『日月忽其不淹兮』
今回からブログを担当させていただくことになりました。 筆名を『無記銘』とさせていただきます。
このブログを書くに能り、なにか題材はないかとサンクスラボ広島事務所に隣接する公園へと赴くなどしました。
今年は霜月の半ばを過ぎても残暑がつづき、まさに異常気象。
街にはクリスマスツリーが立ち始め、間もなく年も暮れようという時期。
ようやく照葉に彩られた、秋の色が顔を出し始めました。
それに起因するのか、今年は特に光陰矢の如し季節の流れを肌で感じます。
一瞬で過ぎ去る七十二候の移ろい、刻々と重ねゆくカレンダーの数字。
それらに思いを馳せていると、タイトルにも引用した中国の古典文学『楚辞』の一節を思い起こします。
ですので今回は、それを紹介させていただきます。
【楚辞】
離騷:屈原の歌より
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日月忽其不淹兮 春與秋其代序
惟草木之零落兮 恐美人之遲暮
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日月は忽として其れ淹らず 春と秋と其れ代序す
草木の落零を惟ひ 美人の遲暮を恐る
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月日が経つのは早い。春と秋はすぐに入れ替わる。
草木が枯れて葉が落ちているのを見ると
自分もすぐに、そうなるのではないかと恐れずにはいられない。
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何故この詩を引用したのかというと、いまの自分と重なりを感じる故にあります。
自分がサンクスラボに入社して1年が過ぎました。
サンクスラボへ入社する前は工場で出荷管理の仕事をしていました。
その時は季節の移り変わりなど感じている暇もないほど、業務に忙殺されていた日々でした。
それゆえに過労がたたって精神を患い、抑うつを発症。
現在こうして社会福祉の御世話になっている次第です。
・此れも何かの縁としてポジティブに考え
・今はしばらくの休憩期間と捉えて
・何年もやっていなかった趣味を再開したりする
などをして、今は平穏に日常を過ごしています。
しかしながら、この平穏に慣れすぎて今はぜいたくにも
「自分は一般企業に再就労が出来るのか」
「普通に戻れるのか」
などと言った懸案が、新たに沸々としています。
こころが壊れる2年前までは普通に働けていたのが、本当だったのかとさえ思います。
というよりも環境が変わって2年も経てば、それは本当に自分なのかとすら……。
剰え『普通』という言葉の意味さえ解からなくなり、いまの自分にはその二文字が重くのしかかる次第であります。
『普通』とはなんなのか…
価値観が多様化し世界情勢も乱れに乱れる現代社会に於いて、何を以てして『普通』と評するのか……。
無情に流れていく時間と季節の中。
そんなことを考えながら自分は正にいま、この詩のように『草木の落零』と自分を重ね合わせて憂いているのであります。
訪れる冬の寒気に釣られてか
そんなペシミスティックなマインドに冷えつつも、2024年も残り1カ月程となりました。
来年どころか明日がどうなっているのかもわかりません。
願わくば、来年は一般就労で社会復帰や、自身の趣味である創作活動で数年ぶりに本を出すことなどを目標にしつつ、停滞することなく前進し、また新たな1年を送れることを目標に……。
総論して
「一年経つのが早い」
「今年は特に人生の進展がなかった」
「来年は頑張ろう」
ということを長々と引き延ばしましたが、今回の記事はここで締めとさせていただきます。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
また次回……。