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絶対に87歳まで生きるんだ!

2020年9月某日 長い夜

朝から手術まで

いよいよ、手術当日。乳房部分切除術。3時間予定。
体調は問題なし。空腹感はあり。

入院中は毎朝、7:30から回診がある。
TVドラマのように、乳腺外科の先生たちがこぞって回ってくる。
その数分前にレジデントの先生が確認に来る。回診のあと、少し主治医だけ残って確認することもある。

全員で回る必要があるのかは謎。


朝一の手術だったため、回診が終わったら、あっという間に手術室へ。
母が付き添いに来ていて、エレベーターまで見送るか看護師さんに聞かれていたが

「いえ、ここで大丈夫です」

あっさりと別れ、歩いて看護師さんと手術室へ。
まだ手術室の準備ができていなかったため、入り口でしばし待機。
その間に、痛みについて聞いてみた。
春の婦人科の手術では痛みはなかったこともあり、これまで咳に気を取られて痛みの確認は抜け落ちていた。

手術によっては、痛み止めに麻薬を使い、辛いときに自分でボタンを押して薬を追加することもあるそう。
今回の私の手術で使うかはわからないとのこと(←使わなかった)。

手術室入室。
ベッドに横たわり、麻酔科の先生が点滴の準備。麻酔の話は別で

主治医も到着。
朝の回診のときも思ったけれど、外来のときの雰囲気と違ってこの日は少しピリッとしていた。
手術だからかな。普段はまったりした雰囲気の先生。

「じゃあ、頑張って」

麻酔が入る。


絶対に絶対に87歳まで生きるんだ!!!!!


そう強く思って、眠りに落ちた。

目覚めたら、回復室みたいなところにいた。
気持ちの悪さもなく、目覚めは良かった。

が、ほどなくして痛みが、、、

ズキズキズキズキ

右乳だけもげてしまいそうな、痛さ。
痛い、これはかなり痛いんじゃないの!!!

ナースコール。
痛みの度合いを、メジャーみたいなので指すよう言われる。

まったく記憶にないが、私はさっき「3」の位置を指したそうだ。
まだ完全に目覚めていない頃だったのだろうか。

いくつと指したか覚えていないけれど、7くらいだったかな。

「完全に痛みがなくなるのは難しいかもしれないんですけど、痛み止め足しますね」

アセトアミノフェンが足される。
ロキソニンの方が良いんじゃないかと思ったけれど、効けばいいかとじっと待つ。

全然効かない!まったく効かない!ただのビタミン剤なんじゃないのかってくらいに効かない。
なんならさっきより痛みが増している。。。

再度、看護師さんに伝える。

ロキソニンが追加される。
ようやく効いてきた。

後で看護師さんたちの会話でわかったけれど、起きたとき、点滴では痛み止めは入っていなかった!!
手術の開始時に、座薬の痛み止めを入れたきりとのこと。

そんなの痛いに決まってるじゃん!!!!
乳房切って、中えぐって取り出してるんだよね、痛いに決まってるじゃん!!!

生検の時ですら、心配ならすぐ痛み止め飲んでって言ってたじゃん。
歯科の抜歯の時ですら、麻酔切れる前に痛み止め飲むよう言われる。

どう考えても人生で一番痛み止め使って欲しい時だったわ。

とはいえ、ロキソニンのおかげで痛みが和らいで来て、落ち着く。
ビバ、ロキソニン!

病棟へ戻る

そして、病棟へ戻る。
病室についたとたん、病棟の看護師さんたちにあっという間に身ぐるみはがされ、色んなものがついたり、取られたり。

足:太ももまであるフットマッサージャー
指:パルスオキシメーター
心臓:心電図モニター
左手の甲:点滴
尿道カテーテル

これ↑はこの後、明日の朝までずっとつけたまま。
今日は起き上がることもできない。
夕方頃から水はOKとなるが、起き上がったらダメなので、飲みたいときはナースコール。

酸素マスクもついていたけれど、これは2,3時間後に外れる。

母から、手術結果を聞く。
手術中、術中迅速病理で、断端陽性がないか(悪いものが取り切れているか)を確認する。
もし陽性となり、全摘でなければ厳しいとなった場合は、取れる分だけを取っていったん閉じ、後日、再建をどうするかを含めてまた仕切り直しとなると聞いていた。
そのため、乳房が残っているからといって、陰性だったとは限らない。

幸い、陰性だった。
全方向確認しているわけではないから、最終結果は正式な病理結果でわかる。センチネルリンパ節生検についても、結果は後日となるため、祈る思いは続く。

手術時間は、3時間10分。10分は麻酔科の先生が喉をカメラで見てくれた分かな。

母が手術直後の説明を聞いたわけだけれど、主治医が腫瘍が見えなかったと言っていたそう。
この時はよく何に見えなかったのかわからなかったけれど、取り出したものをレントゲンに写した画像のことだと思う。
後日の外来で、写ってないんだよねと言いながら、見せてくれた。ただの大きな塊しか写っていなかった。

とりあえずもう病理の結果を祈るしかない!!大丈夫、大丈夫。


痛み止めが効いていれば、気分は良いし、3月の手術の時に比べてだいぶ元気だった。すぐにでも動けそうだったけれど、そういうわけにはいかない。

そしてこの後が長くて辛かった、、、手術の辛さの本番はここからだった。

長い夜

水が飲めるようになった時点で母、帰宅。
眼鏡を近くに置いてもらえば良かったと後悔。時計が見えない。

お昼過ぎ頃に手術が終わってから、ずーっと寝たきり。
色んなものが繋がれているため、寝返りもなかなか打てないし、段々と腰と背中が痛くなってくる。

足のフットマッサージャーも不快。これがなければ足だけでも動かせて、多少はマシな気がするのに。

途中、患部の痛みがまた強くなってきたため、痛み止めを追加してもらう。ただ、背中と腰は痛いまま。これには痛み止め、効かないんだな、、、

何時頃だろうか、主治医が来てくれた。
足とか動かせる範囲で動かしていいし、寝返りもいい、と言っていたけれど、動かすの難しいよ、先生。
この時はいつものまったりした雰囲気に戻っていた。

待てど暮らせど眠気が来ない。
昼間、麻酔でさんざん寝ているし、この状態ではとても寝れそうにない。

度々、看護師さんが状態確認に来る。
たまに時間を聞いたけれど、恐ろしいくらいに時が過ぎるのが遅い!!!

尿道カテーテルの尿量の確認も地味に辛かった。
まだ経験の浅そうな看護師さん、一度、少ないと思ったのだろう、先輩の看護師さんを呼んできた。管の中にたまっていることもあるから下に落として、みたいな説明を受けていた。
それから、毎回毎回、とても丁寧にちゃんと管の方から落として確認してくれていた。
それはとても有難いのだけれど、振動があると不快なのです、、、

もうそろそろ、朝じゃないかと思って時間を聞いたら、

「1時過ぎです」

、、、苦笑。

水が飲めた時点で、いろいろ外して動いて、ご飯食べた方が回復も早かったと思う。
たぶん私は手術を受ける患者さんの中では若い方で、色んな患者さんがいるからそうは行かないのはわかるけれど、それにしても疲労が蓄積される辛い夜。

途中、ベッドのリモコンで少し頭を起こして、自力で水を飲んだ。
でも看護師さんが見回りに来るたび、リモコンを元の少し遠い位置に置く。

ちょっと起こすのもダメなのか、、、

腰と背中が限界で、看護師さんにバスタオルで寝返りを手伝ってもらう。
寝たきりってすごく辛いんだろうな、、、自由に動けることの尊さを知る。QOL本当に大事。

そしてようやく、明け方になって来た頃。
外が騒がしい。急患の方が救急車で運ばれてくるとか。
(モニター類のアラートが聞こえるように、部屋のドアは開けっ放し)

ナースコールを押したら、なかなか応答がなく、しばらくしてベテランっぽい看護師さんが全力ダッシュで来た。

水を飲みたいだけで申し訳ない。

そんなこんなで、やっと夜が明けた!
朝だ、朝だ、朝だー!早く全部外してー!動きたいー!
お腹空いたー!



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