絶景×starRo | 八ヶ岳 清里テラス
10月13日に、音楽プロデューサーのstraRoさんを迎え、八ヶ岳の山麓にある山梨県北杜市のスキー場サンメドウズ清里の「清里テラス」にて、撮影を行ってきました。
サンメドウズ清里は、冬はスキー場として、またそれ以外のシーズンは、様々なアトラクションやクラフト体験などのアクティビティが楽しめるリゾート施設です。その、冬にはスキー場となるゲレンデの1,900mの山頂に、野辺山高原や清里高原の雄大な景色を楽しみながらお茶や軽食をいただける「清里テラス」があり、天候の良い日には、山並みの向こうに美しい富士山も望むことができます。
また、サンメドウズ清里では毎年夏に「Hi! LIFE 八ヶ岳」という、最高のロケーションで最高の音楽と、食やワークショップを楽しむことができるリゾート型音楽フェスが行われています。今年はコロナの影響により日程を変更、万全な感染症予防対策のもと、9月12日・13日にキャンプインスタイルで実施されました。
starRoさんは今年そのHi! LIFE 八ヶ岳に出演されており、当初9月13日の朝にイベントのコンテンツとしてDJを披露して頂く様子を撮影する予定でした。ですが、残念ながらその日は深い霧の中でのステージとなり、せっかくの清里テラスからの景色をカメラに収める事ができませんでした。THAT IS GOODとしても初の再撮影となり、1ヶ月後の10月13日に取り直したものです。
清里と野辺山の歴史
八ヶ岳の山麓の南東部、主に清里駅周辺を清里高原、野辺山駅周辺の東部を野辺山高原と言います。これらの地域は、標高1,000m〜1,900mにわたる火山性の傾斜地で、清里は本格的な入植が始まる1938年以前は原野であったそうです。火山性の土壌は強酸性のため、石灰中和しても効果がなく、農作物の育成には不向きな土地でした。
同じ頃、関東大震災後の日本キリスト教青年会の立て直しで来日し、聖路加国際病院の建設資金集めなどにも携わっていたアメリカ出身の牧師ポール・ラッシュによって、キリスト教の日本での青年リーダーを訓練したいとの思いから、現在の清泉寮が開設されます。
その後ポールは第二次世界大戦のため一時的に日本を離れますが、戦後GHQ将校として再来日、1947年には当時の山梨県知事の好意により、約300haの県有地が貸与され、翌年、日本の農村地のモデルとなるコミュニティーづくりを目指して、「KEEP協会(Kiyosato Educational Experiment Project)」が設立されます。
また、ポールは農作物には適さなかった高冷地の環境を活かしいち早く酪農を取り入れ、西洋野菜の栽培による開拓支援なども行いました。そのため清里開拓の父と呼ばれ、親日家としても知られています。現在清里の観光資源のひとつとなっている、清泉寮などで味わえる味の濃いアイスクリームも彼の発案によるものです。
野辺山は古くから牛馬の生産地で、1886年には牛馬競売市が開かれ、1900年には海ノ口牧場をはじめとする複数の牧場が造られ賑わっていたと言われます。その後も白菜の試作成功、ジャガイモやトウモロコシなどが生産され、現在は高原野菜の産地として有名です。
JR小海線の野辺山駅は、JRで最も標高の高いところにある駅(海抜1,345m)として知られ、線路として最も高い地点(海抜1,375m)もこの路線にあります。
また、雨が少なく空気が乾燥している環境を活かし、周囲を山に囲われ電波障害が少ないことも幸いし、東京大学附属天文台(現在の国立天文台)天体電波研究部の観測施設が設置され、日本の電波天文学の聖地と言われています。太陽電波の観測や、ミリ波と呼ばれる電波を観測できる電波望遠鏡としては世界最大級の45m電波望遠鏡を有し、いくつもの新星間分子や、ブラックホール存在の証拠の発見など世界的に重要な観測成果を出し続けています。
10月13日について
再撮影当日は天候も良く、昼間は野辺山駅や宇宙電波観測所の撮影を行いました。夕方のカフェ営業終了に合わせて「清里テラス」に上がり撮影スタート。残念ながら富士山は見えませんでしたが、無事撮影を終えることができました。先月に比べるとたった1ヶ月の違いですが夕暮れが早く、最後は真っ暗の中での撮影となり、最後はなんとも幻想的な感じでちょっと変わった画が撮れました。ぜひ最後までご覧ください!!
著:THAT IS GOOD 編集部 中村