、なんてことない工程ですらものすごくまどろっこしくなってきます。
スパルタ人ではないですが「人間は条件さえ整えば即座に怠惰の闇に陥る」という…。かくも先人は偉大なり。
あと、それが進むと他の店で起こる会計の際の店員とのやりとりも煩わしく感じられるようになってきます。私はいちおう英語でのコミュニケーションにそれほど不自由はしないほうなのですがそれでも疲れてるときに「あー英語喋んの面倒くせぇなぁ」って思うことはしばしばあり、仕事の場所から遠くても喋らなくて済むAmazon Goまでわざわざ行ったりしてました。
ただし、今回は生活の中で発生する移動のかなりの部分がUBERだった(=日常の中で”支払い行為”という動作が発生しなかった)ので、特に面倒に感じるようになるまでが早かったのかもしれません。そのへんは多少の考慮が必要かも?です。
現金で払うぐらいなら、買えなくってもかまわない?
ひとつエピソードをご紹介。
私ごとで恐縮ですが、最近”グルメバーガー”というのにハマっておりまして、今回の滞在先に全米No.1に輝いたというハンバーガーショップがあると聞き、時間を見つけてシェアサイクル借りて行ってみました。
で、行列に並んで注文会計の段まできて「やれやれさすがにクレジットカード出さなきゃダメか…」って思ってるところでクロスカウンター気味に「その会社のクレジットカードはうちが多く手数料を払わなきゃいけなくなるから他のがないなら現金で払ってくれない?」って言われまして、その瞬間に「財布出して現金数えてお釣りを受け取る」っていう流れを想像してそのあまりの面倒くささに「食べずに帰ろう」という考えが頭をかすめました。
そこまでに30分並んでたんじゃなかったら本当に帰ってたかもしれません。ハンバーガーを受け取った後でよく考えるとたいした面倒でもなかったなぁということに思い至り、まさに人間というのは条件が揃うとどこまでも怠惰になり得るものなのだなぁとあらためて感じ入った次第です。バカですみません。
私は”それ”ができませんでした…。
で、そのぐらい”Amazon Go寄り”になった私にも最後の最後までどうしてもできない行為がありました。それは、
ミントタブレットやチョコバーみたいな小さな商品を棚からとってそのまま自分のポケットに入れて外に出ること
です。
頭では「なんの問題もない」ってわかっているのですが、どうしてもできませんでしたね。「自分で持ってきたショッピングバッグに入れる」とかになると結構平気になるんですけど、小さなものを直接そっとポケットにっていうのはどうも…。
って言われて「えっ?その程度のこと?」とか「そんなの余裕でできますよ」っていう人はおそらくマーケッターとしてはあんまり仕事ができない人なんじゃないかなぁと思います。少なくとも私はそういう人の言うことを信用することはできません。
これを「たいしたことないこと」って言う人はたぶん頭の中だけで世の中を見ている”身体性の低い”マーケッターであるか、根っからの泥棒か、のどちらかだろうと思うからです。
社会との「約束」は書き換えられるのか
ちょっと昔の記事ですが、糸井重里さんと松本人志さんの座談会の中に「100円玉を捨ててくる授業」という話が出てきます。少しだけ引用します。
糸井 ぼく、前に、「100円を捨ててきなさい」という授業を、やったことがあるんです。
(中略)
松本 おもしろいですね。
糸井 うん。「お金」というものが生む「約束」をいかに壊してしまうかという瞬間だからね。
話は少し逸れますが、当時若かった私はこれを読んですぐに100円玉を会社の外のゴミ箱に捨てに行ったのですが、ぽいっとした瞬間のそのあまりのゾクゾク感に「おおっ!」となり、エスカレートして500円玉で試してみたら「ああっ…!」となって「これはヤバイ遊びだ!」と気が付いて以来、糸井重里という人を”尊敬するコピーライター”という以前に”ものすごくヤバイ遊びを考える天才的にあぶない人”というフォルダに分類しています。閑話休題。
で、話戻して
「商品を黙ってポケットに入れて外に出てきちゃダメ」っていうのは、いまぼくが生きている社会とぼくとのあいだに結ばれている言わずもがなの「約束」なわけです。
ぼくたちはその約束に基づいて行動するし、その約束を信じている人の集合を”社会”と呼ぶ、ともいえるわけで、つまり社会の中での消費者・生活者の行動はこの約束を大前提にして起こるわけです。
と考えると、「あの行動(=ポッケに入れて黙って出てくる)にかかる心理的なバイアスをなくす」というのはつまり、「社会との約束を書き換える=社会そのもののあり方を変える」ということにつながるのではないのだろうか、と。
「そんな大げさな」って思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、社会、というか「人間が生活する場」に対するこのぐらいの想像力というか”まなざし”がないのなら
「顧客行動がどうこう」とか「マーケッターとして云々」とかいうことを生業にしてゴハンを食べる資格がないのではないかなぁと個人的には考えるのですがいかがでしょうか。
で、ひとつ確認しておきますが、私はべつに「この最新テクノロジーを契機に社会との約束を書き換えろ!」と主張しているわけではありません。かといって「万引きを助長するような誤解を与える購買システム許すまじ!」といっているわけでもありません。
どちらが正しいでも悪いでもなく、ただ、Amazon Goの中に集約されている一連のことはわりと根深いところまで「人の行動とそれを司る心理に関わっているよねー」といっているだけです。
ただ、将来的にどちらがマジョリティになるにせよ、完全に自然に切り替わるということはないと思うので必ずどちらかの方向に人々の考えを押しやるためのコマーシャル・プロモーションが発動するだろうことは想像に難くありませんので、
その光景に出会ったらどっちの主張に関する露出が多いのかを指標にとって見ると、企業(≒資本主義)がどちらに進むことを望んだのかがわかりやすく見えるんじゃないのかなぁと思ったのでここに書き記しておく次第です。
で、今回はここまで
と、ここまで書いてちょっと読み返してみたら、あまりにも長くなり過ぎてるので、一回ここで切りますね。
唐突ですが、続きは次回。
聞きたいことある方はご連絡ください。場合によってはお答えします。
あと、グルメバーガーに関する情報、「一緒に食べに行きましょう」のお誘いもぜひに。
では。