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変わることについて- 秘密結社「喫煙所」(第18通目)
この記事は、素直さと向き合おうとしているふたりが、答えのないことを問い続けていく文通マガジン『秘密結社「喫煙所」』の第18通目です。お互いの記事を読んで、文通のように言葉を紡いでいきます。
【 送られてきた問い 】
聞いてみたいのは、変わることってなんなんだろうねってこと。タオさんは自分のことを柔軟だと思ったりする?
できたら、「私は全然柔軟じゃないよ〜」という言い回し以外の観点で、変わることや柔軟、頑固について聞きたい。
わたし柔軟じゃな……と言いたいところですが、考えてみたよ。
ちなみに何度も書き直した。
柔軟も頑固も人の一部分でしかないと思ってて、人に「頑固だね」ってわたしも思ったりすることあるけど、時間が経ってまた話を聞いてみると、いつの間にか考え方が変わっていたりするんだよね。相手はこちらが予想もつかないところで変化してて、タイミングやスピードは人によって違うと思い知った。だからこちらが「あ〜だこ〜だ」言うのは、おこがましいんだって学んだ。
逆にわたしが「頑固」って言われることもある。多分ヒロさんから見えているわたしが「柔軟」に見えたんだと思う。自分と対話することが多くて、そこで問い直しをしたり、余白をつくりだしたりしてる。それは今のわたしを作っているとも言える。
孤独の場合、対話の相手は自己になる。
孤独を感じるとき、もっとも近くに自己を感じる。ここで述べられている人生の秘密との遭遇は、私が、「私」になる道程に欠くことができない。
逆にこの時間が必要で、どうしても譲れない頑固な部分でもある。
変なプライドや意地とかではなくて、自分に必要な「頑固さ」ならいいと思うんだよね。「うわ頑固。でもかっこいいね」っていう人もいる。
何かを手放したりするのは自分なりの判断基準があるからだと思う。変なプライドとは違う、その人なりの軸というか。わたしはまだまだだけど、「自分が最終的にどうしたいか」わかってる人や「自分のありたい姿」がわかっている人は、必要ない執着を手放そうとすると思うし、反対に譲れない部分もあると思う。
開くことは外へのイメージがあるけど、内側に開かれることもあるような気がする。自分の声をよく聞いていたら、いつか、どこかのタイミングで自分の奥深くからのコトバを拾えるようになると思うんだ。そこでようやく自分を知る。
変わるっていうのは、
出会う→感じる→考える→試す→腑に落とす
腑に落としたり、納得感を抱いたりして、はじめて自分の中で何かが変わるのかもしれない。開かれた状態で外の世界と出会うことでもある。出会いは人や人以外もある。
何かが本当に「分かる」ということは、その人が深いところで「変わる」ということです。むしろ、「変わって」いないのであれば、「分かって」いるのではなく「分かったつもり」でいるだけなのかもしれません。
何かを感じるってとても大切なことなんだと思う。
感じることは、開こうとする行為で、変化の芽のようなものだから。
自分を開くことも、変わることも、
世界と出会うことによって新しい自分と出会うことだと思う。
誰にでもその可能性があると信じたい。
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最初書いたものが微妙すぎて書き直したんだけど、そうしてよかった。ざっと思ったこと書くだけじゃなくて時間はかかるけど、そこからまた考え直してみるのいいかも。文章のいいところってそれができることだよね。きっと手紙って何度も書き直すもの。ささっと書いていた自分が悔やまれる。
【前回の問い】