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春原さんのうた 不安定な安心感。梯子を外された物語。

生活の匂いがする。
この映画を観てから、窓辺ではためく洗濯物の夢を見てしまいそう。あの部屋なんか心地がいい。
叔父さんの孤独や、主人公の女性の感情の動きがリアルで、嘘がなく、暖かい。
相米慎二やホン・サンスを思わせますが、もっと細やか。

直感的であり、神秘的な雰囲気や、異界に迷い込むような薄気味の悪さがある。

ノンビートのノイズミュージックのような音楽や、環境音の使い方が面白い。
とりあげた主題はありふれた日常であり、取り立てて事件はない。
ただ作りはとても実験的である。
難解ではないが、細かい。
空間の使い方が適切であり、ロジカル。
見せるところは思いっきり見せ、見せないところは一切見せない、それが不自然ではない。カメラが現実を切り取ってるにも関わらず、なぜか人物や場所の実存感が増している。
再生の物語と言われるが、ただ生きているだけ、生の中に死が内包されている感覚。再生とは違う気がする。
悲観的ではないが、楽観的でもない。
なんか、ぼんやりとしている。
ただ曖昧なわけではない。
それぞれの人物が記号的じゃない。
それぞれの人物の性格や背景が、説明されなくても理解できる。
主人公の彼女に何があったか、とかそういうことは最後の方にならないとわからない(これがまさしくアート映画ですね)。
でも個々の人物の感情の機微が手にとるようにわかるのだ。

男性が唐突に泣いた意味が、姪が離れていってしまう悲しさからなのか、レズビアンの彼女にパートナーができたと勘違いして喜んだのか、と思ったが、私はこれは両方の感情なんだと理解した。俳優の演技が素晴らしいです。

2人でバイクに乗るシーンで主人公は当たり前のように"使い古された"ヘルメットを被ってますよね。あのヘルメットはもともと誰のものなんだろう。このおじさんはだれか大切な人を亡くしてるのではないだろうか。

女の子に頼まれて道案内するシーン。
なんか不気味なんですよね。
案内した場所に着いた時にじーっと女の子がその方向を見てるんだけど、ふいにカメラで私を撮って欲しいって言うんだよね。
で、その場所と一緒に、とかじゃなくて、
彼女をただカメラで撮る。

その場所には何もなかったのかもしれない。

女の子はその方向をみて、すこし泣いているように見えた。
なんとなく、この女の子は幽霊なのかもしれない、と考えた。
もともと住んでいた家に連れて行って欲しいと頼んだのではないだろうか。
きっと撮った写真には女の子は写っていないのではないかな。

個人的に、一部で熱狂的なファンのいるカルトゲーム、"夕闇通り探検隊"に通じる郷愁と怖さを感じた。

夏だし、お盆で帰ってきたのかな、とか。
喪服の二人組の夫婦?兄妹?も葬式の割に寛いだ感じだし、たぶんお墓参りの帰りっぽい。

日高さんの教え子?が訪ねてくるシーン。
彼女が歌う歌の歌詞がさっちゃんへ歌いかける歌だ。おそらく、この女性がさっちゃんで、主人公もさっちゃんである。名前が同じなのだ。この女性は主人公のAlter Egoなのではないだろうか?

あの女の子の道案内とか、喪服の二人組とか、塩とか
春原さん、もしかしたら最初から幽霊だったのかも、とか。考えてしまいます

でもそうとも解釈できるし、ただの恋人同士だったり、親友だったり、はたまたLGBTQの恋模様にも見えるわけで、本当に懐が深い、奥深い素敵な作品だなあと思いました。

普通映画って観客を迷わせないように脚本を作るのが定石だと思いますが、この作品はあえて迷うように話を書いている、というか、パンフレットを読むと、本来はきちんと明確な一本の道であったものを、梯子を外して枝分かれさせたような作りをしていることき気づいた。"当たり前"を破壊するような大胆な作品である。そしてその梯子の外し方が絶妙で、ふわふわと枠からはみ出していくような部分が本当に心地よく脳を刺激します。このワクワク感は他では味わえないものです。とっても丁寧に物語が壊されているな。解体されているな、と。もっと色んな方に観てほしい作品です。

常識にとらわれず、自由に、寛いでみるべき作品。きっと映画が終わる頃にはいままで自分で知覚できなかった部分が開くようなそんな気がする(スピりすぎ?)

今年これ以上の作品に出会えるか、正直自信がない。

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